飯綱町内に広がるリンゴ畑では秋、真っ赤に色づいた無数のリンゴが木の枝を重たそうにたわませる。農産物直売所にはリンゴがずらり。町のゆるキャラは顔がリンゴ。町議会を傍聴すれば「日本一のリンゴのまち」というフレーズを何度も聞く。国内のリンゴの約1%が町産だといい、シナノゴールド、ふじ、秋映など50品種以上が育つ。中でも江戸時代から育てられてきた「高坂(こうさか)りんご」は、一時消滅の危機にひんしたものの、地元農家の奮闘もあって復活し、今では人気のシードルに欠かせない存在になっている。
人気品種「ふじ」で造ると、味は甘くてすっきりとする。そこへ町指定の天然記念物「高坂りんご」を加えることで苦み、酸味が加わり、深くて複雑な味わいになる。「いいづなシードル」は町内にあるサンクゼール本店限定で販売され、多くの人が買い求めに訪れている。醸造責任者の野村京平さん(45)は「毎年、前年のおいしさを超えられるよう造っている」と力を込める。
明治の終わりから大正初めごろまでに西洋リンゴの栽培が始まった飯綱町。昭和になり生糸の価格が下落、養蚕用の桑に代わって生産が盛んになった。
標高500~700メートルほどの丘陵地帯が広がり、昼夜の寒暖差が大きいこと、空気が乾燥していること、日照量が多く、降水量が少ないことなどの条件が栽培に適している。実にたっぷり養分が蓄えられ、濃い味わいをもたらすという。
一方、高坂りんごは和リンゴで、西洋リンゴが導入される前の江戸時代から旧牟礼村(現飯綱町)の山あい、高坂地区で、隣接する長野市の善光寺参りの土産物、お盆の飾り物や整腸作用の薬代わりなどとして育てられていたとみられる。大きさは、ふじと比べて半分以下だ。
明治期まで盛んに栽培されたが、実が大きい西洋リンゴの普及で昭和の終わりごろには激減。地元の米沢稔秋(としあき)さん(故人)が復活に取り組み、町内農家が再び栽培するようになった。2005年に旧牟礼村の文化財に指定された。
野村さんたちは農家、町と協力したり、本場のフランスを視察したりして商品化を実現。シードルは瓶の中で2次発酵させて酵母の働きによって炭酸が生まれる昔ながらの製法にこだわる。17年に蒸留器も導入し、高坂りんごとふじのブランデー「いいづなアップルブランデー」も開発した。
野村さんは「おいしいお酒が造れるのは、良い原料があってこそ」と話している。
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【記者のひと言】 多様な品ぞろえ お楽しみ 報道部・岩安良祐記者
仕事が終わった夜、シードルの瓶を開けた。口いっぱいにリンゴの甘さと酸味が広がり、想像していた以上に味は濃い。シュワシュワと喉を抜けると、次第に頭にアルコールが回っていくのを感じた。
すぐに空になったので即座にブランデーを開け、ロックでいただいた。カッと喉は熱くなり、鼻をリンゴの香りが通った。ブランデーは在庫が少ないという。
飯綱町内に農産物直売所は3カ所あり、仕事で行く機会がよくある。取材後につい長居してしまうこともしばしばだ。品ぞろえは多種多様だが、リンゴの加工品だけでも目移りしてしまう。ジャム、ジュース、ビール、酢…。次は何を買おうかな。
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【わがまち紹介】 町内外の人をつなげる施設も
西の飯縄山と東の斑尾山の間に広がる丘陵地に飯綱町は位置する。町役場のある中心部は江戸時代、旧北国街道の宿場町、牟礼宿として栄えた。2005年10月に旧牟礼村と旧三水村が合併して誕生。豊かな自然を生かした農業が基幹産業。飯綱東高原は日帰り温泉、スキー場、ゴルフ場などがあり観光客が訪れる。
近年は、閉校した二つの小学校を改装し活用した施設「いいづなコネクトEAST」「いいづなコネクトWEST」が住民や企業、町外の人をつなげ、注目を集める。オフィスのほか、飲食店やフリースクールなどが入居。催しも盛んに開かれている。1月末時点で4227世帯、1万345人が暮らす。
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【もうひと推し】 組み合わせ自由 野菜刻んだ「やたら」
「やたらと細かく刻む」「やたらと生野菜を何でも入れる」「やたらおいしい」。ナス、キュウリ、ミョウガ、ぼたんこしょう(青唐辛子)と大根のみそ漬けを細かく刻んで交ぜる家庭料理「やたら」。飯綱町や周辺地域ではご飯、そうめん、冷ややっこなどと合わせる。
毎夏、町内の飲食店はやたらを使った創作料理を提供する「やたら祭り」を開催。ピザやバーガーなどとの組み合わせも面白い。町担当職員は「ミョウガ味とみそ漬けの組み合わせが癖になる。ぼたんこしょうのアクセントで食欲のない夏でも食べられる」と薦める。
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