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漁師 長久保晶さん
「私、漁師になりたい!」何度門前払いされても諦めない小柄な女性を弟子にとったのは老漁師だった。孫ほどの年の差がある女性はやがて独り立ち。先天性脳性麻痺だった姉の自死を引きずりながら、細腕で一家を支えるママ漁師になった。引退した師匠と亡き姉。海へ出ると聞こえてくる2人の声に耳を傾け、新たな挑戦へ―。
素潜りでは身体ひとつで海の中へ
「獲物はサザエやアワビ。特にアワビは単価が高いから気合が入ります。数ある漁の中でも、素潜りがいちばん好きですね。身体ひとつでできるし、何より海の中は楽しい!」
「徐々に身体を慣らしていき、8月くらいになると深く、長く潜れるようになるんです。最大13mぐらいまで潜ったこともあります」
「タコ漁をしていたとき、よく獲れる場所にたこつぼとたこかごを仕掛けていたら、ほかの漁師さんが真横に船をつけてきたことがあって。誰がどこにかけてもいいことになっているけど、ちょっと常識的に考えられない近さで、腹が立ったことがありました」
「龍神様が祀られた赤い鳥居が目印の名島に船をつけ、素潜り漁の安全と豊漁を祈願するんです。今年は解禁日に波やうねりがなかったから、無事にお参りできました。
晶さんが師匠と呼ぶのは、葉山で半世紀以上にわたって漁師をやってきた矢嶋四郎さん(85)。今は引退しているが、晶さんは10年ほど前に四郎さんに弟子入りを許され、漁師になれた。
漁師になるため“師匠”のもとへ
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「私、漁師になりたい」
「最初は私1人で漁業協同組合に行って『漁師になりたい』と相談したんですが、全く相手にされませんでした。3回通ったけど、ダメ。うちは漁師の家系ではないし、女だし、無理だと思われていたようです。それでも諦めきれなくて、師匠になってくれる人を探しました」
「2007年真名瀬の海岸に遊歩道をつくる計画が持ち上がったとき、住民の反対運動が起きて……。その先頭に立っていたのが四郎さん。自分が生きてきた真名瀬の海を守るために『命がけで反対する』と言っていた四郎さんの顔が忘れられませんでした」
─弟子入りするなら、四郎さんしかない。
「私、漁師になりたいの。どうしたらいいかな?」
「いつでもいいよ!」
「四郎さんはヘリーハンセンの長靴を履いて、湘南ビーチFMの帽子がトレードマーク。とにかくおしゃれで海のことにも詳しくて、面倒見がいいもんだから、女性にモテてね。お弁当を作って遊びにくるファンもいた。晶ちゃんもその1人くらいにしか、思っていなかったんじゃないかな(笑)」
「ドキドキしていましたね。すごく緊張していて……。口調も結構強めだったと思う。
『本気で漁師になりたいから、修業させてくれる?』って。四郎さんの目をまっすぐ見て訴えました。そのとき、四郎さんの目つきが瞬時に変わって。あ、伝わった……って、何かを悟ってくれたような感じだった。今でもよく覚えています」
「よし、わかった。組合に行くから、履歴書を持ってこい」
おじいさん師匠の口癖「海は大切」
葉山にはそれまで女性の漁師が1人もいなかった。前例のないことから、組合でも反対の声が上がったが、四郎さんは組合長や県の役人と掛け合った。
「使い古しの網や道具を『これ、晶のな!』と渡されて、網の仕掛けや獲物の水揚げなどをさせてくれました。
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見習い漁師の間は、漁のお手伝いをするのがルール。普通は自分の網など持たせてもらえないという。しかし、四郎さんはルールなどおかまいなしでとにかく「やってみろ!」と実践をさせてくれた。おかげで見習い期間中にもかかわらず、晶さんの腕前は格段に進歩した。
「四郎さんは利便性を追求しない人で、そういうところを尊敬していました。手作りが好きで、網を縫うアバリを流木で作ったり、船のエンジンが故障したときは、私と2人分の重みに耐えて櫓を漕ぎ、浜まで帰ってきたこともありました。そんな漁師は葉山にもなかなかいないんですよ」
「海は大事にしろよ」が四郎さんの口癖。環境問題にも気を配り、海岸のプラスチックゴミを拾うなどビーチクリーンの先駆けでもあった。
「『海は大切。獲るだけじゃない』と言って、小さい魚やエビは捕まえても逃がしていましたね。今はあまり生えていないはばのり、アオサ、岩のりなど海藻の名前にも詳しくて、たくさん教えてもらいました」
「AKBって知ってるか?あっかんべーのことだ」
