プロ入りは8人、大学生は小久保裕紀のみ
1992年に開催されたバルセロナオリンピック。正式種目となった野球で、日本代表は銅メダルを獲得した。当時の代表メンバーと結果を振り返る。
社会人19人、大学生は後に日本代表監督を務める小久保裕紀(青山学院大)のみというチーム構成。プロ入りしたのは8人と、ロサンゼルス、ソウル両大会に比べると少なかった。
ジアンビらがいた米国を破り銅メダル
予選リーグではプエルトリコに9-0、スペインに12-1、ドミニカに17-0、イタリアに13-3、アメリカに7-1と勝利を収めたが、キューバに2-8、チャイニーズタイペイに0-2で敗れ、5勝2敗で2位通過となった。
準決勝の相手はチャイニーズタイペイ。予選リーグで敗れている日本は、大会後にドラフト1位で横浜入りする小桧山雅仁(日本石油)を先発マウンドに送った。しかし、いきなり先頭打者本塁打を浴びると、継投した杉浦正則(日本生命)も痛打され、結局2-5で敗戦。日本の前に立ちはだかったのは翌1993年に阪神入りする郭李建夫だった。
後がなくなった3位決定戦。相手はロサンゼルス大会決勝で勝ち、ソウル大会決勝で敗れたアメリカだ。先発は大会後にドラフト1位でヤクルト入団する伊藤智仁(三菱自動車京都)。後にメジャーで活躍するジェイソン・ジアンビやノマー・ガルシアパーラのいた強打線相手に好投し、杉山賢人(東芝)、杉浦とつないで8-3で勝利した。銅とはいえ、3大会連続でメダルをつかんだ。
プロ通算成績は投打とも五輪代表史上最低
後にプロ入りした8選手の通算成績は表の通り。
2041安打、413本塁打で名球会入りを果たした小久保裕紀の成績が飛び抜けているが、投手陣の合計87勝、打者陣の合計3787安打は、野球が五輪で開催されたロサンゼルスから北京までの7大会で最も少ない。それだけに、他大会に比べて小粒なメンバーで獲得した銅メダルには価値があるとも言えるだろう。
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