『ボヘミアン・ラプソディ』の日本語バージョンを披露する氷川
湯川さんは「東京のお母さん」
「私は氷川君を、デビューしたときから知ってるんですよ」
「私は、『おふくろさん』や『骨まで愛して』などで知られる作詞家で作家の川内康範さんと親友というくらい仲がよくって。その康範さんと、氷川君のプロダクションの会長・長良じゅんさんはとても仲よしだった。だから、3人でしょっちゅうゴハンを食べたりしてたの。長良さんはすごく音楽がわかる人で、芸能界の生え抜きのマネージャーであり、信念を持ってヒット曲を作り続けてきた人。氷川君のあの『箱根八里の半次郎』('00年)での鮮烈デビューは、長良さんだったからこそできたことなんですよ」
「でも、8年前に長良さんが青天の霹靂の事故で急死されたこともあり、ここ6年くらいかな? 悩みをいろいろと聞くようになりました。家も近くてね。私は氷川君のお母様よりも年上ですから、孫に近い感じですよね」
「やっぱり、フレディ・マーキュリーの孤独ですよね。フレディの場合はホモセクシャルであり、それを自分でもなかなか気づかないでいた。そういう意味では“魂のさまよい人”のようになってしまって、それで苦しんだ」
期待と愛に応え続ける孤独
「私はエルビス・プレスリーやマイケル・ジャクソンなど、世界のスーパースターに接する機会が多かったものですから、彼らのことを“魂のアスリート”と呼んでいます。必ずどんな場合でも最高の結果を期待される。そのコンサートを聴くために、世界中の人がお金を貯め、休暇を取り、飛行機に乗って、そのためにやって来る。
そのポジションは、誰にも代わってもらえないんですね。“緊急入院しました”とか、“死んでしまいました”なんて報道でもない限り、ドタキャンができない。自分の限界ギリギリまで、押し寄せてくる期待と愛に応え続ける」
「氷川君は“自分が歌いたいのは演歌だけじゃない。もっとロックもポップスもシャンソンも歌いたい”と、ずっと言っていたの。そういう意味でのイメージに縛られることのつらさっていうのは、マイケルもエルビスもみんな話していたことですが、本当の自分を出すことを許してもらえないんですね。当然、そのイメージで生きるスーパースターにビジネスで依存して生きる人は何千人にものぼります。それが何十年も続く。想像を絶する孤独だと思いますよ」
「氷川君はいきなり変わったわけじゃないと思います」
「あのロック調の歌を歌ったころから、徐々にいろいろ変わってきた。40歳を迎え、“そろそろ変わってもいいのでは?”という意識が氷川君だけでなく、周囲にも芽生えたんだと思います」
「与えられた歌だけじゃなく、自分の人生の賛歌として歌いたいと思える歌。あるいは自分の悲しみ、喜び、苦しみがすべて詰まっている歌。例えば、エディット・ピアフにとっての『愛の讃歌』のような」
「“先生、僕、あの『ボヘミアン・ラプソディ』を歌いたい”と。2人で話す中で英語では無理だし、意味がないということになりました。私は日本語で『ボヘミアン・ラプソディ』を歌ったことのある人に2人、心当たりがあったので、“訳詞があると思うから、聞いてみてあげるね”と言いました」
「“クイーン側の許諾が下りていません”との返事が。『ボヘミアン・ラプソディ』は'75年の歌ですから、すでに40年がたっている。当然、歌っている人はもっといていいはずなんだけど、そうではない理由がわかりました。イギリスのクイーン側に正式に許諾を受けるしかない。それがわかったのは5月でした」
「英語は日本語の3倍、意味を持っています。つまり、日本語に訳詞をするということは、歌に込められた思いを変えることなく、3分の1に要約しないといけないんです」
「“訳詞は、日本作詩家協会の顧問を務め、作詞家としても音楽評論家としても実績があり、クイーンにインタビューをしたこともある、キャリア60年の湯川れい子がやりました。歌うのは、キャリア20年の日本のトップシンガーである氷川きよしです。それを条件に、認めてもらえませんか?”と申請しました」