修業を始めて1年。晶さんは組合の漁師たちの審査を受けて準会員となり、2年後の2015年には正会員へ。30歳を迎え、ついに葉山初の女性漁師が誕生する。
「『今度こいつ、漁師になるんだよ』『モノになるかは、これからだけどな』と言って、四郎さんがうれしそうに話してくれたことをよく覚えています。晶ちゃんが一生懸命だったから、四郎さんもちゃんと教えてくれた。他人を教えるのは難しい。晶ちゃんの努力もあったと思う」
師匠のもとで流した悔し涙
一人前の漁師となった晶さんは、四郎さんのもとから独立。
「葉山の漁師は準会員を含めても100人あまり。そのうち1年中漁に出ている専業漁師は私を含めて20人ほど。春から夏にかけてワカメやヒジキ、素潜り漁である程度稼ぎますが、冬場はひと月5万円いかないこともあって。それだけじゃ食べていけないから、近所のカフェで『魚料理を出さないか』と誘われて、2年間店長をしたこともあります」
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「海の中はウツボをはじめおっかない魚がウヨウヨしているのに晶はおかまいなし。素潜りで10mくらい平気で潜って視野も広いし鋭い目を持ってる。天性の漁師だな」
「晶のつくるワカメもヒジキも仕事が丁寧で、見た目もきれい。だから売れる。何をやるにも前向きで一生懸命だから応援したくなるんだよ」
「なんだ、この編み方は!こんなんじゃダメだ」
「あんな網でイセエビ獲ろうとしてんじゃねぇよ」
「ある台風の日、タコの仕掛けを入れっぱなしにしていたら、『早く上げてこいよ』とまわりに言われたのを真に受けて、うねりが高い中、危ない目に遭って帰ってきたんです。そうしたら、『なんだオメェ海に出たのか。こんなときに出たらダメだろ』と言われて……。ようやく、からかわれていることに気がつきました」
「アイツらの言うことは真に受けるな」
「人のことは気にせず、自分の判断でやらないとダメだ。そういったことが身に沁みてわかりました」
働き詰めだった母の背中
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「小さいときから、出されたご飯をさっさと食べて、次のことをする。暇にしているところを見たことがない。なんでも自分でやってしまう手のかからない子どもでしたね」
「父は仕事が長続きしなくて……なんというか、ヒッピーみたいな人だったんです(笑)。履歴書を書かせたら、100種類以上の職業を転々としているんじゃないかな。そんな父に代わって、朝から夜中まで働き詰めの母の背中を見て、育ちました。
「網を引き揚げると、魚だけでなくハンマーヘッドシャークやイルカ、カメなどいろんな海の生き物がかかっていて、改めて海の豊かさに驚きました。何回か漁を体験させてもらううちに『こんな仕事ができたら幸せだ』。『漁師になりたい』という思いが芽生えてきました」
「3人の子どもを持つシングルマザーのゆうこさんは、どんなに大変でも常に笑顔で頑張っていた。そんな姿に惹かれ、私も彼女のような漁師になりたいと本気で考えるようになりました」
先天性脳性麻痺の姉が自殺
「お酒や睡眠導入剤を飲んでも、明け方近くに少しまどろむくらいしか眠れない。身体は疲れていても『もっと頑張んなきゃ』『もっと働かなきゃ』といった思いが胸を締めつける。これまでやりたいことは、自分で勝手に決め、人の顔色なんてうかがったこともなかったのに。ものすごく気になりだして、そんな時期が1年くらい続きました」
「実は、私が四郎さんに弟子入りをお願いした同じ日の夜……ひとつ上の姉が自殺してしまったんです」
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「雨が降っていたんです。寒いのに、病院に向かう道中バイクを走らせていたら、背中だけ急に温かくなって……、もしかして……って。
「姉は葉山でオーガニックコットンの畑をやって、自分の服を作りたいという夢を持っていました。そんな姉の夢を応援したくて、葉山で行われた環境のイベントに誘って、地元の人たちに紹介したりもしました。でも、今思えば、それも身勝手なひとりよがりだったのかと、考えてしまって……」
「姉は人付き合いや身体のことで悩んでいたから、あまり自分の悩み相談はしないようにしてきました。気を使いすぎてきたのかな……。でも、ある日ぽろっと悩みを相談してしまったことがあって。そのとき、姉はメールで『レッツ・ポジティブ・シンキングだよ!』とメッセージを送ってくれました。今でも、嫌なことがあると、この言葉を思い出してはつぶやいています。
