幕末に坂本龍馬が率いた海援隊の“解散の地”が、丸亀市新浜町の遍照寺(大西正紀住職)だったことが専門家の研究で分かり、歴史ファンらの関心を集めている。海援隊が解散直前に本拠を置いていた場所は知られていなかったが、江戸時代の古地図などを基に裏付けられた。
海援隊は、龍馬らが1865年に設立した日本初の商社「亀山社中」を改称し、西洋の物産や武器、艦船などを輸入して討幕派を援助した。龍馬が暗殺された後の68年、2代目隊長に長岡謙吉が就任。戊辰戦争の際、長岡は備讃瀬戸エリアに本拠を置き、幕府領の塩飽諸島や小豆島を平定したが、同年4月に土佐藩の命令で海援隊は解散となった。
明治維新史を研究している早稲田大の遠矢浩規教授によると、書簡などを調べた結果、長岡が丸亀市内の「白蓮社」を拠点にしていたことが特定できた。さらに、江戸後期に書かれた「金毘羅参詣案内大略図」に白蓮社と遍照寺が併記されていることなども確認。4年前に「遍照寺には海援隊が解散直前に本拠を置いていた」との研究報告を大西住職に伝えた。白蓮社は現在の本堂(1902年に再建)がある場所に建っていたとみられ、同寺は参拝客らに広く知ってもらおうと、境内と山門付近に解説板や石碑を設けた。
11月20日には丸亀市沿岸部を巡り、その変遷を学ぶ講座を県立文書館が開き、参加者は同寺などを訪れた。同館主任専門職員で国立公文書館が認証する文書管理の専門職「認証アーキビスト」の嶋田典人さんが解説し、参加した同市垂水町の都築克徳さん(66)は「海援隊との関係がきちんと史料で特定できたのは重要なこと。ここに革新的な文化があったようにも思え、誇らしい」と感想を述べた。大西住職は長岡が白蓮社で私塾を開いていたことなどを踏まえ、「幕末から明治の激動期に、長岡が丸亀に大きな影響を残した。そんな郷土の歴史に興味を持ってもらえれば」と話している。