地球の表面は70%が海。
しかし、その実態のほとんどがいまだヴェールに包まれている。
国内外の海を船で渡った男だからこそ知る、海の底知れぬ魅力と恐怖とは――。
その出来事は、単なる気のせいか、この世のものならぬものからのメッセージか……。
『リング』をはじめとした一連の作品で、ホラー界に金字塔を打ち立てた鈴木光司。
見聞きした実話をもとに語る、海と水をめぐる畏怖と恐怖に彩られた読み切りエピソード。
船の墓場 世界編―ドレーク海峡
◇海の怪 第15回
海の難所と聞いて、どんな風景を思い浮かべるだろうか。
見渡す限り陸地の見えない絶海を想像したとしたら、それは間違っている。現実の海の難所は、たいがい陸地が間近に迫るところにある。陸地や海底の地形的影響をもろに受けるからこそ、潮流がぶつかったり、流れが狭められたりして巨大な三角波が立ち、難所となるのだ。おまけに、岸が近ければ座礁の危険にもさらされる。
海の難所は、当然のごとく、船の墓場でもある。
世界的に有名な海の難所は、なんといってもドレーク海峡だ。南アメリカ最南端のホーン岬と、南極半島に挟まれた幅約800キロ、平均水深約3400メートルの海域である。
地球儀をお持ちの方は、ぜひ手に取って自転の方向に回してみてほしい。
北半球の広くを占める陸地は、南半球になるとぐっと少なくなり、特に、南緯60度のラインは遮る島もなく、常時、西から東へと海流が川のように流れている。この海流がドレーク海峡にくると、両側から張り出した半島によって狭められ、波がぐっと大きくなるのだ。大海原おおうなばらでほんの1メートル程度であった津波が、湾の深奥部しんおうぶに迫るにつれ流れる場所の断面積が小さくなり、反比例して巨大化するのと同じ理屈である。
ドレーク海峡の偏西風は時に時速70キロを超え、波の大きさは時に30メートルを超える。冬季には氷山が浮遊し、衝突の恐れが生じ、想像するだけで身震いしたくなる海域だ。大航海時代より多くの帆船が海の藻屑と消えた、まさに船の墓場である。
こんな恐るべき海峡を、これまでに数回、単独のヨットで通過した友人がいる。
その名は白石康次郎しらいしこうじろう、日本が世界に誇る海洋冒険家である。
20年前、対談をきっかけに知り合って以降、互いの船に乗ったり、ヨットレースをサポートする仲となった。
会うたびに、ぼくは彼にこう言ったものである。
「ホント、康次郎くんの勇気には敬服するよ」
「なに言ってんですか。ぼくなんて、ただのビビリですよ」
「ただのビビリ」がたったひとりで、数回も、ドレーク海峡を通過できるわけがないので、これは謙遜と思いたいところだが、彼は本当に自分のことを「ビビリ」と思っているフシがあるので、訳がわからなくなる。たぶん、ビビる尺度が一般人と大きく異なるのだろう。
さて、この海域における康次郎くんの過酷な体験を、小説風に語ろうと思う。
康次郎のレース用ヨット、スピリットオブユーコー(全長12メートル)は世界一周航海のために太平洋をひたすら南下していた。
南緯60度線が近づくにつれ、風浪が立てる音に変化が現れてきた。
「吠える60度線」「絶叫する60度線」と呼ばれる所以で、波と風が織り成す轟きは、獣の咆哮ほうこうのようにも、獣に捕らわれた人間が上げる断末魔の絶叫のようにも聞こえる。しかも、音源は無数で、前後左右上下から身を包み込んでくるようだ。
ドレーク海峡を抜けて大西洋に出れば、あとは北上して赤道を目指すコースとなる。地球の天候は、南北とも、緯度が高くなるにつれて荒れるため、赤道に近づけば時化の回数はぐっと減って、海は穏やかになる。
今回の世界一周航海における最後にして最大の関門が、眼前に控えるドレーク海峡であった。
