日本選手最多は22人のフライ級
日本ボクシング界では、1952年に白井義男が初めて世界フライ級王座を獲得して以来、これまで101人の世界チャンピオンが誕生した(暫定王者含む、外国出身ボクサーは除く)。階級別に見ると、白井も含めて22人が王座に就いたフライ級が最多となっている。軽量級から順に紹介していこう(複数階級制覇している選手は各階級ごとに1人としてカウント)。
ミニマム級(47.62kg)は歴史が浅いものの、日本選手は層が厚いこともあって15人を数える。1987年に井岡弘樹がWBCの初代王座決定戦(当時はストロー級)に勝ってから、井岡と対戦が期待されながら実現しなかった大橋秀行や、7度防衛の新井田豊、WBA、WBC、IBF、WBOの4団体でベルトを巻いた高山勝成、井岡弘樹の甥でミニマム級を皮切りに4階級制覇した井岡一翔、初の日本人同士の王座統一戦で井岡一翔に敗れた八重樫東、無敗で3階級制覇した田中恒成ら歴史に名を残す王者が生まれている。重岡銀次朗と重岡優大は史上初めて同日同階級で兄弟世界王者となった。
ライトフライ級(48.97kg)はミニマム級より多い17人。代表的なボクサーは何と言っても具志堅用高だ。13度防衛の記録はいまだ日本歴代1位。今ではタレントとして人気だが、当時は軽量級らしからぬ力強いファイトでファンを魅了した。36戦全勝で17度防衛中だった柳明佑(韓国)を井岡弘樹が破って2階級制覇した一戦もボクシング史に燦然と輝いている。2024年10月12日には矢吹正道が返り咲き、翌13日には岩田翔吉が早稲田大出身で初の世界王座獲得と2日連続でチャンピオンが誕生した。
22人が王座に就いたフライ級(50.8kg)は「日本のお家芸」とまで呼ばれただけあって名王者が多い。19歳でポーン・キングピッチ(タイ)をノックアウトしたファイティング原田、原田のライバルだった海老原博幸、5度目の防衛を達成した後に交通事故死した大場政夫ら、記録にも記憶にも残るチャンピオンがベルトを巻いている。2024年1月にはユーリ阿久井政悟が岡山・倉敷から初の世界王者となり、同年10月には寺地拳四朗が2階級制覇を達成した。
バンタム級は辰吉、長谷川、山中ら名王者16人
スーパーフライ級(52.16kg)も17人のチャンピオンが誕生している。1人目はWBA王者時代にWBC王者パヤオ・プーンタラット(タイ)を破って事実上の王座統一を果たした渡辺二郎、端正なルックスでアイドル的人気だった鬼塚勝也、巧みなディフェンスで「アンタッチャブル」の異名を取った川島郭志ら人気、実力を兼ね備えた王者が多い。
「あしたのジョー」が戦い、日本で最も人気のある階級のひとつ、バンタム級(53.52kg)は16人。「黄金のバンタム」と呼ばれたブラジルの英雄、エデル・ジョフレを破ったファイティング原田、ボクシング界のカリスマ・辰吉丈一郎、辰吉との死闘を制した薬師寺保栄、フェザー級まで3階級を制した長谷川穂積、具志堅に迫る12度防衛の山中慎介、世界的に名高い井上尚弥、フライ級から3階級制覇した中谷潤人ら、そうそうたる面々だ。2024年5月4日には西田凌佑が、2日後の5月6日には武居由樹がベルトを奪い、同年10月には堤聖也が井上拓真からWBA王座を奪取した。
スーパーバンタム級(55.34kg)も12人と多い。35勝27KOの「KO仕掛人」ロイヤル小林、名古屋から初の世界王者となった畑中清詞、本場米国でも高い評価を受けた西岡利晃ら個性的な王者が多い。井上尚弥はバンタム級に続いて世界で2人目の2階級4団体統一を果たした。
日本人には馴染み深いスーパーフェザー級
フェザー級(57.15kg)は5人。米国で王座奪取し「シンデレラボーイ」と呼ばれた西城正三、2階級制覇の柴田国明、35歳の当時史上最年長でベルトを巻いた越本隆志、高校6冠の鳴り物入りでプロ転向し、2階級制覇した粟生隆寛ら実力派が揃っている。
