2017年の右團次襲名から使っていいるという楽屋の暖簾の前で。息子の右近くんが遊びに来ることもあるそうだが、「今日は家で宿題に苦戦してるんじゃないかな(笑)」 撮影/近藤陽介
「先日、うちの倅(せがれ)のインタビューを載せていただいて。すぐに買いに行きましたよ!」
秋元康演出の新作に出演
「大みそかまでお稽古で。元日はお休みですが、朝から先輩方のところへ10数軒、ご挨拶に回るんです。そして2日はまたお稽古で、翌日はもう初日。お正月だからといって、のんびりはしていられませんね(笑)」
「そんな記念すべき公演で、市川家の一員としてご一緒させていただけるわけですから、すごく幸せです」
「かなり前にラジオで共演させていただいて以来で、まさかこういう形でまたご一緒させていただくとは思ってもいなかったので、うれしかったですね。僕ら役者が意見を出し合ったり、秋元さんにもこだわりがあったりして、台本ができあがってからも何度も修正が入ったりと、思った以上に難航しました(笑)」
“でも、そのぶん、いいものになったんじゃないかな”と笑顔。
「舞台美術や照明にはブロードウェイで活躍している方をお招きして。歌舞伎って様式性を重んじるところがあるから、あまりはずれてしまうと歌舞伎でなくなってしまうし、僕らがやる意味もなくなってしまう。だから、その“枠”の中でどこまで広げられるかなんです。これまでとはひと味違った歌舞伎を楽しんでもらえると思います」
海老蔵の優れた“先見の明”
「最初に“市川宗家に市川右團次という名前があります”とお話を持ってきてくださったのが海老蔵さんでした。最終的に師匠(二代目市川猿翁)に許しをいただいたとき、海老蔵さんは自分のことのように喜んでくださいましたね」
「一刻も早く右團次になって、そして一刻も早くそのお名前をタケルくん(右團次の長男で現・右近・9歳)に継がせてください、と。
それはどういうことかというと、(海老蔵の長男である)勸玄くんが大人になったときに、“右團次がいる”ということまで考えているということ。海老蔵さんは自分たちの時代だけでなく、将来のビジョンまでしっかり見据えてらっしゃる。市川家の発展=歌舞伎の発展にもつながるわけですから」
「親としては、安心しましたよ(笑)。やっぱりお稽古は大変ですし、好きじゃないとできない。でも幸いにもうちの倅はとても歌舞伎が好きで、お稽古も率先してやりたがる。ありがたい限りです」
2020年は海外からも注目
「でも、稽古中はもちろん師弟関係にあるので、厳しくもしますよ。“パパは、できたことができなくなることがいちばん嫌だからね”って伝えて(笑)。もちろん、よくできたときはちゃんと褒めます。彼が演じることでお客様に喜んでいただければ、結果、彼の喜びにもつながる。そこはちゃんと理解してもらって、祈る思いで厳しくしていますね」
「海外のお客様に歌舞伎を紹介する機会になるので、海外に向けての発信もあると思います。日本中が盛り上がる1年であり、團十郎白猿襲名という市川家にとって、歌舞伎界にとっても大きな1年。微力ながらサポートさせていただいて、心新たに2020年という1年を過ごせたらと思います」
「もちろん、見てました! 毎週シャンパンをあけて(笑)。ドラマと歌舞伎では、声の出し方もお芝居の仕方も全然違うので、ドラマ終わりの歌舞伎の稽古では、彼の演技は少しドラマ寄りになっていましたね。
秋元康が手がける歌舞伎にも挑戦