もうすぐドレーク海峡を越えようとする日、スピリットオブユーコーはメインセールをおろし、小さなストームジブに左後方からの強風を受け、東へと飛ぶように走っていた。
頼るべきは自分の肉体、というより、判断力である。判断を過てば即、死に繋がる。
たったひとりコックピットに座り、前方を見据えて舵を取る康次郎の薄皮一枚隔てたすぐ横には、死神が寄り添っているようだ。
……なぜ、おれは自ら進んで、こんな過酷な道へと乗り出すのか。
何度、そう自問したか知れない。
間近で盛り上がった波が轟音をたてて崩れるたび、喉の奥から胃が飛び出すような恐怖を覚える。
「おれは勇気ある男」などという思い上がりは一切なかった。ビビリである自分を十分に自覚している。心底怯えている自分を認め、自然の猛威に畏怖の念を抱き、冷静さを保持できなければ、判断を過つだけである。
波浪が笑い声のように聞こえ、嫌な予感に全身を貫かれ、後方を振り返ったとき、康次郎はわが目を疑った。
はるか後方から、壁のように盛り上がった波が迫りつつあった。
偶然に波長が合ったりすると、通常の二倍三倍に波高が成長することがある。
今、目にしているのは、三十メートルを優に超える特大級の大波だった。
灰色で繋がった空と海の境に黒々とした水の壁ができ、波頭はたてがみとなって白い毛を逆立てていた。ひきちぎられた波の頂は風に運ばれ、バケツ一杯ほどの水の塊となって、横殴りに身体を直撃してくる。滝となって前方に崩れる頂を見れば、転覆することなくこの波をやりすごすのは不可能と悟り、康次郎は、呪詛の言葉を飲み込んで、やるべきことに取り掛かった。
巨大な波も、スピリットオブユーコーも、同じ方向に進んでいるため、いずれ波に追い越されるにしても、まだ数分の猶予がありそうだ。
その間に、生き残るための方策を整えるしかない。ストームジブを巻き取り、デッキ回りに設置された装備をロープでぐるぐる巻きに固定した上で、キャビンに降りて入り口をアクリルの板で閉ざし、船外と通じるバルブをすべて締めてしっかりと水密を確保する。
海に浮かぶ乗り物の中で、ヨットがもっとも安全であると、康次郎は信じていた。
水密さえ保てば浸水しないだろうし、たとえ真っ逆さまになってもキールの力で起き上がりこぼしのように復元するはず……、信じてはいても、両腕に抱える膝のあたりが震えてくる。一部に生じた震えは次々と伝染し、顎がガクガクと歯音をたて、全身がわなないた。
外の景色を見ることはできなかった。音だけを頼りに、何が起こりつつあるのか、想像するだけだ。目を閉じ、その風景を思い浮かべると、波の相貌が獣から悪魔へと変わっていった。想像力こそが恐怖の源泉である。
……来た。
康次郎はそのときが来たことを悟り、このあとに起こる事態を想定し、両手でバーを握って身構えた。船首が沈み込み、船尾が持ち上がったと思った瞬間、風浪がたてる音の質が変わった。波頭が崩れて降り注ぎ、耳を聾する轟音を伴って船体が激しく振動した。巨大瀑布の滝壺にいて水の全量を受けるようなものだ。凄まじい音量はパワーの証しだった。船体は左右に揺れ、下へと押しつけられ、バランスを崩して横転していった。
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これまで床だったところが側壁となり、天井となり、びっくりハウスのようにキャビンがひっくり返ってゆく。
状況の変化に合わせて身体を移動させなければ、怪我をしかねない。骨折でもしようものなら万事休す……。
しっかりとバーを握った直後、キャビン内の空気が一気に濃くなり、反比例して轟音が減じた。電源が落ちて明かりが消え、キャビンは闇に包まれた。闇の中で、康次郎は、現在進行中の事態を分析した。崩れた波の圧力を受けて横転した船は、逆さまの状態で波の壁に突入した……、つまり、今、自分は海水の中にいることになる。潜水艦となって、波の壁を真横に突き抜けようとしているのだ。
