磯村勇斗
「バブルのころは商店街にも活気があって、どこのお店も景気がよかったんだけどね。今はシャッター通りになっちゃって、磯村さんのお店も6年前にたたんじゃったのよ」(商店街関係者)
「夏祭りでは率先して神輿をかついだり、元気な子でしたね。地元で評判の美人なお母さんに似て、小さなころから可愛らしい顔で女の子にモテていたよ。商店街でもみんなが“ハヤちゃん”と声をかけるほど人気者だったね」(別の商店街関係者)
“ハヤトさま”と呼ばれるアイドルだった高校時代
《女たらしでしたね(笑)。女の子はみんな自分の彼女みたいな感じで、全員とベタベタしていたんです。女の子とキスのまねごとをしたり》
「ジュビロ磐田のジュニアチームに所属するほど本気でやっていましたよ。でも限界を感じたようで、小6でチームをやめちゃいましたね。中学ではバスケットボール部に入っていました」(同級生)
《他校に試合に行くと、ぶっちゃけ、女子からの声援はありましたね(笑)。メールアドレスが書いてある紙をもらったりして》
「磯村くんが通っていた高校は、もとは女子高だったんです。共学になっても女子率が高かったこともあり、高校では女子生徒から“ハヤト様”と呼ばれるアイドル的な存在でした。沼津ではちょっとした有名人で、高校の名前を言うと、“ハヤト様の学校?”とうらやましがられましたね」(前出・同級生)
「インタビューでもよく語っていますが、中学3年生のときに作った『ヌマヅの少女ハイジ』ではスカートをはいてハイジ役を演じたとか。体当たりでぶつかっていく姿勢は、このころから備わっていたのかも」(芸能ライター)
17歳で30歳の役を演じて
「“沼津 劇団”で検索して最初に出てきたのがうちだったらしくて(笑)。“演技の基礎を学びたいので、芝居をやらせてください”と、私の自宅に電話がかかってきたんです」
「稽古場はトタン屋根で、雨が降るとセリフも聞き取れないような劣悪な環境だったのですが、一生懸命、稽古に取り組んでいましたね」(劇団員の武田典子さん)
「稽古場は磯村くんの自宅から車で20分ほどの距離にあったので、毎週火曜と金曜の稽古は、学校終わりにご両親が車で稽古場まで送迎していましたね。うちの劇団メンバーは、みんな50代~70代なので、17歳の彼は孫のようで可愛らしかった。年齢差にもまったく臆することなく、演技に挑んでいました」(武田さん)
「とにかく素直で飲み込みが早かった」
「当時55歳だった私が恋人役を演じたのですが、稽古でも本番でも堂々とキスシーンを演じてくれました。キスシーンは寸止めとはいえ、初めてのお芝居とは思えないほどの度胸でしたね。2日目の公演では、私がイスに座れず後ろに転んでしまうアクシデントがあったんですが、磯村くんがスッと私に手を差しのべてくれて。お客さんも台本どおりだと思うぐらい、自然な演技でした」(武田さん)
「200人ほどが入るホールだったのですが、最前列から数列は彼目的の女子高生でびっしり埋まっていて驚きました」(武田さん)
出演が決まると……
「役者の養成所に入るべきかと進路を相談されたとき、“この世界はどうなるかわからないから、とりあえず大学だけは出ておいたほうがいいよ”とアドバイスをしました」(武田さん)
「上京後、初めて出る舞台も連絡が来て見に行きましたね。『仮面ライダーゴースト』や『ひよっこ』が決まったときもメールが届きました。『ひよっこ』放送期間中に私たちが公演をしたときには、わざわざ両親と3人で差し入れを持って駆けつけてくれたんです。そのころはすでに顔も売れていたので、彼に気づいたお客さんが集まってきてしまったんですが、写真対応にも応じる神対応ぶりで、本当に律儀な子だなと思いました」(武田さん)
「学生時代から通っていたベーカリーで、お気に入りの惣菜パンを撮影の差し入れとして、大量購入してくれたそうです。地元に帰ったときにはよく寄っているみたい」(前出・商店街関係者)
「昨年の冬だったかな。同級生らしきグループで飲みに来てくれました。バスケ部時代の話で盛り上がっていて、“お前ら最高だよ!”と、感極まっていたのが印象的でしたね」(居酒屋の店主)