バス停でタクシーを待つ萩原健一さん('19年)
妻・冨田リカとの出会い
「萩原さんは『ザ・テンプターズ』のボーカリストとしてデビュー。日本テレビ系のドラマ『傷だらけの天使』の主演などで一躍スターになりましたが、私生活は波瀾万丈でした。逮捕歴と結婚歴がともに4回。'83年に大麻不法所持、'85年に暴行、'04年に業務上過失致傷罪、'05年に恐喝未遂容疑で逮捕されています。結婚は'75年にモデルの小泉一十三、'80年にいしだあゆみ、'96年にヘアメイクの女性、そして'11年の冨田リカさんが最後の妻となりました」(スポーツ紙記者)
「'05年の恐喝事件で、パッタリと仕事がなくなりました。落ち込んでいる彼の話し相手になったり、せめて普段の生活はできるようにと食事を含めたサポートをしていたんです」(萩原家の親族のひとり)
「'09年に月刊誌『美ST』上で、当時“美魔女モデル”として活躍していた冨田さんからのアプローチにより対談が実現。それがきっかけとなり交際がスタートし、'11年2月7日に結婚します。
《僕は家内と出会っていなければ死んでいたんじゃないかな。彼女と結婚して本当に人生が変わったんだ……》
「晩年の演技には鬼気迫るものがありました。遺作となったのは、NHK大河ドラマ『いだてん』の高橋是清役です。出番は短かったのですが、鋭い眼力と熱いオーラを発揮して強烈な存在感を残しました」(テレビ誌ライター)
“永遠の不良少年”が隠した闘病生活
《これまで、本人の強い意向により、病のことは公表せずに参りました。最期は、とても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠る様に息をひきとりました》
「萩原さんは“永遠の不良少年”と呼ばれただけあって、感情の起伏が激しく気難しい方だったのは確かです。その一方で信仰心が強く、'83年に大麻所持で逮捕された際は、判決が出た翌日に瀬戸内寂聴さんの寺院『寂庵』に身を寄せて修行するなどして過ごしました。
「亡くなった直後に神奈川県の鶴見で親族を含めて葬儀を行ったと報道されていますが、実際は都内ですぐに火葬されています。すべて冨田さんが執り行っており、萩原家側の親族は誰も立ち会えていません。葬儀がすべて終わってから報告があっただけでした」(前出・親族のひとり)
「彼は3人目の妻と離婚する際に、金銭的なことでモメましたからね。その際、慰謝料で泥沼の裁判になり大変な目にあいました。交友関係も含めていろいろ不安があったようです。それで、妻が面倒に巻き込まれないよう、自分が死んだらすぐに葬儀をすませてしまうように指示していたそうです」(芸能プロ関係者)
「冨田さんとは、'11年2月に箱根神社で結婚式を挙げたとき以来、会えていません。結婚以降は冨田さんが彼の面倒を見てくれていました。ずっと会っていないけど、よくやってくれたとありがたく思ってはいます。しかし、火葬にも葬儀にも立ち会えず、葬儀の報告後は何の連絡もありません。そのため彼の遺骨もお墓もどうなっているのか萩原家側は誰も知らないんです……」(別の親族)
冨田リカはいったいどこへ
「冨田さんは'62年生まれで、萩原さんの11歳下。OLなどを経て幼児教室の経営をしていましたが'03年に放送されていたTBS系の情報番組『ジャスト』の『マダムに会いたい』というコーナーでスカウトされたことがきっかけで、41歳でモデルデビューし芸能界入り。私生活では2度の離婚歴があります。彼女の公式サイトの日記は、萩原さんが亡くなる直前で更新は止まったままですね」(前出・スポーツ紙記者)
「冨田さんは、萩原さんと一緒に過ごした都心のマンションに今も住んでいます。名義は冨田さん自身で、7000万円ほどの借り入れで購入。返済はまだ残っているようですね」(不動産関係者)
「ショーケンさんが生きていたころは、ふたりでいるのをよく見かけました。彼はいつも“自分は芸能人だ!”というオーラを出して歩いていましたよ」(近所の住民)
「以前は、ふたりで家の近くのお寿司屋さんに来ていましたが、ショーケンさんの死後は冨田さんひとりでの来店を見かけたことはありません。冨田さんひとりでは、来づらいのかもしれませんね」(別の住民)
「萩原さんと冨田さんはよく一緒に来ていました。亡くなってからは何回か冨田さんがおひとりで来ましたよ。最後に来たのは去年で、萩原さんの誕生日だった7月26日です。そのときは冨田さんと、その友人らしき人たちの合計3人で来ていましたが、料理は4人分頼んでいました。亡くなった萩原さんの分もテーブルに出していたんです。3人で萩原さんを偲ぶ食事会だったようです」(常連客)
「彼とは数十年前から面識があり、'05年ごろの恐喝事件からの復帰パーティーを開いたのも、うちが経営していた店です。その後もたまに会って食事をしていました。奥さんともお会いしていましたが、挨拶程度ですね。冨田さんの現状はまったく知りません」(店のオーナー)
冨田リカにコンタクトをとったところ
「冨田さんは週1のペースで来ていますよ。自分で外車を運転してきます。先週も帰ってきて、買い物とかしているようでした。彼女の母親はご高齢なので、彼女が面倒を見ているのかもしれませんね」(実家の隣人)
「娘(冨田リカ)は現在、仕事をしていませんし、再婚もせず静かに暮らしたがっているので、そっとしてほしいです。萩原さんが亡くなってまだ1年もたってないのに……。ご足労さまでした。もう何も答えられません」
「話すことは何もない。冨田リカのことは何も知らない」
「彼の一周忌は静かに過ごしたいので、もう放っておいてほしい……」
「萩原家のみんなが彼の死を悲しんでいます。冨田さんと交流が少なくなったのは、萩原さんが決めたことだからしかたないのかもしれない。とはいえ、線香のひとつもあげられない、お墓に手を合わせることもできないというのでは複雑な気持ちになりますし、正直寂しいですね……」(前出・親族のひとり)
《50代は女性としての幸せを大切に温めていきたい。最終的には、オシャレで派手で、キレイなおばあちゃん世代をつくることが目標。(中略)そのために、また一歩を踏み出さなくちゃ、ですね》