自宅で取材に応じてくれたとも子さん
娘が見つかって喜んでいる夢を見た
「ママ!」
《娘が見つかって抱きしめ合い、喜んでいる夢を見た》
「あれ以来、長女の姉は不登校に、夫は口数が少なくなりました。日々の生活でそういう場面を見ると、あのとき自分がついて行けばよかったと。思い出すたび、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない気持ちになります」
「ママ、行っていい?」
教科書は新品のまま
《学習は興味をもって取り組み、力を付けました。国語科「すずめのくらし」では、説明文を正しく読み取り、丁寧にノートにまとめました。運動神経がよく、運動会ではリレーの選手に選ばれ、毎日の練習に張り切って参加していました》
「美咲はリレーの選手に選ばれ、走るのをすごい楽しみにしていました。家の周りを何周も走って自主トレまでしていました。何に対してもやる気があって、最後まで納得いくまでやり切ります。芯が強くて、1人で努力するタイプですね」
「夏休みにみんなで朝顔を育てたんです。2学期に入って種を取ったのですが、美咲は参加できなくて……。そのときに枯れた朝顔のつるで作ってくれたリースでした。みんなで飾りつけもしたのでよかったらどうぞ、と言われて先生や子どもたちの思いに涙があふれ出てきました」
「美咲が描いた絵も渡され、もっと学校で描かせてあげたかった。毎日学校に行くのを本当に楽しみにしていて、勉強にも意欲的だったのに、それをさせてあげられないのがかわいそうでなりません」
長女はしばらく不登校に
「わたしじゃなくなった」
「祖父母の前では心配かけたくないから泣くのを我慢していて、押し入れで1人で泣いていたようです」
「長女は、美咲の『み』と聞くだけで、わーっと泣き出すような状態でした。みんなから『美咲ちゃんのお姉ちゃん』と呼ばれるのが嫌だと。だから学校には行きたくなかったけど我慢したと言っていました」
「自尊心を傷つけられたというか、自分がなくなったみたいで。どんな思いで過ごしてきたかと思うと、かわいそうで……」
「一緒に授業に行こうか」
「美咲がいたときみたいに笑ってご飯を食べるとかは一切ありません。会話もほとんどなく、長女が1人で話し、それに私が相槌を打つだけです。美咲がいないこと自体がつらすぎて、夫も長女を思いやる余裕がなく笑ってあげることができないんです。家族がそれぞれ自分を保つので精いっぱいといいますか。美咲が戻って来ない限り、元どおりにはならないと思います」
「美咲がいないのに、美味しいものを食べるのも気が引けてしまうんです。心の底から何かを楽しむこともなくなりました」
なぜ批判されるのか……
《畠山鈴香似》《疑惑の人物》
「とにかく風化はさせたくない。どんな些細なことでもいいから情報が欲しい。その一心でSNSを続けています」
《ご存じの方もいるかもしれませんが、うちの次女が行方不明になっています。皆さん、無事を祈って頂けると有難いです。》
「美咲の実名が報道されるまで数日ありましたが、私が経営する店のお客様が、インスタの投稿を心配する気持ちから拡散してくれたんです。ところが、過去の写真の投稿も残ったままだったので、美咲の写真が公開前に広まってしまいました。店のお客様だから直接やめてほしいとも言えなくて……」
《みなさんの気持ち、美咲にも私にも十分届いています。私のことは心配しないでください。─中略─。動物が大好きな美咲に見つかったら、たくさんの人と動物達も美咲の為に頑張ってくれたんだよと話してあげたいので、不謹慎かもしれませんが写真撮りました》(原文ママ)
《よくこんな時にインスタに投稿できるな》
《親の自己責任だろうが!》
「こんなときに店の宣伝かよって言われましたが、そうではありません。店の名前で検索する知人やお客様に伝えたかっただけです」
「電話は携帯に転送されるので、捜している最初の数日間は深夜も電話が鳴りやまず、大変でした。無言電話もありますし、出たら『お前はネットなんかしやがって、ふざけんじゃねえよ!』といきなり怒鳴りつけられ、説教されたりもしました」
「元をたどれば、あのとき、私が美咲についていかなかったから、こんな事態に至り、世間からも批判を受けている。みなさんに迷惑をかけてしまった原因は私にあるので……」
(次号・後編に続く)
取材・文/水谷竹秀 ノンフィクションライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。:バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)。