レッドブル・エアレースで多くの人達を熱狂させたのが2008年から2010年にかけて3年間にわたってくり広けられたポール・ボノムとハンネス・アルヒの戦いだろう。
REPORT●後藤 武(GOTO Takeshi)
ボノムはエアレースに長く参戦しているベテランで2007年のランキングは2位。2008年は自身初のチャンピオンを獲得すべく万全の体制を整えた。こうして2008年のシリーズ前半は1位3回、2位4回とダントツの速さを見せつけた。
ところがこれを許さなかったのが2007年から参加したアルヒだった。常に上位に食い込み、シリーズ後半2回連続でボノムを下し優勝を遂げ、ルーキーでありながらボノムとランキング争いをするまでになってしまうのである。この追い上げに焦ったのか最後にはボノムがミスをして、アルヒがまさかの大逆転。参戦2年目にしてチャンピオンに輝く。
2009年もアルヒは絶好調。第1欄、第2戦で予選最速タイムを叩き出す。しかしボノムはさらに上をいっていた。シリーズ6戦で優勝3回、2位3回という圧倒的な速さでチャンピオンとなる。ベテランらしいレース運びだった。
ボノムの完璧なレース運びに対して「帝王」と呼ぶメディアが出でくるほどの強さだった。日本から室屋義秀がエアレースに参加するようになった年のことである。
この頃、エアレースのレギュレーションは現在とずいぶん違っていた。エンジンや機体のチューニングに対するレギュレーションに関して緩かったこともあり、各チームではエンジンチューニングメーカーと開発を行ってパワーアップしたり、機体の軽量化や空気抵抗低減が行われていた。
チャンピオンをかけた争いをするボノムとアルヒの速さは他を引き離していた。2人の戦いはパイロット同士での戦いというだけでなく、チューニングの戦いでもあった。
そして2010年、アルヒはチャンピオン奪還を目指してニューマシンを持ち込んだ。それがエッジ540V3だ。この当時、半数以上のパイロットたちがジブコ・エッジ540をベースとして独自にチューニングした機体を使用していた。しかしV3は、最初から機体メーカーであるジブコ社がエアレースの為に開発した機体だった。
外観こそ他のエッジ540と似ていたが、軽量化されて重心位置などが最適化され、空気抵抗を低減する為、様々なパーツが新規に開発されていた。
この機体を得たアルヒの強さは凄まじいものだった。第1戦では予選から最速タイムをただき出す。しかし決勝のトップ12でペナルティーを受け失格。11位になってしまう。
ミスの少ないボノム相手にこの成績は致命的とも思われたが、アルヒはこの後、3戦連続で優勝してランキングトップのボノムに2ポイント差にまで詰め寄る。しかしディフェンディングチャンピオンのボノムはすべてのレースで表彰台に登り、最終戦までアルヒとトップ争いを続けた。そして、追いすがるアルヒを下し、2年連続のチャンピオンに輝くのである。アルヒは6戦中4勝を挙げるという圧倒的な速さを見せたが、初戦での失格が祟って2位となってしまったのである。
この年、レッドブル・エアレースは一旦中断され、安全の為、レギュレーションや機体が見直されることになった。シーズンの途中、突然発表されたこの発表は、2010年のレースがいかに激化していたかを物語っている。
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