エンジンなんてもう古い。時代はカーボンニュートラル。これからの自動車は電気だ——メディアだけでなく世の中の大勢はいまやこの方向だ。「電気は環境に優しい」と。しかし、現実問題として文明社会とICE(内燃エンジン)の関係は本当に切れるのか。断ち切っていいものなのか……。前回は序章として電動化(electrification)に突き進む欧州の事情を取り上げた。2回目は大型路線バスに焦点を当てる。
TEXT & PHOTO◎牧野茂雄(MAKINO Shigeo)
中国政府の深謀遠慮か
2010年、筆者は中国で「雷天動力電池」という会社を取材した。リチウムイオン2次電池(以下=LiB)を生産している会社だった。中国の電池会社のガードが固くなる前であり、いろいろなものを見せていただいた。そのなかに電動路線バスの試験車両があった。車載電池に外部から充電し、電力だけで走るBEV(バッテリー・エレクトリック・ビークル)だった。
バスに搭載するLiBは自社製で、セル当たり電圧は3.34V(ボルト)。セル数は「200以上」だった。「バスの車種や使用によって異なる」が、実際に乗せてもらったバスの電力制御パネルを見たら207セルとの表示だった。当時も現在も、ラボ(研究所)段階ではなく量産仕様セルの場合は単セル電圧の最高が3.7V程度であり、それよりは雷天のバス用LiBは低い電圧だった。
当時、比亜迪汽車(BYDオート)はリン酸鉄系正極材を使う単セル2.7V程度のLiBを量産開始したばかりの乗用車BEVに使っていたが、雷天は3.34V。いわゆる3元系(NMC=正極にニッケル、マンガン、コバルトを使う)ならもっと電圧を欲張れるはずだが、高価なコバルトの使用を抑えたのだろうか。電池の極材については「企業秘密」とのことだった。
ちなみに、2012年〜2014年時点での予測では、2020年には量産LiBの単セル電圧は4.0Vを超えるというものが多かった。同時に単位出力当たりの電池重量も15〜20%程度軽くなると言われた。しかし、現在でも量産LiBは3.7Vが最高値のままだ。重量も大して変わらない。量産設備の投資を完全に回収するまで新しい設備は導入できない。この単純な損得勘定を、市場予測会社は理解していなかったようだ。
変わったバスが1台あった。企業向けの特別仕様で、室内はリビングルームだった。走行は完全電動であり、総電圧は560V、電池容量は350kWh以上だと聞いた。このバスも単セル3.34VのLiBを使う。客室の床下、普通の高速バスでは荷物室になっている部分にLiBがぎっしりと積まれていた。工場敷地内をデモ走行する程度では何も感じなかったが、通訳を介して運転士と話をしたところ「車体は重たいが出足はいい。ただし発進時にはメーターの出力表示が一気に上がる」と言っていた。
2010年当時、広州市にはまだ路線乗り合い用のBEVバスは走っていなかった。それが2015年あたりから走り始め、2019年には相当数がBEVに切り替わっていた。この背景には、中国製のディーゼルエンジン搭載バスが撒き散らす「殺人的な排ガス」と「燃料消費量の多さ」があった。
軽油(中国では柴油と呼ぶ)に含まれる硫黄分と排ガス対策の緩さ、さらに路線バスとしての耐用年数の長さが相まって、市内を走る路線バスの排ガスはかなりひどかった。2012年ごろ、中国のある大学の教授は「ディーゼルエンジンを改良するよりも電動化するほうが安いだろう」と筆者の取材に対して答えてくれたが、実際、それに近い状況になった。中国でのLiB価格がみるみる下がったためだった。
しかも中国政府は、2016年に「路線バス用LiBはリン酸鉄系にしなさい」との決定を下した。直接の要因は香港で3元系電池を積んだ路線BEVバスが火災事故を起こしたことだと言われたが、筆者は「3元系を外資系自動車メーカーに売るための策だったのでは?」と現在でも思っている。
どんなLiBでもいいからとにかく量産しなさい。量産すれば安くなります。性能の低い電池はバスが使いなさい。とにかく、国内で生産されるLiBを余らせてはいけません。みんなで使い切る努力をしましょう。性能のいいLiBは外資に高値で売りつけましょう……こうではないですか、と中国メディアの記者に尋ねると「たぶんそうだろうね」との答えだった。
