「名選手、名監督ならず」とはよく聞かれる言葉ではあるが、もちろん名選手でありながら名監督になった者もいる。
今回は「Sportskeeda』から「2000年以降のサッカー界で『名選手でありながら名監督になった者TOP5」というランキングをご紹介する。
5位:アントニオ・コンテ
率いたチーム:ユヴェントス、チェルシー、インテル
選手としてレッチェでキャリアをスタートし、1991年にユヴェントスへと移籍したコンテ。それから13年にわたって活躍し、UEFAカップやチャンピオンズリーグの優勝に貢献したキャプテンとなった。
イタリア代表では多くのライバルがいたことから20試合の出場に留まってはいるが、1994年のワールドカップやEURO2000でもプレーしている。
2011年にユヴェントスの監督に就任したあと、4つのリーグタイトルを獲得するなど黄金期をスタートさせるなど成功を収め、それからチェルシー、インテルと強豪を率いている。
4位:ルイス・エンリケ
率いたチーム:ローマ、セルタ、バルセロナ、スペイン代表
レアル・マドリーとバルセロナの両方に所属した経験を持つ珍しい選手の一人として知られる。1996年にマドリッドで支持を失ったと感じた彼は、フリーで最大のライバルへ移籍したのだ。
最初は懐疑論もあったが、バルセロナでは8年間を過ごしてキャプテンも務め、スペイン代表でも62試合に出場するなど多くの栄光を味わった。
監督としてはローマ、セルタでの指揮を評価することは出来ずとも、バルセロナでの功績は明らかなものだ。
3位:ジネディーヌ・ジダン
率いたチーム:レアル・マドリー
選手としてのキャリアでは、おそらくこのリストの中で最大の成功を収めた人物だろう。ボルドー、ユヴェントス、レアル・マドリーで多くの輝かしいプレーを見せ、3回のバロンドールを獲得した。
フランス代表でも「将軍」と言われるほどの存在感を見せ、1998年のワールドカップで母国を優勝に導いている。
引退後はレアル・マドリーのリザーブを率いていたが、2014年にトップチームのアシスタントとなり、2016年3月に突如監督へ昇格。それから前例のないCL3連覇を達成した。
2位:ディエゴ・シメオネ
率いたチーム:エストゥディアンテス、リーベル・プレート、アトレティコ・マドリーなど
インテルやセビージャ、ラツィオ、アトレティコ・マドリーで活躍した、典型的な「潰し屋」だったシメオネ。アルゼンチン代表でも歴史上屈指のレジェンドとして称賛される。
そして引退後には監督としてエストゥディアンテスを23年ぶりのリーグタイトルに導くなど、早い段階で成功を収めることに成功。それからしばらくはなかなか良い状況に恵まれなかったが、2011年12月に古巣アトレティコへと復帰すると、栄光の道がスタートした。
就任1年目でヨーロッパリーグ優勝を果たし、18年ぶりのリーガ優勝も成し遂げた。
1位:ジョゼップ・グアルディオラ
率いたチーム:バルセロナ、バイエルン、マンチェスター・シティ
もちろんこのリストで最も上にランクインするのはジョゼップ・グアルディオラである。
バルセロナが導入した若手育成機関「ラ・マシア」初期の卒業生であり、ヨハン・クライフが率いた「ドリーム・チーム」を支えた伝説的なプレーメーカーであった。
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バルセロナで11年を過ごしたあと、ブレシア、ローマ、アル・アハリ、そしてメキシコのドラドスでプレーしたあと現役を離れた。
それからの指導者としての活躍は誰もが知っている。率いたビッグクラブを更に強くし、数々のタイトルをその手に収めている。