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性被害を訴える女性の「告発記事」がSNS上で反響を呼んでいる。福祉団体で活動中、性暴力を受けたにもかかわらず、被害の口外をとがめられ、黙殺され続けてきたのだ。打ちのめされてなお声を上げた「本当の理由」を、女性が週刊女性だけに打ち明けてくれた。
相談相手は心配するどころか……
「福祉団体に関わる中で、外部の関係者から性暴力を受けました。スタッフや責任者に相談しても十分に話を聞いてもらえず、警察に届け出ることも止められ、被害をなかったように扱われたのです」
そう打ち明けるのは田中慶子さん(30代=仮名)だ。事件は2015年9月、東京・豊島区の『べてぶくろ』と呼ばれる福祉団体で起きた。自治会のイベント準備中、そこへ出入りしていた地域住民の鈴木章氏(仮名)から性暴力被害を受けたのだ。
「当時、午後4時まで介護ヘルパーの仕事をしていました。仕事を終えて『べてぶくろ』へ行くと、スタッフの高橋五郎さん(仮名)に“鈴木がいるから、お酒の相手をして”と言われました。お酒がなくなり、鈴木氏と2人で奥の部屋に酒を取りに行ったら、そこでキスされたんです。両手で押しのけましたが、勝手口のドアに追いやられ、無理やり胸を触られ、下着の中に指を入れられました」
事件直後、田中さんは高橋さんに相談の電話をしている。
「高橋さんは“明日、話を聞くから”となだめるようなことを笑いながら言い、電話が切れました。翌日にも話をしましたが、性被害に遭ったのに、その場で対応しなかったことの謝罪はなく、心配しているようには見えませんでした。そればかりか(性被害について話すと)“地域で生活しづらくなるけど、覚悟はあるの?”と、強く迫るようにも、とがめるようにも言われました」
それ以後、田中さんは5年もの間、『べてぶくろ』の関係者から事件を軽視され、訴えかけても黙殺されてきた。性被害を明らかにした後、周囲の対応や言動でさらに傷つけられる行為を「2次被害(セカンドレイプ)」という。積極的に関わってきた団体から2次被害を受け続けた田中さんは、傷を深め、うつに苦しむようになる。ヘルパーの仕事も続けられなくなり、退職を余儀なくされた。
田中さんが『べてぶくろ』と関わり始めたのは大学生だった'11年10月ごろ。もともと、精神障害などで生きづらさを抱える人たちの居場所として知られる、北海道浦河町の社会福祉法人『浦河べてるの家』(以下、『べてる』)に魅力を感じていたという。
『べてる』では「当事者研究」という取り組みが行われている。精神疾患や生活上の困りごとを抱える人たちが自ら独自の“病名”をつけ、症状や生きづらさの意味を一緒に考え、解消法を語り合い、病気を抱えながらも豊かに生きる方法を探っていく。画期的な活動としてNHKなど多数のメディアが取り上げ、海外からも注目を集めている。
この『べてる』の関連グループで、東京の拠点のひとつが前述した『べてぶくろ』だ。'10年に複数のNPOなどが関わる形で活動が始まり、参加者が自主的に運営している。実質的責任者は向谷地宣明さん。『べてる』の理事、向谷地生良さんの長男だ。
「私が『べてぶくろ』とつながったのは、うつでつらい時期でした。元彼がDV男で(DV被害の影響を)引きずっていたんです。そんなときに『べてぶくろ』が東京に設立され、行くことができてうれしかったです」(田中さん)
田中さんは『べてぶくろ』の事務所に足を運び、実質的責任者である宣明さんと交流を重ねた。'12年10月から'13年1月まで、グループホームの世話人を務めるなど有給スタッフとして働いている。
その後は介護ヘルパーの仕事をしながらブログ更新などの広報業務のほか、ネットショップの管理、商品管理、食事会や映画会などの企画運営を担ってきた。'15年8月には、空室だった『べてぶくろ』の事務所2階へ転居。事実上の中心メンバーだった。
セカンドレイプを「大目に見て」
事件は、田中さんが事務所2階へ引っ越して1か月後に起きた。『べてぶくろ』の宣明さんに話したが理解されず、『べてる』の理事・生良さんにも電話で相談している。
「生良さんには“(性被害について話すことをとがめたスタッフの)高橋は前途のある若者だから、大目に見てあげて”と言われました」
性暴力被害者への支援活動を行う『レイプクライシス・ネットワーク』の岡田実穂代表は「まず被害の訴えがあった時点できちんと話を聞くべきです。被害を初めて打ち明けたときの対応のよしあしは、多くのサバイバー(性暴力被害を生き延びた人々)にとって、その後に大きな影響を及ぼします」と指摘する。
2次被害をもたらした高橋さんとの接触を避けるため、田中さんは『べてぶくろ』の事務所2階にあった住まいから引っ越したいと考えた。
「宣明さんは、2次被害への賠償金名目で引っ越し代を支払うのを嫌がっていました。私は引っ越しできれば何でもよかったのですが、話し合いをするうち、宣明さんからこの件の連絡は途絶えました」
'16年8月ごろ、田中さんは結局、『べてぶくろ』の事務所2階から自費で退去した。
「引っ越して半年後、イベントに出向いて問いただすと、宣明さんに“高橋のことは加害者だとは思っていない”“時間がたってしまったのでしかたがない”などと言われました」
