韓国で昨年12月27日に公開された映画『1987』。1987年1月にソウル大学の学生だった朴鍾哲(パク・チョンチョル)が警察に連行され、拷問され死亡した事件をきっかけに民主化運動が燃え上がり、ついに全斗煥(チョン・ドゥファン)軍事政権を倒すに至るまでを描いたものだ。1月28日までに観客動員数の累計が700万人を突破する大ヒットを記録している。
後に国会議員となり、盧武鉉政権の保健福祉相を務めた故金槿泰(キム・グンテ)氏への拷問を描いた『南営洞1985~国家暴力、22日間の記録~』、1981年に韓国釜山で起きた冤罪事件「釜林事件」をモチーフにした『弁護人』など、韓国では過去の軍事政権が行った凄惨な人権侵害を描いた映画が数多く制作されている。
民主化から30年、韓国ではもはや当時のような拷問が行われることはまず考えられないことだが、北朝鮮では未だに続いている。
(参考記事:北朝鮮、脱北者拘禁施設の過酷な実態…「女性収監者は裸で調査」「性暴行」「強制堕胎」も)
両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋は、最近起きた拷問の事例について語った。
「金亨稷(キムヒョンジク)郡の古邑(コウプ)労働者区に住んでいる40歳男性が昨年末、中国にいる娘と電話していたところを保衛部(秘密警察)に逮捕された。『韓国に電話した』とスパイ容疑をかけられ連行されたのだ」
この男性は、5年前に中国に行った娘に送金を頼むため電話をかけたところで逮捕された。保衛部が装備する移動式探知機は3メートル単位で電波の発信源を突き止めるため、5分以上通話することは非常に危険なのだが、募る話があってか、ついつい長電話してしまったようだ。
男性は、壁に霜がついた冷凍庫のような独房に閉じ込められ、足が凍りついて歩けなくなった。それだけでも拷問といえるが、取調官は「南朝鮮に電話したと言え」と暴行を加えた。
通話記録には中国にかけた記録しか残っていないのに、保衛部は摘発実績を上げるためか、男性を無理やりスパイに仕立てようと拷問を加えたのだ。男性は13日後、ボロキレのような状態になって釈放された。いくら拷問を加えても認めないので、保衛部はこれ以上取り調べを続けるのは無駄だと判断したようだ。
自宅に戻った男性は凍傷の治療を受けたが、結局足の指2本が壊死してしまった。切断手術を受けなければならないが、すぐに手術を受けなければ骨まで壊疽して足を切断するしかない。医者の話を聞いてショックを受けた男性の妻は、保衛部に怒鳴り込んだ。
「うちの夫が障がい者になったらどうしてくれるんだ、責任取れ!」 「中央に信訴(シンソ)してやる!」
信訴とは、理不尽な目に遭った国民が中央に訴える「目安箱」のようなシステムだが、下手に利用すると返り討ちに遭いかねない。それ以前に、保衛部に怒鳴り込むことそのものが危険な行為だ。
それを考えると、この男性と妻は、それなりの地位や財力、地方幹部とのコネを持った人物と思われる。
その証拠に、この件で保衛部は大慌てして、医療費と見舞金を夫婦に握らせた。しかし、被害者側は矛を収めるには至っていないという。
この話が郡内に広がり、市民の間には怨嗟の声が渦巻いている。
「暮らし向きがよければ中国や南朝鮮にいるきょうだいに送金を頼む必要がない」「保衛部は無実の人を犯罪者に仕立てて、教化所(刑務所)送りにするのに飽き足らず、障がい者にして苦痛を与えている」
韓国では、軍事政権による虐殺、拷問などの人権侵害の真相究明のための調査が続けられ、徹底した断罪が行われている。
朴鍾哲さんの拷問致死の現場は、今では警察庁人権センターと名付けられ、戒めとして一般に公開されている。
一方では、北朝鮮人権記録保存所が作られ、北朝鮮で起きた人権侵害事例をデータベース化する作業が続けられている。もし北朝鮮の体制が変わる日が来れば、人権侵害に加担した保衛部の関係者は、厳しく断罪される可能性が高いということだ。