(文/フリーライター山嵜信明と週刊女性取材班)
都庁第1庁舎と第2庁舎の間の歩道沿いにはテントが並ぶ
「池袋駅東口は高層ビルが増えて電力供給が追いつかなくなり、南池袋公園の地下に変電所を造ったんです。昔は30張りあったホームレスのテントを撤去し、5~6年かけて工事して、公園も昨年リニューアルオープンしました。もうホームレスはいませんよ」
「五輪のための浄化ではありませんが、近所としては明るくきれいになったので大歓迎」と前出の経営者は喜ぶ。
「池袋西口公園は昔、ホームレスが多かった公園。でも、今はほとんど生活保護を受けていて、昔の仲間がよく集うこの公園に来ているよ。怪しいNPO法人などがやっている宿で暮らしているけど、生活保護費を搾取(さくしゅ)する貧困ビジネスが多いみたいだね」
「池袋西口公園のそばには東京芸術劇場もあるし、来年には野外音楽施設もできる。建て直した区役所の近くに映画館を集め、手塚治虫さんら漫画家が住んでいたトキワ荘もあるので、豊島区は芸術の街として売り出したいみたい。だけど、ホームレスに金をばらまくように生活保護を受けさせ、街をクリーンにするだけでは、根本的な解決にはならないと思う」
「“テントは撤去”と言われるから少なくなったね。“宿に入って生活保護を受けないか”と声をかけられるけど、宿代と食事代でほとんど持っていかれるから入らない」
「以前は新宿区立中央公園でテント暮らしをしていたけど5年前から規制が強化され、いまはみんなバラバラになってしまった。ここも東京マラソンなどのイベントがあるときは移動しなきゃいけないし、厳しくなってきたね」
「長年、パチンコ店に住み込みで働いていたけど、55歳でクビになってホームレスになった。最初は西池袋公園にいて、次に新宿中央公園のそばで暮らすようになったの。公園内には100人以上いたけど、上下関係やしきたりがあったので、ひとりのほうが気楽でいいやと思ってね」
「特に今年の夏は気温35度を超える日が多かったので、たまんなくてね。1時間前後、歩けば図書館が3つぐらいあるから、そこで本を読んでいるふりをしていました」
「きょうだいは4人いますが生きてるのかわかりません。楽しみはないけれど、かといって寂しさもないですよ。ただ、以前に肺炎を患ったし、このところ、やや栄養失調ぎみで右ひざも悪い。だから、五輪のころはここにはいないでしょう。生活保護を受けているんじゃないですか」
貯金して2年後はここを脱出したい
「山谷の職安にときどき通っています。ヨットハーバーのゴミ拾いもやっている。いま貯金をしているので、2年後には宿を見つけて、ここを脱出していたい」
「新宿区から、一般財団法人や民間企業などに管理を委託して、それから少しずつルールづくりをして、ホームレスの方と話し合いを進めてきました。もちろん、抵抗もありましたが、同時に区と協力して生活保護受給をすすめていくなどして、いまの公園の姿になったわけです」と説明する。
「都政のお膝(ひざ)元からホームレスを一掃したい思惑があったと聞いています。だけど、火事など物騒なことはなかったし、みなさん身なりはきれいで、身辺も掃除していたので、そんなに汚くも臭くもなかったんです。要は見た目の問題でしょうが、私は臭いものにフタをするようなやり方は好きじゃない」と近所の商店の女性は言った。
「メトロの副都心線が開通して西早稲田駅ができた。近所の人がこの公園を通って西早稲田駅に行くなど通勤・通学ルートが変わったため、テントは禁止されたんだと思う」
「まさしくバブル期でね。1か月目は泊まり込みで手取り26万円だった給料が、翌月には38万円になった」
「同じ沖縄出身の年配のホームレスに気を許していてね。42歳のとき、一緒に酒を飲んでいたら妙な言いがかりをつけられ、俺も酔っていたので頭にきてぶん殴ったわけさ。そうしたら、倒れてそのまま死んじゃってね。傷害と過失致死で逮捕されて留置場に入ったの。あとで知ったんだけれど、警察が“あの人は殺されなくても間もなく病気で死んだはず”って言っていた」
「新大久保の連れ込み宿に入ったら4畳半に2段ベッド2つ。そんなプライバシーもへったくれもないところで宿代と食事代を払ったら1万~2万円しか残らない。それこそ、貧困ビジネスさ。国も都も区もどうかしている。あれが最低限保障されている文化的な生活ですかって」
「生活保護受給者はとにかく暇だから、テント生活をしていた当時の仲間が忘れられなくて、懐かしくて、この公園へ毎日来ている。数年前から、ホームレスにはこんな噂(うわさ)が飛び交っています。“五輪直前には立ち退き料として1人あたり50万円が出る”って」
僕にはぴったり、まさしく転職です
「いまのところ、撤去しろとは言われていない。もちろん、イベントのときはほかへ移さなければいけないですけどね。ここは近隣で1日に2回も炊き出しがあるところなので非常に住みやすいんです」
「肉体労働なので50歳を過ぎると徐々に仕事が若い人に回ってしまい、稼ぎが減った。だから思い切ってホームレスになった」(新垣さん)
「やっぱり、人と接しなくていいし、仕事をしなくても全然、生きていけますからね。とはいえ、テキヤさん(露天商)の手伝いをときどきやることはありますけど。幸いなことに酒もタバコもギャンブルもやりませんから。
「そばに競技場があるので、もうすぐ、間違いなく、住めなくなるでしょうね。そうなったら、その時期はほかの場所を探しますよ。だけど、五輪が終わったら、再びもとの公園へ戻れると思っているんですけどね」
「都は路上生活者を減らすため、'00年に23区と共同で自立支援センターを立ち上げ、就労もしくは生活保護受給に向けた手助けを地道にやってきました。五輪を開催するからではありません。粘り強く声かけなどをしてきた結果、ホームレスが減ったと認識しています」(都・同課)
「浄化といえば、汚いものをきれいにするという意味ですが、福祉の立場では最低限の生活を維持できない人を支援するということであって、少し違います。'06年には新宿区も自立支援計画をまとめており、生活困窮者自立支援法と生活保護法の利用割合は半々といったところです。法律上、生活保護の申請があれば行政は受け付けます」(区・同課)
やまさき・のぶあき◎1959年、佐賀県生まれ。大学卒業後、業界新聞社、編集プロダクションなどを経て、'94年からフリーライター。事件・事故取材を中心にスポーツ、芸能、動物などさまざまな分野で執筆している