著書『10年10万キロストーリー』を地で行っていた金子浩久が、愛車のボクスターをこのほど718ボクスターに乗り換えた。その真相=深層を語る連載の第5回は、変速機選びとサスについて。
注文する718ボクスターのボディとトップ、インテリアの色は決まった。次は、トランスミッションとシャシーをコンフィギュレーターで選んでいく。
現在、ポルシェでは、718ボクスターや911カレラのようなスポーツカーのトランスミッションは6速ないし7速マニュアルが基本となっている。ツインクラッチタイプのオートマチックトランスミッション「PDK(ポルシェ・ドッペル・クップルング)」はオプションだ。
カイエンやマカン、パナメーラなどの4ドア組は逆で、「PDK」や「ティプトロニックS」(一般的なトルクコンバータータイプのオートマチックトランスミッション)などが標準で、マニュアルは設定されていない。
僕は自分の718ボクスターには迷うことなく「PDK」を選んだ。13年11万km乗っていたボクスターは、まだ「ティプトロニックS」だったから、「PDK」付きの718ボクスターに乗れるのがうれしくて仕方がなかった。
初めて「PDK」を運転した時の驚きと感激は今でも良く憶えている。10数年前に、996型の911タルガがデビューした時に、イタリアのガルダ湖周辺の急峻な山岳道路で「PDK」付きの911カレラをテストした。
「ティプトロニックS」に較べて変速スピードが速い上にショックが少ないのは想定内のこととして、圧巻だったのがフットブレーキによるシフトダウンだった。
ガルダ湖の背後にそびえる山々の中でも特に急傾斜の直線道路が何本もヘアピンカーブでつながったところを、911タルガは100km/h近い速度で下っていった。7速PDKは5速に入ったばかり。ヘアピンカーブが近付いて来たところで強めにフットブレーキを踏み込むと、PDKは瞬時に4速を飛び越して3速にシフトダウン。強烈なエンジンブレーキが掛かり、911タルガは路面に沈み込むようにして減速し、タイヤにトラクションを残したまま右に旋回していった。ステアリングを切りながらも、PDKはこちらが気付かないうちにもう一段落としてギアは2速に入っていた。減速Gや路面の傾斜、スピード、エンジン回転数、ステアリング切り角度などさまざまな判断基準を勘案して自動的にシフトダウンしていたのだ。
自分がクラッチペダルを踏みながら変速していたら、こんなに速くスムーズに落とすことなんて絶対にできない。PDKには変速の神様が宿っていた。
驚くには、まだ早かった。加速しながらコーナーから脱出し、再び急な下りの直線でスピードを上げ、今度は左コーナー。同じように強くフットブレーキを踏み込み、4速を飛び越して3速に入ったのを確認しながらステアリングを左に切り、さらに2速に落ちて微かなロールを伴いながら911タルガがニュートラルな姿勢で左ターンを終えるのとほぼ同時にステアリングを直進に戻した。われながらうまく姿勢コントロールができたとほくそ笑んだ瞬間、ギアはなんとそこで1速に落ちた。コーナー出口で1速にギアが入っていたので、そこからの加速は実に鋭く、胸のすくものだった。マニュアルシフトだったら、停止せずに1速に入れることすら至難の技だ。
さらに、次のコーナー直前でフットブレーキをもっと強く長めに踏み込むと、ギアはなんと5速から一気に2速まで落ちた。
その逆もあった。次のコーナーで軽く踏むにとどめると4速までしか落ちないのだ。フットブレーキでシフトダウンをコントロールできるATなんて初めてだった。
なんて賢いトランスミッションなのだろう。この時すでにPDKは“知能”を獲得していたのだ。たくさんのセンサーを持つ小型コンピューターが変速を判断し、瞬時にふたつのクラッチを動かして最適のギアを選び、走りを支配していた。