のちに田中さんは、'16年当時に行われていた『べてぶくろ』の運営ミーティングの記録メモを入手している。それによると、高橋さんが田中さんへの対応に困っていることが議題にあがる一方、事件や2次被害の問題については一切触れていなかった。
「性暴力が身近な場所で起きると、周囲は被害を受けた当事者へ対応するよりも、自己保身に走り、何もなかったように振る舞ってしまうことがあります。性被害にどう対応すればいいかスタッフが判断できないなら、団体として話を聞く場を設けるなど“重要な出来事”ととらえ、対応すべきでした」(前出の岡田さん)
今年に入ってからも田中さんは自ら弁護士に相談し、警察にも出向いた。現在、性暴力の加害者である鈴木氏、2次被害を及ぼした『べてぶくろ』の双方に向けて、法的対応を検討中だ。
『べてぶくろ』での2次被害について、これまでに田中さんは、当事者研究に関心を寄せる研究者や社会活動家らに手紙などで相談してきた。しかし、返事はほとんどなく、問題だと認識した人は少数で、ますます孤立感を深めた。
「そんななかで私を支えてくれたのは、知り合った、性暴力被害を受けた人たち。その出会いに助けられました」
一連の被害について、田中さんは'20年5月、文章などを投稿できるウェブサービス「note」に告発記事を書いた。トラウマとなった出来事を思い返すのは苦しかったが、うつに陥りながらも、ようやく整理ができたと話す。
「精神的な調子にも波があり、時間がかかりました。早く忘れて楽になりたいという気持ちもありましたが、何が起きたのか広めて知ってもらわないと、また繰り返し起きてしまう。私のような被害者を出したくない──、その一心でした」(田中さん)
一方、『べてぶくろ』では、田中さんが「どうして怒っているのか」に注目した話し合いが行われてきた。参加者のひとり、土谷隆司さん(30代=仮名)はこう話す。
「話し合いに参加していたころは、性暴力被害の重要性に気づけなかったんです。田中さんさえ許せば、『べてぶくろ』がよくなるんだと思っていました」
実は土谷さんも、『べてぶくろ』と関連のある団体で働いていたとき、残業代が支払われなかった問題を「note」で告発している。
「長時間労働で(べてぶくろ側と)対立したとき、“どうして怒っているの?”と言われ違和感を持ちました。田中さんがされたことと同じだと思っています」(土谷さん)
田中さんや土谷さんの告発に対し、当事者研究に関わる研究者、団体らによる『当事者研究ネットワーク』は6月10日、声明を発表した。第三者委員会を設置し《必要性が認められた場合には、組織変革を通じた修復を目指す仕組みの構築》を行うという。
この声明には、当事者研究を専門とする東京大学先端科学技術研究センター准教授・熊谷晋一郎さんのほか、『べてる』の生良さん、『べてぶくろ』の宣明さんも名を連ねている。熊谷さんは、田中さんが被害を相談したときに返信があった関係者のひとりだ。
田中さんは『べてぶくろ』での2次被害について《どのように受け止めたらよいかわからず、本当に困っています》などと、フェイスブックで熊谷さんへ意見を求めたが、2次被害への対処や謝罪、検証に結びつかなかった。
熊谷さんは、週刊女性の取材にこう回答した。
「田中さんの意向を“被害者支援ではなく加害者への再犯防止教育”と解釈し、1年半強にわたり、(協力関係にある)『ダルク女性ハウス』のみなさんのご指導を仰ぎつつ、当事者研究コミュニティーのなかで女性への暴力について、その防止と急性期対応、中長期的支援について共有する取り組みをしてきました。その間、田中さんが不安な気持ちで待っておられたということに認識がいたらなかったのは、私の落ち度です」
田中さんが相談をした当時、熊谷さんは、被害の具体的内容を把握しなかった。
「被害に遭った時点で(べてぶくろの)スタッフが報告を過小評価せず、被害者側に寄り添って本人の意思決定支援をしつつ、可能な限り迅速に司法手続きを進めるべきだったと私も思います。今から思えば、私も踏み込んで確認すべきでした」(熊谷さん)
声明には、当事者である『べてぶくろ』『べてる』の名前があるにもかかわらず、被害者の田中さんに意見を尋ねることなく発表された。こうした経緯についても、熊谷さんは謝罪している。
一方、『べてぶくろ』では、実質的責任者の宣明さんが6月21日、ホームページで見解を発表。2次被害を生み出したことを認め、《あらためてお詫びをさせていただく準備をしています》とある。しかし、週刊女性には「現時点で外部の取材に答えることは控えさせていただく」と回答した。
前出・岡田さんは「被害者と話ができる状況だったにもかかわらず、意向を確認しないで声明を発表したり、第三者委員会を設置したりするのは、被害者には恐怖です。暴力でしかない」と批判する。
7月末時点で、『べてぶくろ』や関連団体から田中さんへの聞き取りはまだない。事件の検証、2次被害に対する謝罪もなされていない。
「もし被害を受けたときに、『べてぶくろ』が一緒になって怒ってくれていたら、私はこんなに苦しむことはなかったと思います」(田中さん)
その痛切な訴えに、今こそ真摯に向き合うべきだろう。
(取材・文/渋井哲也)
しぶい・てつや ◎フリーライター。栃木県出身。自殺やいじめ、虐待など、生きづらさをめぐる問題を中心に執筆、東日本大震災の被災地でも取材を重ねている。『学校が子どもを殺すとき』(論創社)ほか著書多数