小学生時代の大谷翔平
「投手としては最速162キロの剛速球を投げ込み4勝。ほかの日本人投手たちだって今のところ4~7勝しかしていませんから十分すぎる活躍です。さらにすごいのは言うまでもなくバッターとして。並み居るメジャーの強打者を抑えてホームラン数で現在トップを独走中ですからね。まさか、ここまでとは……。野球マンガのヒーローでも、こんな活躍しませんもん」
「何がすごいって、あの日本最高のホームランバッターだった松井が1シーズンかけて“やっと打った”31本のホームランを、大谷は半分の試合数で打っちゃったということ。このまま打ち続ければ年間60本に到達するペース」(同・スポーツライター)
「大谷が、そして“二刀流”という唯一無二の存在がアメリカ社会で認められたということ。野茂も松井もイチローも本当にすごかったけれど、大谷への注目は野球という枠を飛び越えちゃった。今や大谷は“人類史上最高アスリート”と言われ始めています。日本の島国からやってきたオオタニショウヘイの無双ぶり……“ショータイム”に全米が釘づけになっています」(同・スポーツライター)
地元・岩手で少年時代を聞き込み
「翔平はお兄ちゃんとお姉ちゃんがいて。小学生のときから身体が大きかったからガキ大将のようなところはあったけれど、悪いグループに入るようなことはいっさいなかったです。とにかく明るいノリで誰からも好かれていましたね」(小・中学校の同級生)
「翔平君は高校1年生のころは身体が弱くてね。体調を崩して寮で寝ていることも多くて“いつも熱を出している子”という印象でした(笑)」(花巻東高校野球部の保護者)
「翔平は同年代の子たちより身長が高かったけど、細くてね。野球を始めた当初は、本当になんにもできなかったんです」
「チームに入って3か月して、バッティングを“右打ち”から“左打ち”に変えたんです。普通、どんなに運動のできる子でも、打ち方を逆にすると最初はバットにボールが当たらない。でも翔平はちゃんと当たって飛ぶんです。1年後には、グラウンドのフェンスを越える特大ホームランまで打った。30年近くリトルリーグに関わってきましたが、後にも先にも小学3年生でオーバーフェンスは翔平だけですね」(浅利さん、以下同)
「17奪三振をやってのけたんです。リトルリーグの試合は6回までしかないですから、アウトは18個しかない。そのうち17個が三振だったんです。試合中、相手チームは静まり返ってしまって異様な雰囲気でした」
今も正月にLINEで挨拶をくれる
「毎年正月に“あけましておめでとうございます。今年も頑張ります”ってLINEが来るんです。短い言葉だけれど、それが本当にうれしくて。総理大臣からLINEをもらったとしても、それよりもうれしいです(笑)。本当に翔平は礼儀正しくて、翔平が高校を卒業して日本ハムファイターズに入団したときに“僕の野球の原点は水沢リトルです”って言ってくれたって人づてに聞いて。女房と大泣きしたんです」
「でもね……楽しみだしうれしいんですが、翔平がどんどん遠い存在になっていってしまうことが寂しくもあって。だから、こうやって話していても……泣けてきてしまって……。うれしいんですけど寂しい気がして」
「まじめにやってくれればいいんだぁ。でもケガが怖いの。また手術になったら、どうしようかって」
「(お嫁さんを)早く見たいんですよ! アレも困ったもんで、まだまだでねぇ。野球ばっかりで何にも言ってこない。え? ハリウッド女優が翔平を狙ってる!? とんでもないわ! この辺の人と結婚すればいいの。私はそう思っているんだけれど、どうなってんだかねぇ」
ズバリ、狩野舞子との交際は?
「どうなんでしょう? 噂ばかりが先行していて……。今は野球に打ち込んでいるから。先行きはどうなるかわからないけれど……」
「いつか結婚しても“ゲス不倫”みたいなことはしないでしょう(苦笑)。幸い、ウチの家系は女グセが悪いとか、酒に溺れるようなことは全然ないですからね」
「この家も建てて30年近くたったから屋根と外壁、内装をリフォームはしましたけど、翔平がリフォーム代を払ったわけじゃないですよ(笑)。私も家族も大きな家に住みたいとは思いませんし。家族に車もプレゼントしてくれましたが、全部、賞品でいただいた車ですし。私のと(彼の)姉の車はオールスターのときのだったかな? 兄の車も何かの副賞ですよ」