27歳のときに13キロダイエットして、今もその体重をキープしている高橋真美
『欽ちゃんのどこまでやるの!』 わらべ三女・たまえ役の高橋真美
「当時はお父さん(萩本欽一)の番組の視聴率が30%を下回ると、スタッフがざわつくんです。子ども心に現場の雰囲気が引き締まっていくのを感じていましたね。でも30%ですよ? 今じゃとても考えられませんよね」
「3姉妹の長女、のぞみ役は子役で活躍していた高部(知子)さんがもう決まっていて、次女のかなえ役は『週刊欽曜日』で小西博之さんの妹役だった倉沢(淳美)さんが『欽どこ』に移ってきたかたちで役が決まっていたんです。
「セリフを読んだり、演技をしてみたりというのは全然なくて。2時間くらい待たされたところにお父さんが来て女の子たちをパーッと見たんです。そうしたら、“はい、OK。もう帰っていいよ”って言って、1分もたたずに帰っちゃったんですよ(笑)」
「本当にびっくりしましたね。後で理由を聞いたら、ズラリと並んでいる端っこに、なんだか丸っこくて色の白いのが座っているなって思って、その印象だけで決めたって言われました。絶妙な太り具合だったらしくて(笑)」
萩本欽一の好みだった?
「本当の理由はお父さんが私みたいな子がタイプだったからだと思います。キャンディーズのスーちゃん(田中好子)みたいな、丸顔で色白の子がけっこう好きなんですよ(笑)。何年か後に“絶対、私のこと好きだったでしょ?”って聞いたら、とぼけられましたけど」
「私はちょっと変なことをしてみたりするオチの位置だったんですよ。テレビの前のおじいちゃんおばあちゃんたちは、それを見てかわいいって言ってくれる。孫のような感じなんでしょうね」
「当時の放送を見返すと、確かに太ってるなって思うんです。でも私は当時、自分が松田聖子になれると思って生きてましたから! 日本中の女の子誰もが“聖子ちゃんになりたい”って思っていた時代なんですよ。私はたまえになってから、ちょっと人生が変わったなって思いますね」
「昼過ぎから稽古を始めて、終わるのは午後9時過ぎ。それで翌日に本番です。本当に小さい、細かいネタを何時間も延々と収録するんですよ。毎回4時間以上かかっていました。
「できるまで何度も繰り返すので、リテイクの耐性はすごいつきました(笑)。リハーサルも撮り直しも、何回やっても大丈夫。その部分はすごく鍛えられましたね。別の番組で、自分から“あと3回くらいやりましょうか?”なんて言ったこともあります(笑)」
「『めだかの兄妹』って、童謡みたいなタイトルじゃないですか。しかもグループ名は“わらべ”。正直、3人で“えっ?”ってなったんです(笑)。アイドル全盛の時代に歌を出すって聞いたから、アイドルグループを作ってカッコいい曲を歌うのかなと思っていたんですけどね。
萩本「ありきたりな答えをするんじゃないよ」
「でも、衣装はパジャマ(笑)。寝る前に歌うって設定でしたからね。キラキラしてる衣装を着ているアイドルのみなさんがうらやましいなって思いましたね。当時は歌番組でシブがき隊とか少年隊の横にキョンキョンとか明菜ちゃんとか座ってるとすごいブーイングが起こるんです。
「お兄ちゃんとか関根(勤)さんのコーラスがバックに入るんですけど、お兄ちゃんの歌が下手すぎて、私たちは1日でレコーディングしたのに、お兄ちゃんは2日間かかった、なんてこともありましたね(笑)。
「司会者の人との掛け合いを徹底的に練習していました。もちろん、お父さんの指示です(笑)。当時、アイドルは“ハイ、ハイ”って頷いていればかわいいっていう時代だったのに、“ありきたりな答えをするんじゃないよ”って言われてトークの稽古。いつだったか、お父さんに“たまえは笑われてるんじゃない、笑わせてるんだよ”って言われました。その言葉で前向きになれた気がします」
「お父さんで育っているから、谷啓さんとか伊東四朗さんとか、お父さんと近い世代の人とお仕事をさせてもらうとき、はじめから信用していただけているんです。芸の基礎はちゃんと仕込まれているだろうって。柴田理恵さんにも、“あんたなら大丈夫!”って太鼓判を押されました(笑)」