この決定により、多くの市民に「見える」形でバスの電動化が進み、同時にリン酸鉄系LiBの生産が一気に増え、路線バスの電動化が進む。とくに北京と上海での電動バス普及のスピードは驚くほどであり、じつに見事だった。公共交通の電動化こそ「やればできる」いう印象を筆者は抱いた。
もっとも、そのやり方は乱暴であり、日本では通用しないものだった。電動路線バスはよく故障した。筆者は電動バスを見つけては飛び乗り終点まで行くという取材を重ねたが、突然運転手が「ここで全員降りてください」と言う場面にも何度か出くわした。故障である。乗客は全員降りて次のバスを待つ。停留所ではないところで降ろされた場合は次の停留所まで歩く。これが日本だったら報道されて大問題になるだろうなといつも思ったが、中国では「よくあること」だと聞いた。
つまり実証実験なのだ。運賃を取り、客を乗せての実験。いろいろな会社が電動バスを作り、市に納め、使ってもらう。故障や不具合は報告され、少しずつ改善が進む。殺人的な排ガスを出さないバスは市民からも歓迎される。電力は軽油より安い。中国政府は原油輸入を減らしたい。しかも原子力発電所がどんどん完成する。そういう2010年代後期のエネルギー事情が絡んでいた。
ちょっと怖かったのは、電源架線から電力をもらって走る路面電車またはトロリーバスの路線に導入されたパンタグラフ付きの電動バスだった。通常は車載LiBで走るが、架線のある場所では架線から電力をもらう。パンタグラフが架線に触れる瞬間に「バシッ」と音がして火花が飛ぶのだ。その音がかなり大きいこともあった。
もうひとつ怖かったのは、ルーフサイドに非接触型充電装置を備えたバスを見つけて飛び乗ったとき、停留所で、その装置からジージーと異音が出て湯気があがっていたことだ。これも充電装置の実証実験である。市民に情報公開などする必要はなく、当局はやりたいことをやれる。社会主義国家の強権政府が一度決めたことは、何が何でもやり通す。北京や上海を訪れるたびに増えていた電動バスに筆者は驚き、同時に火災の心配がほとんどないリン酸鉄系電池の利用は正解だと感じた。
ちなみに、中国政府はNEV(New Energy Vehicle=新エネルギー車)普及政策を進める段階で「中国政府が指定する企業から2次電池を購入しなければNEVとして優遇しない」という勝手なルールを作った。指定企業が書かれたリストはホワイトリストと呼ばれた。そこに掲載されている企業はすべて中国資本だった。しかし、何の前触れもなく突然、中国政府はこの規制を撤回し、NEVは自由に電池を選べるようになった。
ただし、この規制をかけていた2年半ほどの間に、中国ではCATL(寧徳時代新能源科技)に代表されるLiB新興企業が50社以上も出現した。LiB製造企業については省政府が大きな期待をかけていた。福建省はCATL、広東省は深圳市沃瑪電池、珠海銀隆新能源など深圳市と珠海市を中心に15社、江蘇省は江蘇海四達電源股份など8社、河南省は河南新太行電源股份など5社……というように沿岸部にLiB企業は集中した。雷天は2011年に社名を変更し温思頓電池となったが、ホワイトリストにその名前は入っていなかった。どうやら事業売却したようだ。
2010年の雷天取材でバスとともに印象的だったのは、LiBを大量に搭載した「電源車」だった。「必要な場所に出動する電源車」とのことだったが、用途を尋ねると「携帯電話の移動式臨時基地局やテレビ中継車に電力を供給する」とのことだった。荷台にはいくつものLiBセルと充電器が積まれていた。「人民解放軍にも車両を納めている」と聞き、ひょっとしたら移動式ミサイル発射装置の電源車になるのかな、と思った。
雷天を取材したのは、11月に開催される広州車展(モーターショー)のついでだった。11月の広州はまだ寒くない。しかし北京の11月は寒い。石炭暖房を炊き始めるころであり、石炭由来の煙が北京市内を覆う。この煤煙は海を渡って日本に飛来する。一時期「中国らから飛来するPM2.5(粒径2.5ミクロン程度の微粒子)」として騒がれたものは、たしかにガソリン車から出るPM2.5も含まれていたようだが、ほとんどは石炭暖房が原因だった。
ディーゼル車から排出されるPMは粒径6〜7ミクロンだ。一方、ガソリンを燃料とする筒内直噴エンジンから出るPMが粒径2.5ミクロン。2010年当時、中国で販売されている直噴ガソリン車は大半が欧州メーカー設計による中国合弁生産モデルだったが、中国の自動車保有台数全体から見れば比率はそれほど多くはなかった。日本に飛来したPM2.5の正体は自動車由来ではなく、粒径2.5ミクロンだけでもなく、その多くが石炭由来の排出物だった。