水の圧力を受けて船体はきしみ、各部が悲鳴を上げていた。身体も同様だった。全身の毛穴が開いて気力が漏れていくようだ。
水密が破られ、大量の海水が流れ込む光景ばかりが脳裏に浮かび、「もはやこれまでか」と判断力がシャットダウンしそうになる。浸水が始まれば、狭いキャビンは水に占領されて呼吸ができる場所は奪われ、真っ暗な中、3400メートル下の海底へと持っていかれる。
さらに暗く、さらに冷たい、絶対の孤独に支配された地獄の底が想像されたとき、またも船体を包む音の質が変わった。
海水の壁を通過して船は再び海面に躍り出たようである。逆さまのまましばらく海面に浮いていたが、空に向かって握り拳を突き上げる鉛のキールが、数トンという重みを利かせて海中へと没し、その反動で、逆転していた床と天井が元に戻り始めた。
外界の光りが差し込み、キャビンが明るくなったとき、康次郎の絶望は取り払われた。巨大な波をやりすごし、ヨットはしっかりと浮力を維持している。こころなしか海が穏やかになったようだ。
転覆して波間を通過するのに要した時間はせいぜい数秒であろうが、危機に瀕すると時間の進み方が緩やかになるという法則通り、いつ果てるともない恐怖の時間が数分に及んだように感じられる。
康次郎は重い腰を上げ、アクリル板をはずして祈るような気持ちでコックピットへと上った。
海中で一回転してマストは大きな抵抗を受けている。マストが折れていれば、推進力を失ってヨットは漂流船と化す。一難去ってまた一難。この荒れた海域での漂流は、ゆっくりと時間をかけた死を意味する。
コンパニオンウェイの途中に立ち、康次郎は意を決して、船首方向を振り返った。マストはこれまで通り船体中央で直立していた。あれほどの大波を食らったにもかかわらず、どうにか持ち堪えてくれたのだ。
ホッと安心すると同時に力が抜け、康次郎はキャビントップに身体をもたせかけた。そのままの格好で、船体各部と、艤装などの損傷具合をチェックした。ほどけたハリヤードやシートの端が波間に漂っているのを除けば、目に見える限り、さしたる損傷はなさそうだ。今後の航海が可能であることが確認できたのは望外の喜びである。だれにともなく感謝の念が湧き上がった。
……どうにか危機を乗り切った。
ドレーク海峡の出口はもう目と鼻の先だった。通過しさえすれば、あとは南アメリカ大陸のブランケ(陸などに風を遮られた状態)となって、風浪は和らぐだろう。
単独世界一周航海における最大の難所を越えるまで、あともう少しの辛坊だ。
また一回り成長した気分を味わいつつも、さらに気を引き締め、康次郎は、船の針路を90度に保ち続けた。
康次郎くんからこの経験談を聞いて以降、「もし自分が同じ立場に置かれたら」と、幾度となく考えたことがある。
ヨットで外洋を航行中はからずも台風と遭遇した体験があるだけに、風浪がたてる不気味な音や、船体を叩く波の衝撃、激しい振動などがリアルに想像できてしまう。
その上で、自分に問う。
「康次郎くんと同じことができるだろうか?」
答えは明らかだ。
「むり、むり、むり」
体力、操船技量はもとより、まず、神経がもたない。
そして、海はほどほどに楽しむのが一番と、実感するのであった。
2020年11月、白石康次郎は、世界最高峰単独無寄港世界一周ヨットレース『ヴァンデ・グローブ』に二度目の参戦を果たす予定だ。彼はまた、ドレーク海峡を単独で越えようとしている。
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