田原俊彦
【嵐、関ジャニ∞、Hey!Say!JUMP……次々と人気のアイドルグループを擁し、テレビ界を席巻するジャニーズ軍団たち。だが、そんな彼らの“元祖”といえば'80~'90年代をトップアイドルとして駆け抜けた“トシちゃん”こと田原俊彦だ。‘79年、大ヒットドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)でデビュー。共演していた近藤真彦、野村義男と「たのきんトリオ」を結成、国民的なブームを巻き起こした。また'80年代後半には『教師びんびん物語』(フジテレビ系)が大ヒット。俳優としても頂点に立つ。しかし、その後の「ビッグ発言」、そしてジャニーズ事務所からの独立を機に、現在は“孤高の存在”として扱われている】
そんな田原を誰よりも愛し、追い続けてきたのがフリーライターの岡野誠氏だ。20歳の頃から田原のテレビや歌、そしてコンサートにまで足を運び、その生きざまを追い続けてきたという。
そんな田原の資料を読み込み、2年以上かけて上梓したのが現在発売中の書籍『田原俊彦論』(青弓社)である。この岡野氏の執念ともいえる一冊は田原はもちろん、彼を通じてのテレビ史、そしてジャニーズ史を網羅している。
田原、そしてジャニーズにまつわるエピソードを岡野氏に聞くと、貴重な話が飛び出したーー。
――なぜ今、田原俊彦さんの本を書いたのでしょうか。
「僕は特別ジャニーズのアイドルが好き、というわけではないんです。ただ田原俊彦というアイドルがいて、それまで好感度も高かったのに、94年2月17日の『ビッグ発言』を境に、急に評価が変わってしまった。とにかく、それに驚いたんです。
人間なんて一夜で性格が変わるわけじゃないのに、急に世間やマスコミから叩かれたのはどういうことなのだろうかと。それでトシちゃんに興味を持ったんです」
――決して”おっさんずラブ”ではないと(笑)。
「よく言われますけど、そうではないです(笑)。ちょうどその頃『教師びんびん物語』が再放送されていたのを見ていて、すごく面白かったんですよね。
トシちゃん演じる徳川龍之介という役は、意地でも自分を曲げないじゃないですか。それも今のトシちゃんの行動と同じなんです。
あと、僕は“過小評価されている人をきちんと評価すべきではないか”とずっと思ってきました。その始めは、欽ちゃん(萩本欽一)です。
ちょうど僕が小学2年生になる直前に、すべてのレギュラー番組を降板するんですが、その後に復帰してから視聴率が以前より取れなくなってしまった。
だから、僕の世代の人って欽ちゃんを軽視する風潮があると思うんです。”欽ちゃんなんてつまらない””(ビート)たけしの方が上だ”とか。僕は欽ちゃんが好きだったからそう思ったんですが、トシちゃんにもそれに通じるものがあったんですよ」
「ビッグ発言」と「ジャニーズ独立」で凋落?
――田原さんの有名な「ビッグ発言」やジャニーズ独立してからの経緯など、調べてどうでしたか。
「結局、現状のトシちゃんって“数行でまとめられている”と思うんです。
その数行とは、'94年の長女誕生に関する記者会見のときの『僕くらいビッグになっちゃうと~』のいわゆる『ビッグ発言』。そして直後の『ジャニーズ独立』。このふたつで人気が凋落した、というもの。
でも、そこまでに至るまでの経緯がすべて忘れ去られているんです。そこを僕は徹底的に調べた。そのために当時の新聞や雑誌、そして映像なんかを見ると、忘れられたエピソードがたくさん出てくるんです。
まず『ビッグ発言』当時、マスコミの取材は本当にひどかったということ。特にテレビのワイドショーはずっとトシちゃんの自宅を張り込んでいて(長女誕生に備えて)、病院に行けば付いてきて、出てくるまで待ち構えているんです。しかも毎日。
入籍のころも、朝トシちゃんが家を出れば『今12時52分、家を出ました』とレポートして、まるで犯罪者かと(笑)。現在、忖度ばかりのテレビ界では考えられないけど、ジャニーズの所属タレントにすらそんな取材手法をとる時代でした。
当然、トシちゃんも取材陣に対しブスっとして一言も言わない。もともとサービス精神は旺盛な人ですが、私生活は出したくない人ですし、そりゃ怒りますよね。
それでもほかのタレントだったらうまく取り繕うところですが、彼は良くも悪くも自分に正直な人。それがあの長女誕生の記者会見につながったんです。
するとマスコミは当然それまで取材に答えてくれないフラストレーションが溜まっていたでしょうから、バッシングに走る。あの取材はホントにひどかった」
ーー独立については?