「作家にとって、言葉は命。簡単にはいじってもらいたくないという思いがある。いい曲ならいい曲ほど、自分が愛してる曲なら、愛してる曲ほどあるんじゃないですか? 私だって、もし、『六本木心中』を誰かが英語で歌いたいと言ってきたとして、簡単に“いいですよ”とは言わないですよ。“長いまつ毛がヒワイね あなた”のニュアンスを英語にできるのか? どんな歌手が歌うのか? 厳しい目で見ますよ。ましてや『ボヘミアン・ラプソディ』は、作詞も作曲もフレディ・マーキュリー。彼がもう故人だけに、周囲はよけいに慎重じゃないですか?」
「うれしかったですよ! 氷川君がいたからできたことだし、氷川君のためだからできたこと。でも喜んでいるひまはなく、すぐオーケストラのアレンジとコーラスを入れる作業が始まりました。本当によく間に合ったと思いますよ。いよいよ氷川君に歌ってもらうことができたのは12月2日でしたから」
「氷川君、苦しかったと思いますよ。例えば、ガリレオガリレオというオペラ仕立ての部分。あそこはコーラスとのたたみかけるような掛け合いです。レコーディングしてあるコーラスを使って歌ってみたところ、あまりにスカスカで。2人とも“うーん”という感じでしたから(笑)。だから、なるべく氷川君自身に歌わせるようにしました」
「とにかくその音源でメロディーだけはしっかり身体に入れ込みなさい。歌おうと思わず、演じてみて。自分の人生、死ぬか生きるかの瀬戸際まで追いつめられて、自分の母親に“ママ、ごめんなさい。僕が帰って来なくても生きて。生きてくれ!”と叫ぶ気持ちで演じ切ってみせてね」
「それから彼、頑張ったんでしょう。毎日忙しくて、クタクタになって帰ってくるのに。死に物狂いで毎晩、練習したんでしょうね」
「酒井さんは“『ボヘミアン・ラプソディ』、本当にすごかった、素晴らしかった。もう僕、泣いちゃいましたよ。あれはもう氷川君じゃない。別人格が歌っていた”と興奮ぎみにおっしゃってて」
「本当にすごかったです。大型モニターに映る氷川君の目がもう、飛んでるのね。いつものかわいいきーちゃんじゃなくて。もう完全に主人公になりきっていた。でもフレディ・マーキュリーのまねじゃない。全然コピーじゃない。もう途中から涙はボロボロ出てくるわ、耳の後ろはゾクゾクするわ。歌い終わった瞬間、“ブラボー! ブラボーブラボー!”と叫んでいましたよ」
「そうですよね。今月、クイーンが日本に来てくれますから。『きよしこの夜』の映像や音源をクイーンに届けたいと思っています。その結果、アルバムなのかDVDなのかはわかりませんが、発売ができるような認可をもらいたいと思っています」
「特に昨年の20周年の活動を見てきて、そう思いますね。今もたくさんの優れた歌い手さんはいらっしゃいますけれど、私の位置づけとしては、美空ひばりさんの後に位置する歌い手になっていると思いますね。生まれついての華、天性。それは神様にもらったものなんですよね」
「自分で磨いて磨いて磨いて。そして、上から光が差し込むことで、ブリリアンカットはやっと光るんですよ。そうやって得た輝きは、誰にもまねできず、追従できない。ただ、磨いているプロセスは本当に苦しい。孤独を抱え込まないといけない。それを彼は確実に今やっていますよね。そういう意味での燦然とした光を、氷川君は放ち始めた段階じゃないかしら?」
「だからこそ、不幸になってほしくないのよね。スーパースターはみんな、それで不幸になっていくから。短命な人も多いです。エルビスは42歳、マイケルは50歳、美空ひばりさんも52歳でこの世を去っていますから。氷川君には長生きしてほしいし、ひとりの人間として幸せになってほしい」
「そう。例えば、スーパースターの中でも、エルトン・ジョン。映画『ロケットマン』のとおり、あれだけの苦しみを背負いながら、彼は生き抜いたじゃないですか。今は2人の子どもがいて。本当に幸せそうよ。ああいう幸せをつかむ可能性って、非常に少ないですよね。でも、私は氷川君によく言うの。“不可能はない。あなたが何を望んでも、あなたが努力する限り不可能はない!”ってね。本当にそう思うのよ、ばぁばとしてね(笑)」
湯川れい子 1936年生まれ。音楽評論家、作詞家、翻訳家。エルビス・プレスリーやビートルズを日本に広めた功績は大きい。作詞家としてのヒット曲に『涙の太陽』『ランナウェイ』『センチメンタル・ジャーニー』『六本木心中』など多数。音楽業界でのキャリアは今年で60年