(左から)綾瀬はるか、アンジャッシュ児嶋、ずん・飯尾和樹
芸人から愛されてきた人は生き残る
「飯尾さんの場合、お笑い芸人というよりも、場を和ませるタレントとして、徐々に認識されていった、という感じでしょうか。でも、彼に振ると100%面白く返してくれるし、ダウンタウン松本人志さんが、自身がメインの番組である『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)で名指しで期待を寄せるなど、同業者の間ではずっと芸人としての評価は高かったのです」(お笑いに詳しい芸能記者)
「昨年末の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)で決勝に進出した錦鯉もそうですが、芸人から愛されてきた人は生き残ると思います。そうでないと、ライブにも呼ばれづらいし、芸の世界では忘れられていきますから」(鈴木さん)
「飯尾さんの後輩が、あるときライブの打ち上げで自分の彼女(後の奥さん)をダシにボケたんです。すると、彼は『お前、最低なことするな。苦労をかけてきた人をネタにするようなやつは芸人じゃない』とすごく怒ったらしい。でも、その後のフォローも厚く、その後輩は“飯尾さんを心から尊敬している”と言っているそうです」(テレビ関係者)
「相方の渡部(建)さんがさまざまな資格を取得したりグルメに舵を切り始めたころでも、児嶋さんは地道に単独ライブを行っていました。だから、芸人からの信頼度が高かった」(お笑いに詳しい芸能記者)
「でも、昔から舞台裏では、おぎやはぎやバナナマンにもイジられる存在だったらしいんです。テレビでそのやりとりがウケ始めて、そのうち児嶋さんが『これが俺なんだ』とイジられることを受け入れるようになり、それが面白いキャラとして世間に受け入れられるようにもなっていったのでしょう」(鈴木さん)
雑に扱われていた 綾瀬はるかの過去
「品川庄司の番組でアシスタント的なことをしていたのですが、品川さんに股間を見せつけられたりと、番組ではかなり雑な扱いを受けていました。また彼女自身、『マネージャーとケンカしちゃった』と口にするようなぶっちゃけキャラだったし、ある番組ではダイエット企画に挑戦して失敗し、事務所の大先輩の和田アキ子さんになじられて涙ぐんでいたことも。
「予想外というより、何とか綾瀬を売り出そうとするホリプロの面倒見のよさが印象に残りますね。バラエティー路線がダメなら女優路線に……という流れから察するに、綾瀬は最初から期待されていた。番組で雑な扱いを受けようが、事務所的に彼女は雑な存在じゃなかったのではないでしょうか」(鈴木さん)
「年齢を経て、魅力が浮き出てきたタイプなのだと思います。ひかりがアイドルだった当時、アイドルらしい、ハッキリした顔立ちの妹に対し、ゆり子はなんとなく地味に見えたもの。人の魅力は若さだけじゃない、ってことですよね」(鈴木さん)
「2人とも、アイドルとしてトップの人気者でなかったから、アイドルをやめてから自分のやりたいことを躊躇なくやれた、あるいは使われやすかった、というのもあるかもしれません」(鈴木さん)
不安しかなかった 小泉孝太郎の当初
「当時、われわれはあの会見以上のものを孝太郎に求めていませんでした。世間の興味が最高潮のデビュー会見こそがピークで、その後、彼はすんなりフェードアウトすると思っていましたから」(芸能レポーター)
「育ちのせいなのか、どことなく品があるんですよね。現代は“品”を感じさせる俳優ってほとんどいないので、それが功を奏したんだと思います。また、その爽やかさがあるからこそ“裏がある”役がこなせるようになった。あと、ムロツヨシと仲がよいというのも大きいですよね。世間から『面白い人だな』と思われると、なかなか人気も落ちない気がします」
「7年ほど前に『SCHOOL OF LOCK!』(TOYKO FM)というラジオ番組に関わっていたのですが、この番組には彼も何度か出演していました。放送終了後は当日の書き起こしをホームページに載せるのですが、米津からは『顔は出したくない』とリクエストがあったみたいで背後からの写真ばかりでしたね。どうも、学生時代から容姿にコンプレックスを持っていたようです」
「のちに彼はニコ動にアップしていた曲をすべて削除しています。それらは人から受けた影響が色濃く出すぎていて、本人からすると不満足な出来なのかもしれません」(鈴木)
「『ハチ』だったころの彼を知る人間からすると、今の米津玄師の成功は感慨深いと思います。あの急激な売れ方には、本人も信じられないのでは」(鈴木)
こんな人たちも「期待値外」だった!
北川景子
斎藤工
純烈
上戸彩
『昼顔』『半沢直樹』以前は、“視聴率が取れない女優”として名が知られていた
SMAP
ドラフト外
芸能人に直撃!
「“じゃないほう芸人”なんて言葉はない!」(レイザーラモンRGさん)
「あるあるネタ」やものまねがおなじみで、芸能人にもファンが多いのがレイザーラモンRGさん。しかし彼もかつては相方であるレイザーラモンHGの大ブレイクの陰に隠れていた時期があった。そんな彼に、芸能人の転機について聞いた。
「芸能人に“雌伏の時期”なんてありません。芸人ならネタや大喜利力を磨き、ミュージシャンなら曲を作って演奏力を磨く。毎日、やることも新たな発見もたくさんあります。
(プロフィール)1974年、熊本県生まれ。立命館大学経済学部卒。学生時代に学生プロレスでレイザーラモンHG(住谷正樹)と出会い、'97年に“レイザーラモン”を結成。吉本新喜劇などで活躍したのち、HGのブレイクをきっかけに東京へ進出。その後“あるあるネタ”などで人気を博す。
鈴木旭さん フリーランスの編集・ライター。元バンドマン、放送作家。エンタメ全般に詳しい。個人サイト「不滅のライティング・ブルース」http://s-akira.jp/