実兄の孤独死をめぐる顚末を描いたロングセラー『兄の終い』のほか、翻訳書『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』、近刊『全員悪人』『ハリー、大きな幸せ』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』など、数多くの注目作を手掛ける翻訳家の村井さんが琵琶湖畔に暮らして十数年。
夫、10代の双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリー君と賑やかな毎日を送っています。
公私ともに古今東西の書籍にふれる村井さんは、日々何を読み、何を思い、どう暮らしているのでしょうか。
人気翻訳家によるエッセイ+読書案内。
認知症進行中の義母の記憶に残る、菓子の味-嫁をデイサービスのスタッフと思い続けて
今月は、わが家の電話が鳴り止まない状態だ。仕事の依頼であればうれしい話だが、相手は義父か義母である。最近は特に、認知症の義母からのSOSが多い。知らない人からはがきが届いた、朝から近所の奥さんがやってきたけれど、私を見て不思議そうな顔をした、頭のなかがぼんやりとしてしまう、などなど、電話の内容は多岐にわたる。仕事をしつつ、ハイハイ、ええ、なるほど……と相手をして、一応の解決策を伝えて電話を切る。しかしここで安心してはいけない。電話はその後も延々とかかってくる。最近では、こういった複数回の電話は元気な証拠と思って苛立つこともなくなった。慣れとは恐ろしいし、素晴らしい。
数週間前、義母が深刻な様子で電話をかけてきた。夜の九時過ぎで、義父が風呂に入っている時間だった。義母は、義父に聞かれたくない話を私にするときには必ず、義父の入浴時間に電話をかけてくる。何かあったのだなと思った。
「お願いがあるのですけれど」
「はい、なんでしょう」
「なるべく早くに病院に行きたいんです」
「どこか具合が悪いですか?」
「ちょっとね……頭のなかがぼんやりするし、もの忘れが酷くなってきたと思う。認知症かもしれない」
「そうですか、それじゃあ主治医の先生に連絡して、受診の予約をしておきますね」
「え? 主治医? 私、主治医の先生に診てもらっているの?」
「そうですよ、専門病院に診てもらっていますよ。予約を取りますね」
こんな感じで、急きょ受診が決まった。これはとても珍しいことだ。今までは、私が受診日に迎えに行くと、行く、やっぱり行かないと、必ずひと揉めあった。病院に行くと言うと義母は明らかに不機嫌になり、私を馬鹿にしていると怒った。しかし、ここ数か月は義母自身も自覚してきたのだと思う。
私は、義母のこんなところを素晴らしいと思っている。彼女は日々薄れゆく記憶や、ままならなくなった生活を、ある程度自覚して、それを正直に伝えてくれる。そして、助けを求める術をちゃんと知っている。なかなかできるものではないと思う。
さて、受診当日のことだ。前日の夜から何度か連絡を入れ、朝の9時に迎えに行きますから、支度をしておいてくださいね、保険証、診察券は私が預かっていますから、お義母さんは何も持たなくていいですよと伝えておいた。しかし時間通りに実家に到着すると、義母はまだパジャマ姿だった。なんのこれしきといった気持ちだ。想定内。無問題。
「お義母さん、今日は病院ですよ。着替えて下さいね」と言うと、少し驚いた表情で、慌てて着替えだした義母。しかし衣類がどこにあって、どれを着たらいいのかわからない様子だった。少しだけ手伝って衣類を身につけてもらい、さて家を出ようと靴を出すと、「今日は運動ですよね?」と不安そうな表情の義母に聞かれた。デイサービスと間違えている。そのうえ、私をデイサービスのスタッフだと思っている。しばし呆然としたが、すぐにその原因が分かった。私が乗っていった車がいつもの車ではなく、代車だったからだ(軽い接触事故を起こして、愛車は修理中なのだ)。それも代車はワゴンタイプの白い車で、いかにもデイサービスの職員さんが乗っていそうなものだった。結局、職員さんと間違えられたまま、義母を後部座席に乗せ、病院まで急いだ。
運転中、ふと気づくと、義母がバックミラー越しに私の顔をじっと見ている。誰なのか一生懸命確認している様子だった。
「お義母さん、今日の体調はどうですか?」と聞くと、
「とても元気ですよ。悪いところなんてひとつもないですから」と言う。
「そうですか、それはよかったです」
「でもね、やっぱり寂しく思いますね」
「何がですか?」
「そりゃあ、こんな年になって、まったく知らない土地に連れてこられてしまって、右も左もわからないんですから」
「……そうだったんですね。それは少し不安ですよね、まったく知らない場所だったら」と私は驚きつつ答えた。
「車もないですし、知らない人ばかりになってしまって。早く故郷に戻りたいです。故郷だったら、古くからの友達や親戚が多くいるんですよ。だから、できるだけ早く故郷に戻って、またそこで生活しようと思って。みんなまだ元気ですから、助けてくれると思うんですよね」
義母にとって、三〇年以上も暮らしたこの地は、知らない土地になっていたのだ。それは不安で仕方がないだろう。そのうえ、いきなり知らない人がやってきて、覚えのない車に乗せられ、遠くの場所に連れて行かれている。バックミラーで顔を見ても、知っている人には思えない。義母がその状況にあると理解すれば、硬い表情もよそよそしい話し方の理由も、理解できてくるのだった。
義母はそこから病院に着くまでの間、故郷にどうしても戻りたいと言い続けた。故郷には美味しいものがたくさんあるんですよ、とくに、甘い物が美味しいんです。一番のおすすめは鈴焼き! あなた、鈴焼きってご存じ? あら、知ってるのね? 失礼なことを聞くようですけれど、あなたおいくつ? 出身はどちらなのかしら? あなたの故郷の美味しいお菓子はなに? へえ、そんなものがあるの、私も一度食べてみたいわ。
結局私は、病院に到着するまでデイサービスの職員さんを演じ続け、義母はいつもよりずっと素直に私の言うことを聞いてくれた。診断の結果、やはり認知症は進行しているそうだ。薬が若干増えた。注意事項も増えた。たぶん、デイサービスに通う日数も増えることになるだろう。
結局、帰りの車中でも私と義母はスイーツの話題で大いに盛り上がり、途中、道の駅で車を止めて、地元の名物のお菓子を買って、ハンバーガーショップでお昼を済ませ、ようやく実家に戻った。訪問看護師の訪問予定があった義父は、一緒に病院までついていきたいと粘ったものの、私に見事に却下されて実家で一人待っていた。お土産のお菓子を手渡しながら、義母は「お父さん、はい、これはおみやげ。理子ちゃんが買ってくれたんよ」と言っていた。いつの間にか、私と一緒にいることを思い出していたようだった。
さて、今回読んだのは芝田山 康(第六十二代横綱大乃国)著『第62代横綱・大乃国の全国スイーツ巡業』だ。これは随分昔に買った本で、私の本棚に異様な存在感とともに存在し続けている一冊。美食家、甘い物好きの横綱が大真面目に全国のスイーツを食べ、率直な感想が記されている。その筆致はなんとも力強く、男らしい。義母の言う「甘い物」とは、こういうお菓子を言うのだろうなという、どこか懐かしいお菓子が、ノスタルジックな写真とともにぎっしりと紹介されている名著だ。
芝田山 康『第62代横綱・大乃国の全国スイーツ巡業』(芝田山 康 第六十二代横綱大乃国 著/2006年9月/日本経済新聞出版)
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