こちらの存在には気づいた有田だったが、直撃に対しては無言を貫いた
「本気でこの番組でやるの!? よっしゃあ!」(柴田)
「2人は'04年の『M-1グランプリ』で、決勝歴代最高点を出したコンビ。当時はその後の活躍がかなり期待されていました」(スポーツ紙記者)
柴田英嗣の人気が回復するまで復帰時期を探っていた
「彼は'10年1月に複数の女性トラブルのため、所属していた芸能事務所『人力舎』の社長から謹慎を命じられますが、社長が同年6月に死去。会社の体制を整えるため謹慎期間がうやむやになってしまいました。一方の山崎さんは、調子のいいキャラクターがウケて大人気になり、コンビ内に差ができてしまいます。人気に差があっては復帰してもしかたないという山崎さんの意向で、柴田さんの人気が回復するまで復帰のタイミングを探っていたんです」(同・スポーツ紙記者)
「あの番組で有田さんは総合演出も兼任しています。彼は頭の回転が速く毎回番組の打ち合わせに参加して、どう番組を面白くするか熱心に考えているんですよ。今回のコンビ復活劇も、直前まで有田さんと山崎さん、プロデューサーなど数人しか知りませんでした」(フジテレビ関係者)
「台本にはあの場面では“山崎さんにそっくりな女芸人のバービーさんが出る”とされていたんです。さらに、収録が始まるまで山崎さんは局入りしなかったので、現場のスタッフも気づきませんでした」(同・フジテレビ関係者)
「有田さんと山崎さんは20年近い付き合いですからね。売れないころから常に一緒に遊んでいて、一時は同じマンションに暮らしていたほどでした」(前出・スポーツ紙記者)
「有田さんは“事前に告知して、世間の注目を集めておいてから発表”という演出が好きではないんです。なので何もせずいきなり『アンタッチャブル』が登場するという奇策を実行しました。“何が起こるかわからないのが本来のお笑い”というのが有田さんの哲学なんですよ」(前出・フジテレビ関係者)