スーパーフェザー級(58.97kg)も10人と多くのチャンピオンが誕生した。「精密機械」と呼ばれた沼田義明、その沼田を破って王座に就いた小林弘、KOの山を築いて11度防衛した内山高志、破壊力満点の「ボンバーレフト」で強敵をなぎ倒した三浦隆司、米国で王座奪取した伊藤雅雪ら、中量級では日本人にとって最も馴染み深い階級だ。
ライト級(61.23kg)はわずか3人。ボクシング草創期はライト級(軽量級)とヘビー級(重量級)しかなく、後にミドル級(中量級)、さらにその他の階級が増設されていったため、ライト級は最も歴史のある階級なのだ。
その重みのあるベルトを日本で初めて巻いたのがガッツ石松。世界チャンピオンを夢見てボクサーになり、王座奪取までに実に11度も敗れた叩き上げのプロで、拳を突き上げるポーズが「ガッツポーズ」という言葉の始まりとされる。31勝(17KO)14敗6分という戦績が、敗れるたびに這い上がったボクサー人生を表している。
スーパーフェザー級に続いて2階級制覇した畑山隆則も記憶に残るボクサーだった。強打の坂本博之と真正面からどつき合い、10ラウンドで倒した初防衛戦は今でも語り草だ。
世界挑戦すら難しいウエルター級は0人
スーパーライト級(63.5kg)は3人の王者が生まれている。ハワイ出身の日系三世で、「ハンマー・パンチ」と呼ばれた強打で世界を制した藤猛、15連続KOの日本記録を樹立し、レネ・アルレドンド(メキシコ)を1ラウンドで倒して日本中を感動させた浜田剛史、沖縄のジムから初めて世界王者となった平仲明信。藤は34勝29KO、浜田は21勝19KO、平仲は20勝18KOと、いずれも重量級らしいハードパンチャーだった。
日本選手がいまだ王座に就いていないのがウエルター級(66.68kg)だ。日本ではスーパーミドル級以上の階級には選手がほとんどいないため、ミドル級までで唯一ベルトを獲ったことのない階級となっている。
これまで辻本章次、龍反町、尾崎富士雄、佐々木基樹らが世界ウエルター級王座に挑戦したが、いずれも敗戦。日本選手にとっては重量級だが世界的に見れば中量級のため、パワーとスピードを兼ね備える必要がありレベルが高い。レナードやハーンズ、トリニダード、メイウェザーらボクシングの本場ラスベガスでスーパーファイトを行うような、とてつもない強さのチャンピオンが多いのも特徴だ。
とはいえ、パッキャオ(フィリピン)もウエルター級のベルトを巻いており、アジア人にもチャンスはあるはず。いずれ日本初の世界ウエルター級王者が誕生する日を期待したい。
1階級上のスーパーウエルター級(69.85kg)では4人のチャンピオンが生まれている。「炎の男」と呼ばれた輪島功一は2度の王座返り咲きに成功。柳済斗を15回KOした試合は日本中の感動を呼んだ。
ミドル級は竹原慎二、村田諒太の2人
ミドル級(72.57kg)は2人。日本最重量級で初めてのチャンピオンとなったのは竹原慎二だ。無敗のまま日本王者、東洋太平洋王者、世界王者と登り詰めた。
もう一人はWBAミドル級王座に2度就いた村田諒太。ロンドン五輪金メダリストからプロでも世界のベルトを巻き、日本で初めてアマとプロ両方で世界を制したボクサーとなった。
日本では重量級は層が薄く、スーパーミドル級(76.2kg)以上で世界王者は生まれていない。ただ、以前から世界を狙えるヘビー級(90.72kg以上)選手をつくっていこうという動きがあり、現在も但馬ミツロが世界を目指している。日本選手の体格が大型化していけば、いずれは世界ヘビー級王者が誕生するかも知れない。
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