青木さやか 撮影/佐藤靖彦
「10年以上前に『婦人公論』で母との確執を取材してもらいました。その後も何度かお世話になり、1年ほど前に“ウェブサイトで連載を”とお誘いいただいたんです」(青木さん、以下同)
「あえて何でも書けるようなタイトルをつけていただいて、締め切りもテーマも文字数も非常にゆるっとしていた。おかげさまで今回、書籍の話になりました」
「連載はエッセイでしたが、書籍は“小説にしたいな”と思い、自分としては小説を書いたつもりでした」
「やっぱり主人公の名前を“さやか”としてしまったせいですかね~」
「“9割実話”とうたったのは出てくる人たちに迷惑をかけたくなかったからです。と、言ってしまうと、元も子もないのですが(笑)」
この本では母との仲直りを書こうと決める
《もし、母が選べるのだとしたら、わたしはこの母を決して選ばなかった。わたしはアンラッキーだ。どうしてわたしには、この母が割り当てられたのだろう》
「母との確執について、テレビ番組や雑誌で話してきました。それが母が亡くなる直前になって、ようやく関係を変えることができたんです。だから、この本は母との仲直りを書こうと決めました」
「私は職業柄、自分を客観的に見ることができる。本を書き進めるうちに気づいちゃったんです。“あー青木さやかって厄介な人だなぁ”って」
「世の中、自分的になにか引っかかる点があっても、それに気づかないふりでスルーできる人が多い。私の場合は、それが苦手です。すべての引っかかりに真正面からぶつかりたがる。こんな人間が身近にいたら周りの人は疲れちゃいますよね。だから友達にすごく感謝したんです。ありがたいな~って!」
「私はずっと母が嫌いでした。でもそれは母が特別に悪かったわけでもなく“私でさえなければ”うまくスルーできていたことの積み重ねの結果かもしれない。そんなふうに思うようになりました」
“たわいもない話をする難しさ”を知る
「親元を離れて上京したときも、娘を出産したときも、自分の中で母への気持ちが変わるかもしれないという期待があった。でも、無理でした。 自然に母への好意を持つことはどうしてもできず“仲直りをしよう”と強く意識して行動することでしか、関係を変えられなかったんです」
「今日は“いい娘じゃなくてごめんね”って謝ろう。今日は手をマッサージしてあげよう。毎回“ミッション”を決めて、クリアできるように努力しました。そのなかでいちばん難しかったのは、“たわいもない話をする”ということ。それって“いい空気感”が必要なんです。和やかでなければ叶わない。でも、母とは何十年もの間、ギクシャクとしていたので、どうしても空気がどんよりとしてしまって」
「舞台のお仕事では“登場と同時に場の空気を変えてください”なんて言っていただくことがありまして。母の病室でも最初は演技でしたが、和やかな雰囲気をつくって、世間話をすることができた。最終的に、母とはいいお別れができたと思います」
「例えば友達に愚痴を言ったら、その場はスッキリする。でも、根本的な解決ではないな、と思っていて」
「実際、私はそうすることで母との問題を解決できましたし、ラクになったんです」
「嫌いな親に対して“こうしたらいい”とかでなく、ただ“こんなケースもあるよ”と思っています」
渾身の書籍を小6愛娘に“やばい”と笑われ
「母から“勉強しなさい”と言われて育ったので、娘には“勉強なんてしなくていい”と言ってきたんです。でも、あるとき娘に“勉強しなくていいっていうことを押しつけないでほしい”と言われました。結局、私は母と同じことをしていたんですよね」
「“やばい”“え、なにママ、ソレどんな顔で言ったの?”って思いっきり笑われましたね。娘は私のことをダサいと思ってるんだろうか……はは。小学生の子たちが読んだら、どう思ってくれるんでしょうか(笑)」
「おかげさまで私は街で声をかけていただく機会も増えました。その一方で、有名になることの怖さも感じています。かつて、自分を取り巻く状況があまりにも変わりすぎてしまい、私自身と“青木さやか”という商品のバランスを取ることが難しくなってしまった。仕事は好きなのに、“私のことは忘れてほしい”という思いも、どこかにありました」
「心身ともに元気になるにつれて“またがんばりたいな”と思うようになった。だから、連載や本の執筆にも前向きになれました。有名になるのは今でも怖い。でも、一匹狼のような、かつての私じゃない。今は信頼できる仲間、友達、そして娘がいる。がんばれます」
ライターは見た!
「手書きだと時間がかかってしまうので、スマホでLINEのメモ機能を使って書きました。最後のころは熟練してきて、スクロールの指の感覚でざっくりとした文字数がつかめるように(笑)」
「右手の親指1本で文字を打ち込むので、指が痛くなって書けなくなってしまうことがありました。近所のお友達にそのことを話したら“手塚治虫先生と一緒じゃん!”って言われて高まりました」
「この本は、国語教師だった母が一緒に書いてくれたような気がします。学生のころには、母が書いた小論文でアナウンサー試験の面接まで進んだことがありますし(笑)」
「小さいころは毎週のように母が図書館から5冊の本を借りてくれて、例えば平岩弓枝さんの作品など子どもにしては難しい小説を読んでいました。それに、両親ともに本が好きで家には書庫があり、何千冊という蔵書がありましたから。暇があれば書庫にある大人向けの小説なども読んでいましたね。林真理子さんや吉本ばななさんの作品など、自分で買って読んだ本もたくさんあります」
「シャンプーや洗顔料は娘専用のものがあり、『使わないで!』と言われています。そのお金は私が出しているので『どういうことなの?』って思いますけど……。あと、テレビはほとんど見なくてもっぱらYouTubeですし、TikTokにも夢中です。どのあたりが面白いのかサッパリわからないのですが、娘も私のことを見て、同じようにわからないと思っているんでしょうね(苦笑)」
(取材・文/熊谷あづさ)
青木さやか●1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ! 」のネタでバラエティー番組で大ブレイク。そのほかドラマ、映画、舞台、エッセイの執筆など幅広く活躍中。