愛知県は、日本で4番目の人口を誇る都道府県。岡崎平野や濃尾平野、豊橋平野を有しており、肥よくな土地が広がっています。徳川家康や豊臣秀吉、織田信長といった戦国時代の武将を多数輩出した地域でもあります。そんな愛知には、どんな難読地名があるのでしょうか。今回は、愛知の難読地名中級編をお届けします。
福谷町(みよし市)
福谷町はみよし市の緑が広がる地域。東名高速道路の三好ICは福谷町内にあります。
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↓その答えは?
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読み「うきがいちょう」
全国に「福谷」と書いて「ふくたに」と読む地名は点在していますが、「うきがい」と読むのは、日本国語大辞典によればみよし市の福谷町だけです。さて、福谷の由来ですが、猿投(さなげ)神社文書の「上葺(じょうしゅう)勧進帳」には、「浮谷郷」という地名が記されており、「うきがや」が転じて「うきがい」と呼ばれるようになったと考えられます。
しかし、浮谷を福谷と書くようになった経緯は不明です。1559年(永禄2年)に柴田勝家が攻撃した城は、「福谷城跡」と呼ばれており、当時から福谷と呼ばれていたことがわかります。
福谷城跡は室町時代後半に築造されたと伝わる城です。徳川家の家臣、酒井忠次が城主として近隣地域を治めていたこともあり、織田信長配下の柴田勝家との激しい攻防戦が繰り広げられたといわれています。発掘調査によると、茶碗や茶入れ、炊事道具などが発掘されました。
福谷には、福谷御嶽山や東海学園大学のグラウンドなどがあり、緑あふれる地域。水田耕作も盛んです。福谷御嶽山では、規模は小さいながらも八十八箇所巡りもできるとのこと。歴史好き、ハイキング好きの人が楽しめそうですね。
千万町町(岡崎市)
千万町町は岡崎市の山あいの集落。現在は、六十数世帯が暮らしている静かな地域です。
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読み「ぜまんぢょうちょう」
千万町町は、千万町村と呼ばれ、古くから人々が暮らしていました。「ぜまんぢょう」ではなく、「ぜまんぢょ」と呼ばれることもあります。千万町には、その昔作手(つくで)地区の管轄で、「番所」の出張所があったとか。これを「出番所」と呼んでいたところなまって、「でばんじょ」→「ぜまんぢょう」になったというのです。
ただなぜ、ぜまんぢょうに「千万町」という字を当てたのかは定かではありません。
現在の千万町は規模が小さな集落ですが、豊かな自然と長い歴史を堪能できるスポットやイベントが開催されています。千万町で有名なのが、「千万町神楽(ぜまんぢょかぐら)」。褄模様の着物に丸帯の女装をした獅子舞が神楽を舞うスタイルは、全国的にもめずらしいものです。愛知県の無形民俗文化財に指定されています。
また、小ぶりでかわいらしい黄色い花を咲かせる「ミツマタ」の群生地としても有名。和紙の原料として知られ、1万円札の原料になる植物です。3月から4月の開花時期は圧巻。日本の原風景に触れたい、ゆったりとした時間を過ごしたいという人にぴったりのエリアです。
主税町(名古屋市東区)
主税町は、名古屋市東区の高級住宅地。東区の中でも主税町は武家屋敷が多い地域で、現在も当時の面影が残っています。
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読み「ちからまち」
時代物や歴史物が好きな人は、すぐに読めたかもしれません。忠臣蔵の登場人物大石内蔵助の息子が、大石主税です。
主税町の由来は、野呂瀬主税助という武将にちなんでいるといわれています。野呂瀬主税助は、武田信玄の家臣で、平岩親吉に仕えた後、徳川義直に召し抱えられた人物です。徳川義直は、徳川家康の第9子。
そもそも主税とは、税金や貢ぎ物を取り扱っていた役人です。野呂瀬主税助も税金に関する仕事をしていたのでしょうか。日本では、古来より役職名を名前のように呼ぶことはめずらしくなく、「しゅぜい」もしくは「ちから」と呼んでいました。主税をちからと読む理由は諸説ありますが、日本国語大辞典によると、「庸・税・稲」をともに、「ちから」と読み、税金のことを指すとのこと。田地から税金を納めることから「地カラ」という意味だったともいわれています。また、税金は「タミのチカラ」だからという説や、田の力=タヂカラという説もあるようです。いずれにしても、日本では古くから税を「チカラ」と読んでいた模様。
現在の主税町には、名古屋東税務署があります。現在は移転工事中のため、泉1丁目に仮庁舎を建てていますが、2021年3月には主税町に新しい庁舎が完成するとのこと。主税町に税務署とは、その名通りの立地ですね。
主税町は、江戸時代の町並みが残され、散策が楽しいエリア。主税町長屋から続く町並み保存地区の景観は一見の価値あり。江戸を彷彿とさせる建物だけでなく、大正ロマン漂う建築物も多く現存しています。トヨタグループ創始者である豊田佐吉の弟、豊田佐助の旧邸宅も人気スポットです。
主税町は歩くだけで非日常を味わえるエリアなので、名古屋に行く際にはぜひ立ち寄りたいものです。
御器所(名古屋市昭和区)
御器所は交通アクセスがよく、利便性が高い地域として人気のエリア。タワーマンションも建築されており、今なお発展が続いています。
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読み「ごきそ」
名古屋在住の人であれば、読めて当然かもしれませんが、他地域の人はなかなか読めませんね。御器所の地名の由来は、「熱田神宮」に土器を作り届けていたためと考えられています。昔は、お椀のことを「御器(ごき)」と呼んでいました。御器を作る所ということで、御器所と呼ばれるようになったのでしょう。
現在の御器所は、にぎやかな商業地区や閑静な住宅街となっていますが、江戸時代は大根の産地で、「御器所大根」が栽培されていました。御器所大根で作られるたくあん漬けは、参勤交代のお土産に用いられるほど人気を集めていたのだとか。明治から大正にかけては、大根栽培は行われなくなり、たくあん漬けのみを作るようになり、全国有数のたくあん生産地となりました。
現在は、御器所だけでなく愛知県全体にたくあん製造が広がり、県外に拠点を進出する企業も数多くあります。
黄柳野(新城市)
黄柳野は新城市の山あいの町。とある植物の自生地として有名です。ちなみに新城市は、「しんしろし」と読むので、これも愛知県外の人にとっては難読地名ですね。
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読み「つげの」
黄柳野の一部はかつて黄柳村(つげむら)とよばれていた地域で、ツゲの自生地でした。この地名もツゲの産地であることから名付けられたといわれています。ツゲは漢字では、「黄楊」と書きます。この「楊」というのは、「柳」とほとんど同じ意味で用いられますので、「黄柳」で「つげ」と読んでも不自然ではありません。
黄柳野の由来となった、ツゲは常緑低木で、おもに将棋の駒や印鑑の材料、くしなどに用いられます。黄柳野ツゲ自生地は、国指定天然記念物。また黄柳野の集落には、樹齢500年以上の大きな大きなかやの木があります。幹回りはなんと5.5メートル。圧倒されそうですね。
愛知県の難読地名中級編、いかがでしたか。愛知在住者や出身者なら比較的簡単に読めても、ほかの地域の人はなかなか読めかったのではないでしょうか。愛知県は、華やかなエリアと歴史の趣のあるエリア、そして豊かな自然が残されたエリアが混在し、住む人だけでなく訪れる人を魅了します。次回、愛知県の難読地名上級編もお楽しみに!
執筆者:平林 亮子