その頃、他メーカーのクルマにも、同じ原理で動くツインクラッチタイプのトランスミッションが搭載され始めていたが、PDKがそれらと決定的に違っていたのは、ドライバーの力量を見透かすかのように半歩先んじてピッタリの変速を行うことだった。どんな状況でも、素早く、確実で、滑らかな変速を行うから、人間、すくなくとも僕には絶対に真似なんてできなかった。
ガルダ湖の晩、ポルシェのエンジニアにいくつか質問をしてみたら、予想通りの答えが返ってきた。
「たしかに、PDKは状況に応じてさまざまに変速します。いつ、どんな変速を行うかの判断は、PDKを司っているコンピューターのソフトウエアによって決まります。そのソフトウエアは厖大な距離のテスト走行によって蓄えられたデータに基づいて書かれたものなのです」
エンジニアの言う通り、PDKの知能とはポルシェのテストドライバーが地球のあちこちを走りまくって収集した経験と知識がデジタルデータ化されたものだとするならば、それがインストールされたクルマ、つまりPDK付きの718ボクスターに乗らない手はないではないか。PDKと較べたら、マニュアルトランスミッション付きの718ボクスターなど何もインストールされていない“知能ゼロ”のクルマにしか過ぎない。
前述の通り、PDKはオプションなのでコンフォギュレーターのチェックボックスにチェックを入れると、代金52万4000円が上乗せされる。
シャシーに関するオプションで選択したのは、PASM(ポルシェ・アクティブサスペンション・マネージメント)だ。ノーマルとスポーツにダンパーレベルを切り替え、走行状況や路面に応じてハンドリングと快適性が最適化される。
PASMには、鮮烈な思い出がある。雑誌の企画で、2代目ボクスターのPASM付きと無しを筑波サーキットと公道で比較テストしたことがあった。ドライバーは鈴木亜久里で、僕は彼の助手席に乗り、自分でもハンドルを握った。元F1ドライバーの助手席で体験するボクスターのサーキット走行ほどエキサイティングなものはなかった。
亜久里はボキャブラリーが豊富で、比喩表現が上手だったから、彼が運転して解析したボクスターの運動特性の特徴やPASMの有無の違いを巧みに言語化してくれた。
それによれば、PASMはダンパーの特性を単純にピンポイントでふたつに切り替えるのではないということだった。ノーマルとスポーツそれぞれのモードにおいて、走行中のスピードや路面からのショックの大小などに応じて常にダンピング特性が変化していくところがポイントなのだと亜久里は説明した。
その説明の通り、PASMの付いていないボクスターでコースを走ると、ダンパーは一種類の働き方しかしないから、バランスの取れたコーナリングができるスピード域が狭かった。だから、タイトな第1ヘアピンコーナーでは切れ込み過ぎるから減速せざるを得ず、逆にスピードの乗る最終コーナーではフラフラと安定しなかった。
それに対して、PASM付きのボクスターで同じように走ると、ほぼすべてのコーナーをスピードを問わずに思い通りに駆け抜けることができた。その上、PASM付きは公道を走った時にショックや細かな振動を巧みに遮断していて快適性まで高かった。
「ポルシェは絶対にPASM付きだね」
亜久里の断言に強く同意し、その後、さまざまなポルシェに乗っても、僕の選択は“PASM付き”から変わることはなかった。
そんなわけで、コンフィギュレーターで自分の仕様を決める時に、有無を言わさずにPDKとPASMのチェックボックスにチェックを入れたのだった。
金子浩久 モータリングライター
1961年、東京生まれ。大学卒業後、出版社で書籍と雑誌の編集者を3年半務め、独立。20〜30代には、F1記者として世界を駆け巡る。主な著書に、『ユーラシア大陸1万5000キロ 練馬ナンバーで目指した西の果て』『10年10万キロストーリー』 (1~4)、『セナと日本人』、『地球自動車旅行』、『ニッポン・ミニ・ストーリー』、『レクサスのジレンマ』、『力説自動車』などがある。