員が集まった'73年10月、交際半年で結婚した裕也さんと、当時は“悠木千帆”と名乗っていた希林さん
「“なぜこのような関係を続けるのか”と母を問い詰めると、平然と“だってお父さんにはひとかけら、純なものがあるから”と私を黙らせるのです」─。
「なんで離婚しないの?」
「希林さんは最後まで裕也さんと“夫婦であること”にこだわり続けました。裕也さんの家庭内暴力や女性問題など、度重なるトラブルに巻き込まれても、彼女が離婚を考えたことは1度もなかったんです」(芸能プロ関係者)
「その最中の、'76年2月に希林さんはひとり娘の也哉子さんを出産しました。月に1回しか会わない関係だったため、裕也さんは“本当にオレの子なのか?”と言ったそうです」(同・芸能プロ関係者)
「也哉子さんがまだ小さいとき、ウチの店員が希林さんに“何で離婚しないの?”と聞いたそうです。すると、“だって也哉子がかわいそうでしょ”って」
「“大好きだよ!”と言っていたそうです。子どものためにも、父親はいてほしいという思いがあったのでしょう。希林さんも普通のお母さんなんだなと思いました」
「希林さんに“お孫さんは、父親の本木雅弘さんに似ていますね”と伝えたら、“違う、違う! UTAは裕也さんの若いころにそっくりなの!”と、いくら言っても意見を曲げないんです。どう見ても、モックンそのものなのに(笑)。希林さんの女性としてのかわいらしさを感じました」
「数年前、希林さんが裕也さんを店に連れてきたことがありました。いま考えると失礼な話なのですが、彼に“ロックフェスを見たけど、私には怒鳴っているだけで理解できない”と伝えたんです。すると、彼は“あれは世に出られない人を育ててあげているの、そう思って見てあげて”と穏やかに答えてくれました」
「あぁ、希林さんも同じようなことを言っていたなと。ロックと役者という舞台は違えども、この人たちは同志なんだなと思いました」(遠藤さん)
「戸籍は大事よ」
「'16年のロックフェスに希林さんが初めて来たんです。でも、彼女が姿を見せたのはこの1度だけでした。僕が結婚することを報告すると、“戸籍は大事よ”と言われました。そのときはピンとこなかったけど、今になって希林さんが言いたかったことがわかりましたね」
「収入はなくても、飲み屋では高い酒を頼む。会見はいつも帝国ホテルを借りて行う。そういったお金も含めて、生活費のほとんどは希林さんが出していたようです」
「“あれは也哉子が行くからいいの。也哉子は裕也さんの世界一のファンだから”と言っていましたよ(笑)」
「止まる駅数が多いチケットしか割引にならないため、希林さんは“あれは遅いのよ~、ジレったかったわ”と愚痴っていましたね(笑)。ふたりが国内旅行もしていたのは意外でした」(前出・『カット&カットヒラタ』スタッフ、以下同)
「番組の裕也さんが歌うシーンについての話題になったんです。すると、急に押し黙って、じっくりと噛みしめるように“カッコいいんだぁ~”と目をキラキラさせて言うんです。まるでドラマのワンシーンみたいでしたよ。この人は裕也さんのことを本当に好きなんだなぁと。その瞬間の希林さんは、少女のようにピュアでした」