PMの研究者に訊くと「粒子を調べればどんな燃料から発生したものなのかをほぼ間違いなく特定できる」という。PMの「核」になっている物質を炭素13/14および硫黄の放射性同位元素を使って分析した結果、石炭を構成する分子にしか含まれないアロマティクスが検出され、その石炭の産地が中国であることも判明した。この種の分析では、99・9%の確率で燃料およびその産地を特定できるそうだ。
暖房用石炭の配給は中国共産党の「偉業」であり、やめるわけにはゆかない。北京や上海での冬場の大気汚染を自動車排ガス公害にすり替え、老朽車廃止というおふれを発し、多くの市民の目にとまる路線バスをBEV化した。もっと穿った見方をすれば「軽油は人民解放軍車両のための備蓄に回した」との推測も成り立つ。
しかし、路線バスでも電動化できるというということは実証された。どれくらいのコストがかかったのかはわからないが、毎日決められたルートを走行する路線バスなら航続距離は決まっていてBEV化しやすい。300kWh以上のLiBを搭載し、毎日充電し、故障したら運行本数を減らせばいい。中国ならではのやり方でBEVバスを定着させた。
エンジンをなくしてしまってホントにいいのですか?——路線バスについていえば、技術的にはYesである。問題はコストだ。中国では北京政府の号令のもとに新興LiBメーカーが一斉に立ち上がり、地方政府はそこに低利融資を行ない、電池生産の国家総動員体制に持っていった。性能の低い電池は中国ローカルのBEVメーカーが購入し、リン酸鉄系は路線バス向けの販路が確立され、3元系の高級電池は外資自動車メーカーが買うという構図が出来上がった。
LiBを作れば、とりあえず売れるという環境を中国は2018年末までには整えた。VW(フォルクスワーゲン)がCATLからLiBを購入する契約を2018年夏に結び、ダイムラーはBYDからの電池購入を決めた。2018年末時点で筆者は、「今後4〜5年で中国国内のLiB生産がどのレベルになるか」を、各社が発表していた生産目標値を合算する方法で計算したところ、1200GWh(ギガワットアワー)になった。1台平均の搭載量を30kWh(キロワットアワー)と仮定すると4000万台分である。
その後、電池メーカーの吸収合併が進み、数は淘汰された。同時に中国政府は「中国政府が指定する企業から2次電池を購入しなければNEVとして優遇しない」という、およそWTO違反の勝手なルールを取り下げた。しかし、電池価格では中国企業と外資とでは勝負にならない。筆者が調べたところ、日本のパナソニックがトヨタに販売している3元系LiB価格の半分以下で、中国国内ではCATLが外資自動車メーカー向けのLiB価格交渉を行なっていた。
もうひとつは電力である。2016年時点でのIEA(国際エネルギー機関)データでは、中国は石炭火力発電の比率が76%だった。これを減らすために2016年11月、原子力発電の利用を国家戦略として打ち出し、2011年の東日本大震災での原発事故を受けて停止していた新規の建設認可審査は2018年末から再開された。現地報道で確認すると、2019年中には30基以上の建設認可が下りたようだ。
運賃収入に対して投資が見合うのであれば、路線バスの電動化は難しい話ではない。中国で路線BEVバスに乗ると、運転士たちは電動モーターの特性をよく知っていて、信号グランプリではぶっちぎりの速さなのだ。当然、電池の減りは速いが、どのくらいぶっ飛ばすと電欠になるかも知っているから無理はしない。これがもし日本の路線バスだったら、すぐにクレームが来るだろうな、と思う。
路線バスのBEV化は「あり」だ。しかし、きちんとLCA(ライフ・サイクル・アセスメント)計算をしなければならない。LiB生産ではリチウムの乾燥工程で大量の電力を消費する。この部分も含めてCO2(二酸化炭素)排出を計算しなければならない。Cセグメント乗用車をBEV化する場合、搭載LiB10kWhにつき製造段階で「ガソリン仕様車を1万km以上走らせた程度のCO2排出に相当する」という報告がある。350kWhのLiBを積む路線バスだとどうなるだろうか。