「家族みんなが一生背負っていかなければならないことです。特に晶にとっては、ひとつ上の姉。だから人一倍、あの子の分まで頑張ろうという思いがどこかにあるんだと思います」
一家を支えるママ漁師
「いつも漁師の仕事を手伝ってくれる女の子のライブを見に行って、紹介されたのが同じバンドでギターを弾いていた夫。14歳上と聞いて、最初はないなと思いました(苦笑)
でも、人間関係に悩んでいたころ、話を聞いてくれたうえで平等に判断してくれる。私が間違っていたら『晶が悪い』とはっきり言ってくれる。この人は私を裏切らないと思って、妊娠をきっかけに結婚に踏み切りました」
「随分、男前でサバサバしてる娘だなぁと思いました。年下だけど年の差をあまり感じなかったですね」
「僕が漁師の仕事を手伝えば、倍稼げると思ってワカメ漁やヒジキ漁を手伝いましたが、夏場の素潜り漁は漁業権がないから何もできない。
「花男が生まれて、気がついたら、霧が晴れるように前を向けていました。
漁師だから伝えられること
「市場がないから、直接飲食店に卸すか、逗子や横須賀の市場に持っていくしかない。しかも葉山には魚屋もないから、葉山の住民は葉山の魚を買うこともできない。葉山でイセエビやアワビが獲れることを知らない人も多いんです。地元の人たちに地元で獲れた旬のものを味わってもらいたい。そんな思いで真名瀬の漁師を集めて、毎月第2土曜日に朝市をすることを思いつきました」
「『何かあったら、私がやる』とタンカを切って晶が先頭に立って頑張っていた。気っ風がよくて度胸がいい。真名瀬の巴御前だな。晶は(笑)」
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「まず、葉山でこんなにたくさんの種類の魚が獲れることに驚いた。しかも、ただ売るだけでなく、晶ちゃんは魚の捌き方も丁寧に教えてくれる。冬にはナマコの調理法から、こだわりのお酢、ゆずをのせる美味しい食べ方まで実演して、試食させてもらいました。でも、何よりのごちそうは、朝市に携わる真名瀬の漁師さんやご家族との会話でした」
こうした人気ぶりから朝市を月2回にしようという声も上がったが、天候に左右される海の産物だけで朝市を続けるのは難しかった。そこで、晶さんは魚だけでなく、野菜やコーヒーなどいろんなものが楽しめるマルシェとして発展させた。
「7月からはタコやサザエのオイル漬け、ヒジキご飯の素、ワカメの味噌汁の具などを作って、ホームぺージで売っていきたい。葉山の海の幸をもっと知ってもらいたいんです。水産加工品が人気を呼べば、私たち漁師の生活も安定しますから」
「御用邸の街として知られる葉山には、『葉山牛』以外に目玉になるブランド品がありません。そこで取り組んでいるのが、海で獲ってきたサザエに生け簀でキャベツを食べさせて出荷する『キャベツサザエ』の商品化。町とも協力して試食会なども行っています」
「キャベツを食べさせると、サザエのクセがなくなるんです。身もやわらかくなり、食べやすくなったという声もあって、今まで磯臭くて苦手だった女性や子どもたちには喜ばれるかもしれません」
師匠と姉の志「海を大切に…」
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「環境問題にいち早く目を向けた姉と、『海は大切。獲るだけじゃない』と言って小さな海の生き物を逃がし、海岸のプラスチックゴミを拾い集めていた四郎さんの姿をよく思い出します」
「自分で獲って食べるって生きるうえで大切なこと。それが子どもたちの世代でできなくなるのはかわいそう。これ以上、獲れなくなったら、子どもたちは将来何を食べるのかなって。弟子のころ、四郎さんが言っていたことが、今、すごく胸に響いています」
「いいコンビだったよ。最初で最後の愛弟子をとったことで、いつか四郎さんが亡くなっても技術や考え方は晶ちゃんに伝承される。四郎さんも、うれしいんじゃないかな」
「獲ってきたヒジキを釜に入れてじっくり蒸していく。一緒にそんな作業をしながら、食材がどうやって人の口に入るのか話しています。でも、いちばん伝えたいのは、ヒジキもアワビもサザエもこんなに少なくなってしまっているんだよってこと。サステナブルとか、SDGsって言葉を使うのは、まだちょっと気恥ずかしいんですけど(笑)」
子どもたちのためにも、なんとか葉山の海を守りたい。
「朝4時くらいにはそわそわしちゃって、毎年ワクワクが増えていく。漁に出るのが楽しみなんです。なんというか、ギャンブル要素がこの仕事の醍醐味。だからこそ、獲れなくなるのは困る。おばあちゃんになっても、漁師を続けていたいですね」
〈取材・文/島右近〉