“ノッポさん”こと高見のっぽ (C)はっとふる
教育テレビのはずなのに、なんだか不思議な内容で、忘れられない番組のひとつに挙げられるのが、『できるかな』。番組名を見聞きすれば、ノッポさんとゴン太くんの微笑ましいやりとりがよみがえってくるのでは。そんなノッポさん、実はとっても“おしゃべり”だった!? 87歳になられた今、あの当時を振り返りつつ、“小さい人”たちへの思いも語っていただきました。
「ノッポさん」誕生までの“暗黒時代”から、現在の暮らしに至るまで、たっぷり3時間以上! 週刊女性にこれまでの人生と、近況を語ってくれた。
華々しいデビューも、いきなり失職
「小さいころはもの書きになりたいなんて思ったこともあったんですが、本を読んでいるうちに文豪たちの変人ぶりに気づいてしまって。こりゃあ俺には無理だと諦めて。いろんな職業を考えたけれど、あれもだめこれもだめ、結局芸人に否応なく引きずり込まれちゃった(笑)。
「でも、タップダンスの神様、フレッド・アステアが大好きだったのもあってね、これはまあまあ続きました。いい先生が京都にいるって聞いたから、その先生のところに布団だけを先に送りつけて、住み込みとして転がり込んじゃった(笑)。でもね、稽古で習う基本のリズムって……面白くないんですよ。見かねた先生が、私にだけ、レコードに合わせて踊るという特訓をしてくれて、はまりましたね」
「キャバレーの楽屋へ帰ってきたら、出番を待っているお姉さんが『月世界の芸人みたい』と褒めてくれたりね。ある時は歌舞伎役者の八代目松本幸四郎さん(のちの初代・松本白鸚)がね、お弟子さんたちに僕のことを『あの方はすぐにひとり舞台をやるような人になります。その姿を目に焼きつけてきなさい』と言ってくださったりしたそうなんですよ。見事にのぼせちゃって。でも、その予想は見事に外れてしまいました。日劇の舞台の3度目はなく、そこから4年間、ほぼ失職状態になったんです」
NHKとの運命の出会い
「スタートは華やかでしたが、すぐ自分が普通の男の子だってことを思い知らされたんです。親父は僕をずいぶん買いかぶっていましたから、自分が出演する舞台で僕を使うのは『あなたみたいなひとりでちゃんと演れる人を、こんなつまらないことに使ったらもったいないから』と手伝わせてもくれなくなって。鬱々とした日々が続きました」
「NHKの『不思議なパック』という番組の、最終回のバックダンサーとして呼ばれましてね。テレビスタジオは初めてだったんですが、われながらうまく踊れたんですよ。帰ろうとしていたら、プロデューサーから声がかかったんです」
「第1回の放送は、相当うまくやれたんですよ。なのに、プロデューサーにNHKの上層部から電話がかかってきたんです。あれは単なるレビューショーで“局辱”だと……。プロデューサーはクビになり、番組自体も半年ほどで打ち切りになりました」
「ひとつは新しい音楽番組でリズムものをやりたいと。女性のダンサーとコンビでした。もうひとつは『造形番組』で、出る人物は私ひとり。好きなことがやれそうと、迷わず後者を選んだ私に、周囲は不思議そうな顔をしていましたね」
「最初は違う人たちが出ていたんですよ。正直悔しかったですが、1年後に呼び出されましてね。どうやら大切な視聴陣である幼稚園や保育所の先生たちが『“なにしてあそぼう”のノッポさんじゃなきゃ子どもたちが見ないんです』とたくさん意見を送ってくれたようで、私が出演することになったんです」
実は「超不器用」だったノッポさん
「なんでも長くやっていると、たるんでくるものでしょう。でも、僕は不器用だったから、何年たっても毎回真剣に作業をしていたんです。だから、完成したときに本物のニッコニコの笑顔が出る。カメラの前で、本当に幸せになれたんです。だから自分のぶきっちょなところが、番組が続いた大きな理由だと……いつも人には演説して聞かせているんですよ(笑)。あんまり私が上手にできないものだから、裏方さんにはずいぶん手間をかけさせてしまったと思います」
「私はずば抜けて悪い子でした。そして、賢い子でした。5歳を頂点にして落ちていったんですが(笑)。小さい人を見たときに、同じころの私がいかに自分が賢くて鋭い子だったかということを覚えているから、小さい人とも仲よくなれるんです」
「毎日のように家に遊びにくる小さい人がいたのですが、その日は私も書き物で忙しく『本日はとてもやることがありまして、今日のところは我慢をして帰ってください』とお願いをしたんです。でも、次に私に時間があるときに遊びに来れば元どおり。お互いにちゃんと挨拶をする、謝ることができる。そんな私と彼の間には“悲劇”がないんですよ。悲劇をなくしていけば、幸せになれるんです」
87歳になったノッポさんは今
『できるかな』終了後は、芸名を現在の「高見のっぽ」に改名。絵本・児童文学作家として活動する傍ら、『グラスホッパー物語』(NHKみんなの歌)などにも出演、紅白歌合戦にも登場するなどの活躍をしてきた高見さん。87歳となる現在は、自分が気に入った仕事を受けつつ、毎日「のっぽさんチーム」と呼ばれる老若男女たちに慕われるにぎやかな日々を送っている。
「お仕事の関係者はもちろん、最近のことを教えてくれる人、食事を作りに来てくれる人、子育ての相談に来る人、ただただ高見さんに可愛がられたい人まで、いろんな人が訪れています」(マネージャーの古家さん)
「おそばをごちそうしてほしいだけな人もいるかな。なんでこんなジジイがみんなの面倒を見なくちゃいけないんだよなあ(笑)」(のっぽさん)
「昨年までに2冊本を書いたら、体重が5キロ減っちゃってね。そのあと足を折っちゃって入院をしたの。病院の食事が美味しくなくて(笑)、64・5キロあった体重が退院したら50キロになっちゃいました。それで身体も弱っちゃったから、今は少しずつ身体を動かすようにしています。前みたいに元気だったらね、華麗なステップを踏んでお見せしたいところなんですが、あんまりできなくなっちゃって……今はそれがちょっと悲しいかな」
今だから話せる『できるかな』裏話
今だから話せる!ノッポさん『できるかな』びっくり事件簿
●大流血!
工作の制作中、カッターナイフで指を切ってしまい、血を流したまま完成させたことが
●不器用すぎて……
放送を見ていた高見さんの父親が「正しいちょう結びを教えてあげましょう」と電話をかけてきた
●意外なところからクレームが……
ゴン太くんと遊ぶゲームは、いつでも本気で勝負して、ノッポさんは手加減せずに勝ち続けた。ゴン太くんの中の人の奥さまが「たまには勝たせてあげて〜」と悲痛な叫びを上げるほどだったそう
●ナレーションで危機一髪
紙コップでたくさんのタコを作ったノッポさん。代表のタコに挨拶をさせようとしたら、そのタコの口の部分のテープが剥がれてしまった。でも、ナレーションの故・つかせのりこさんが「おクチがトヘちゃった! ボクはタホのタホ八でーフ」とナイスアシスト!
たかみ・のっぽ 1934年5月10日、京都府太秦生まれ。1967年から20年以上『なにしてあそぼう』から『できるかな』(NHK教育)に“ノッポさん”として出演。現在は俳優・作家・歌手として幅広く活動中。『ノッポさんの「小さい人」となかよくできるかな? ―ノッポ流 人生の極意―』(小学館)『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき―ノッポさん自伝』(岩波書店)など、著書多数。
取材・文/高松孟晋