映画『犬鳴村』のロケ地にもなった旧吹上トンネル
「幼子の泣き声が聞こえる」 「白い和服姿の幽霊が出る」
「東京都内で最恐の心霊スポットのひとつが青梅市にある『吹上トンネル』です」
「吹上トンネル」とは同市黒沢地区と成木地区を結ぶトンネルのこと。現在使用されているのが1993年より運用開始した「新吹上トンネル」。ほかに2本のトンネルがある。1904年、手掘りレンガ造りの「旧旧吹上トンネル(以下、旧旧)」が最初に造られた。50年後の1953年、昭和トンネルこと「旧吹上トンネル(以下、旧)」が竣工した。
「特に旧旧がヤバイ。殺人事件の現場になった、という噂です」(前出のライター)
「トンネル内に白い和服の被害女性の幽霊が出るようになった、と言われています」
ほかにも、「幼子の泣き声が聞こえる」「背後から複数の霊に追いかけられる」などオカルト話が絶えない。
「幼子の泣き声は被害少女の声だ、なんてことを信じている人もいます」
「おばけトンネル」と言われており、複数のオカルト番組で取り上げられ、ホラー映画のロケ地にもなった。芸能人だけでなく、人気ユーチューバーも足を運び、番組にする有名スポットだ。
「古いトンネルが遊び場だったけどそんな話はなかったね」(60代男性)
「夢を壊しちゃうかもしれないけど、地元の人でおばけを見た人は1人もいない」(70代女性)
「昔、ある番組のロケで白い着物を着た人形をトンネル内につっていた。その話がひとり歩きしているのではないでしょうか」(前出のライター)
「事実ではありません。本当の現場は別。事件当時、吹上トンネルは噂にもなりませんでした。それがなぜ、今ごろ噂として広がっているのか。不思議です」
「旧旧は確かにいろいろな噂がありました。ですが、旧は生活道路。地元の人も普通に行き来しますし……」
「事件があったのは本当です。でも、おばけは出ませんよ」
「そこに住むおばあちゃんとお嫁さんが殺されたんです。犯人は中央線に乗って逃げましたが、ワイシャツに血がついていたことを不審に思った人が通報し、逮捕された。物取りによる犯行でした」(前出のAさん、以下同)
「縁あって数年前に彼女から土地を借りました。あのトンネルは私たちにとっても悲しい記憶があるんです」
「毎日トンネルを通って奉公先と自宅を往復したそうです。朝起きたら自宅に帰り、家事と食事の準備。仕事が終わったら今度は夕食を作りに戻り、奉公先に帰る。夜、トンネルは真っ暗で怖い。だからおばけのように髪を振り乱しながら通っていたそうです」
「養子に出されたとき、実父は泣きじゃくる義母を引きずりトンネルを通ったそうです」
地元住人のリアルな声
やがて不確かな噂だけが残り肝試しスポットになった。
「以前、2人の冥福を祈るために地蔵をつくったんです」
「いたずらが多くて困っています。ゲートの扉の鍵は壊す。トンネルの鉄板の扉はこじ開けようとする。私の仕事道具が下のトンネルに投げ捨てられていたことや、盗まれたものもありました……。“入らないで”と私が言えば“見に来て何が悪い”とか逆ギレされたこともあります」
「亡くなった家族をおばけと言われて、遺族は悲しんでいます。高齢者の中には“夜来る若者たちが怖い”とおびえたまま亡くなった人もいました。昼間、ちゃんと会いに来てくれれば私も真実をお話ししますよ。黙って夜中に来て、いたずらされるのが困る」
「実は心霊スポットと呼ばれる場所の99%がもともと何も起きていない場所。事件が起きた所のほうが少ないんです」
「被害者やご遺族には申し訳ないですが、私は心霊スポットを訪れること自体は否定しません。恐怖を共有することで友情を深めたり、大人になるための通過儀礼的な役割もあるんです。ただし、周囲の人に迷惑をかけないことが大前提です」(前出の吉田さん)
「廃墟や怪談が好きなわけではないのに、稼げると知ったユーチューバーらがどんどんやってきてしまう」
お話を聞いたのは……
怪談師・吉田悠軌さん
怪談サークル『とうもろこしの会』会長。怪談の収集やオカルト全般を研究。著書に『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一生忘れない怖い話の語り方』(KADO
KAWA)など著書多数。執筆のほか怪談ライブや講演も行う。
ルポ・吹上トンネル 「霊感記者の恐怖体験」
「おばけより崩落が怖い……」
「高齢女性がトラックにひかれた跡が残る」という都市伝説も検証すべく、その痕跡を探したがそれも見つからなかった。気圧のせいで空気は重いが、記者の心霊レーダーには何も反応しない。何も起きないままで、出口に到着した。
「もし、ここから手が出てきてつかまれたら嫌だなあ」なんてことを想像したら、一瞬ドキッとして、手がすくんだ。幸い手は出てこなかった。
「(入り口の)ポールって行き、あったっけ?」
「ありました!」
この世のものではないものがトンネル内にいるなら、好き勝手に振る舞う人々にうんざりしているだろう。だから姿を現さないのだ。