米国のウェズリアン大で学ぶ石田智識さん。東大を半年でやめ、当初の目標であった大学で学ぶために渡米しました。「中1の僕では考えられない進路」と話します。転機は何だったのでしょうか。また、自身の中高時代や日米の大学入試を通じ、教育にも関心を持っているといいます。話を聞きました。(写真は、フリスビーサークルのパーティーで同級生と。中央右が石田さん=石田智識さん提供)
話を聞いた人
石田智識さん
米ウェズリアン大学2年
(いしだ・ともし)1999年、大阪市生まれ。市立小から灘中高に進み、2018年、東大理科Ⅱ類へ進学。その年の9月に東大をやめ、米コネチカット州にあるリベラルアーツ系の難関、ウェズリアン大へ入学。20年9月から1年休学し、卒業後を見据えて長期インターン中。21年9月に復学予定。
ニュージーランド研修で一変
中1の僕には考えられない進路です。まさか大学から海外に出ているなんて。
転機は中2。住んでいた大阪市の区の事業で3週間、ニュージーランドのオークランドへ語学研修に行ったことです。自分から行きたいと言ったわけでなく、母が勧めてくれました。でも当時は「めんどくさい」でしたね。両親と祖父母が僕を説得し、いまいち気が乗らないまま飛行機に乗りました。
それで人生が変わりました。見るもの、聞くもの、全てが新鮮。いろいろな人に出会って未知の世界を知るのは楽しくて、「挑戦するっていいな」と思えたんです。
それまでの僕は、クラスメートとサッカー部の人としか関わらない狭い世界で生きていました。狭いとも思わなかったし、現状が心地よかったんです。変えようとか思ったことはなく、淡々と過ごしていましたね。それがニュージーランドから戻って、挑戦してみたい気持ちが沸々と生まれました。英語を使って活動するESS(English Speaking Society)やマジックなどのクラブ活動に入り、生徒会もやりました。そんな変化に、僕自身が一番びっくりしました。
英語に関しては、中1のbe動詞がスタートです。それまで習ったことはありません。灘中は、中2の夏には中学で習う範囲が終わっているのですが、それだけではしゃべれないことはニュージーランドで経験済みです。通学に1時間半かかったので、電車に乗っている時間を活用しました。様々な分野の専門家によるプレゼンテーションをスマホで無料で視聴できる動画配信サービス「TED Talks」を見たり、映画やドラマを見たり。映画やドラマは好きだったので、息抜きでもありました。
高1で同級生たちは学校行事の一環で英国に行ったのですが、僕は個人で申し込んだ米マサチューセッツ工科大がやっている留学生向けのプログラムに参加しました。いろいろと悔しい思いもして、成長できたと思っています。またその頃、母が新聞で見つけた、HLAB主催のサマースクールに参加しました。海外大の学生もいて、自分が何をしたいのかを深く考えましたし、海外大という選択肢があるということを知り、「大学から海外に行きたい」と思い始めました。米国の入試は「何したい?」が問われるもの。その過程を含めて、経験してみたいと思ったんです。
というのも、自分自身が何をやりたいのか分からないままでした。「勉強していれば、何となくレールはあるし」とも思っていました。灘に入学すると、親の期待や周囲の影響もあって、「とりあえず東大」「とりあえず医学部」という同級生が多かったです。中1からそのための塾に通う生徒も多かったですし。僕の両親も医学部に進学してほしかったようで、僕も「東大か医学部かな」と漫然と思っていました。
英語の土台は国語力
米国の大学に行こうと思ったものの、その高い学費が払えるのか、という現実的な問題がありました。両親には「未知の選択をわざわざすることはない」とも言われました。でも僕も譲れない。どうするのか、なかなか決まらない時間が続きました。
動いたのは、高2の2月です。「とりあえず勉強していい大学に行けばいい、という日本の価値観を問い直すために、米国の教育を体験して、日本の教育を客観的に見つめたい」といったようなことを両親に話して説得しました。ちょうど柳井正財団から奨学金がもらえることにもなり、日本の大学も受験することを条件に親がOKしてくれました。ちなみに、現在は生活費などを含めて年800万円かかりますが、財団の奨学金でやれています。親が出しているのは、往復の飛行機代ぐらいでしょうか。
両親からOKが出て、そこから本格的に準備を始めました。米国の大学の受験準備と、日本の大学の試験勉強の両立は、思った以上にハード。いかに効率よく勉強するかを考えました。灘高の同級生たちは、余裕で東大に合格するレベルまで仕上げていくのですが、僕は合格最低点+20点を目指して勉強し、あとは米国の大学の対策にあてました。
1日の時間でいうと、放課後は時間を計ってSAT(米国の大学入学者向けの学力テスト)対策をし、夕飯を食べてからは日本の大学向けの勉強をしました。SATは、国語(英語)800点、数学800点の計1600点。数学はなんとかなりますが、英語はいってみれば日本の高校生向けに作った大学入学共通テストの国語を解くようなもの。英語の単語力を上げ、ひたすら問題を解きまくりました。ただ「内容を理解して、正解を選んでいく」のは日本の国語と一緒。土台は国語の力だと思います。
入試に必要なTOEFLとエッセーは、専門塾でみてもらいました。高3の12月は1カ月間、ひたすらエッセーを書いて添削してもらい、書き直していましたね。エッセーは、教育のことを書きました。「とりあえず勉強して、周囲の期待や流れに乗って進路を決めていく」ことに違和感を持ったこと、こうした風潮はどうしたら変えられるのか、といったことを書きました。実際、医学部を目指す同級生から「俺ってほんまに医者になりたいんか?」といった声を聞いたことがあります。理系と文系に分けることにもモヤモヤしており、そうした自分の経験に引きつけて書きました。
悩んだら「やる」を選ぶ
灘高では、僕を入れて3人が海外の大学を受験しました。いろいろと言われましたね。「東大しか考えていない人が多い中で、別の選択肢を取ろうとするのはすごい」と言われたこともあれば、「意識高っ!」と言われたこともあります。
スタートが遅かったので、受験したのは8校のみ。落ち続けて、東大の合格が先に来て、「どうしようか」と思っていた頃にようやく合格の知らせが届きました。本当にほっとしました。進学先は、いろいろなことを学べるリベラルアーツの大学を選びました。数学や物理は好きだったけど、教育にも関心があって、複数の学問分野を専攻できるのが魅力でした。
東大に半年通ったのは、「日本の大学は……、海外の大学は……」と言っても、僕自身は日本の大学を経験したことがなかったから。東京に住んでみたい、とも思いましたし。楽しかったですよ。そのまま4年間通っても楽しめたと思うし、頑張れたと思います。でも、人生は一度きり。1回は日本以外のところで住んでみようと初志を貫徹しました。
ウェズリアン大には2018年9月に入学しました。留学生対象のオリエンテーションがあったのですが、みんな英語で難なくコミュニケーションを取っています。日常会話こそが至難の業。一方、授業は論理的に展開され、テキストもあり、専門用語を覚えればついていけました。
高校生も大学生も基本的に一度きり。どの選択をしても後悔しないためには、今この瞬間に考え抜くことだと思います。結果的にうまくいかなかったとしても「あの時の自分はきちんと考えたから悔いはない」と思えるかどうかです。そして、「やる/やらへん」で悩む時間があったら、とりあえず「やる」を選ぶ。中高時代はリスクを冒せる、失敗してもやり直しがきくと思いますから。
(朝日新聞EduA編集長/山下 知子)
(朝日新聞EduA 元編集長/山下 知子)