「またジャニーズからの独立ですが、あの当時は、ほかのジャニーズアイドルもあのくらいの年齢、30歳前後で独立していたんですよ。
それは『シブがき隊』もそうだった。マッチや『少年隊』は独立しませんでしたが、その証拠に当時の記事を調べると、あるスポーツ紙が『近藤真彦もそろそろ独立が近いと噂されている』なんて書いてますからね。今では信じられない記事です。
トシちゃんも昔から『33歳が節目』だと話していましたから、ちょうど『ビッグ発言』と『ジャニーズ独立』が重なってしまったんですよね。それがあたかも凋落しているかのように受け取られてしまったのでは? 今の30歳と'94年の30歳では、周囲からの認識が違います。当時は『アイドルは20代前半で卒業するもの』という認識を持たれていましたからね」
――書籍では、なんと言っても田原さんとジャニーズ共演NG説の徹底した取材、分析が見事でした。
「調べていて驚いたのが、トシちゃんがジャニーズを独立した'94年直後は少年隊とかSMAPとも共演しているんですよね。'95年の『ヤンヤン歌うスタジオ同窓会』(テレビ東京系)では、トシちゃんとマッチがワイプでしたが一緒に映っていました。
今じゃ考えられません。
ただ同年放送された『夜のヒットスタジオスペシャル』を最後にジャニーズタレントとの共演は終わり、それから23年以上ジャニーズとの共演はなくなっています。
例えばこんなおかしなこともありました。
当時トシちゃんがレギュラーを務めていた『笑っていいとも!』の95年放送『クリスマス特大号』では、トシちゃんがディナーショーの中継先からクイズを出していた。そこに同じくレギュラー出演していた(当時)SMAPの中居正広、香取慎吾、草なぎ剛の3人は前の仕事のため遅れていたんですが、その後3人がスタジオに到着すると、なぜかクイズコーナーが終了。結局、絡むことはありませんでした。偶然の一致かもしれませんですけど……。
ただ、トシちゃんの露出が少なくなっていったことに関して『自分の力がなかったから』と言っています。決して言い訳はしないんですよね。それはホントにすごいと思います」
中居正広が救うジャニ共演NGな風潮
――意外なのは、元SMAPの中居正広さんが最近までやたらと田原さんの名前をテレビで出していたこと。その指摘には驚きました。
「でも、これ普通にテレビ見ているとよく言っているんですよ。'90年代後半から'00年代にかけて、ほとんどのジャニーズタレントはトシちゃんの名前を言うことはなかったと思うんですが、中居さんは何かと名前出してくる。
'13年に放送された『SMAP×SMAP』には近藤真彦さんがゲストで出ているんですが、なんとあのマッチにも“マッチさんにとって、トシちゃんは先輩になるんですか?”と聞いているんです(笑)。神ですよね。
最近、中居さんが元SMAP3人の名前をテレビやラジオで言ったことが話題になっていますが、彼はそういうジャニーズや業界にはびこる共演NGの空気を変えようとしているのではないか。僕はそう思っています」
――それにしても、田原さんのジャニーズにおける功績の大きさには驚かされます。
「間違いなくジャニーズ事務所における先駆者ですよ。当時のアイドルは2~3年もヒットがでればすごい方。
それを変えたのはトシちゃんだと思います。マッチの人気も凄かったですが、トシちゃんは少し低迷した後、ドラマ『教師びんびん物語』、そしてシングル曲『抱きしめてTONIGHT』のヒットでまた盛り返した。結果、2度大ブレイクしているんですよ。そんな人はいない。
正直言って、今のトシちゃんはあまりテレビなどのメディアに出られていないと思う。ただ、ジャニーズタレントが出演する番組には多く“登場”しているんですよ。
今年3月6日の関ジャニ∞が出ている『ありえへん∞世界』(テレビ東京系)でも、トシちゃんの映像がかなり多く使われていましたからね。今、テレビ局が共演させようと動けば、できるんじゃないですかね。
なんといってもあれだけ歌って踊れる57歳はいません。本にも書きましたけど、ジャニー(喜多川)さんの理想は”歌って踊れる”で、それってトシちゃんのことなんですよ。
当時のアイドル雑誌『平凡』でも言っていますが、'60年代後半に初代ジャニーズとラスベガスのショーを見に行ったら、バックダンサーが30歳を超えているのを聞いてびっくりしたそうです。そのことに触れたジャニーさんは『僕の理想は40になっても50になっても歌って踊れる人だ』という趣旨を語っているんです。
これこそ、まさに田原俊彦のことだと僕は思っています。だから、ジャニーさんに今のトシちゃんのコンサートを観に来てもらいたいですね……って俺は何様なんだという話ですが(笑)」
岡野誠(おかの・まこと)◎1978年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。テレビ番組制作会社を経てライターに。『FLASH』『週刊ポスト』の契約記者から‘17年フリーに。研究分野はテレビ視聴率、プロ野球名鑑など。ほかにもサッカー解説の松木安太郎やタレントの生島ヒロシなど意外な研究対象も多い。カラオケで歌う曲はもちろん『抱きしめてTONIGHT』。