伝説の女優デルフィーヌ・セイリグの知られざる顔:カリスト・マクナルティー監督『デルフィーヌとキャロル』 ──「モダン・ウーマンをさがして」第20回
現代に生きる女性たちの/による表現をめぐる、ライター・野中モモによる連載。第20回は、フェミニズムの闘士でもあった女優のデルフィーヌ・セイリグについてのお話。
The third concerto
Photo by Norbert Perrau\INA via Getty Images海外のスターやクリエイターに関して、現地ではさほど知られていないマニアックな作品の情報が(熱烈なファンの頑張りによって)紹介される一方で、テレビ・広告・新聞といった広く大衆の目に触れるメディアでの活躍ぶりのほうが逆に見えづらくなることは決して珍しくありません。たとえば海外のセレブリティが自国のトーク番組やCMで見せる顔というのは、かつてなかなかアクセスできないものでした。ネットに情報があふれ動画配信も増えた現在では、かなりタイムラグ無しで追えるようになったけれど……。
インターネット利用率の低かった20世紀のスターには、まだまだ十分に知られていない顔がある。先日、イメージフォーラム・フェスティバル2019とアンスティチュ・フランセの「横浜シネクラブ」で上映されたドキュメンタリー『デルフィーヌとキャロル』は、そのことをしみじみ思い知らされる作品でした。60年代から80年代のフランスで数々の名作に出演した女優のデルフィーヌ・セイリグと、ビデオアーティストのキャロル・ルッソプロスの70年代の活動を紹介した68分の小品です。監督のカリスト・マクナルティーはルッソプロスの孫なのだそう。
デルフィーヌ・セイリグといえば、現在、4Kデジタル・リマスター版が日本でも公開中のアラン・レネ監督『去年マリエンバートで』をはじめ、フランソワ・トリュフォーの『夜霧の恋人たち』、ジャック・ドゥミの『ロバと王女』など、ひと目見て「こんなきれいな人がいるなんて」と思わず感嘆のため息が漏れるエレガントな美女の役で鮮烈な印象を残してきた人。「ヴァイオリンの音色のよう」と言われる、歌うような喋りかたも独特で素敵です。そんな彼女は、脅迫されたり仕事を干されたりする大きなリスクを取って女性の権利のために行動した、勇敢なフェミニズムの闘士でもありました。
先鋭的なヴィデオアーティストとして知られるキャロル・ロッソプロスは、ゴダールに続きフランスで2番目にソニーの携帯用ヴィデオ撮影カメラ「ポータパック」を入手した人なのだそうです。60年代後半、軽量でひとりでも持ち歩きできる比較的安価なヴィデオカメラの登場よって、それまで大きな組織に独占されていた映像製作の手段が、なんとか個人の手にも届くようになったのです。
フランスでは60年代末から70年代、中絶禁止法への反対を大きな争点のひとつとして、フェミニズムの運動が大きな盛り上がりを見せていました。デルフィーヌとキャロルはその渦中で仲間たちとフェミニスト団体「服従しないミューズたち(Les Insoumuses )」を設立。社会の性差別を痛烈に批判し、女性の解放を呼びかけるビデオ作品の共同製作に着手しました。
1976年の『マゾとミゾは船でゆく』(Maso et Miso vont en bateau)は、1975年の「国際婦人年」にあわせて放映されたテレビの討論番組の内容に異論を呈する作品。1977年の『美しくあれ、そして黙れ』(Sois belle et tais-toi )では、フランスとアメリカの女優総勢24人にインタビューし、映画業界の性差別について当事者の声を記録しました。
ここで見られるジェーン・フォンダやマリア・シュナイダーなど有名な女優たちの談話はもちろん興味深いのですが、彼女たちと同じかそれ以上に目を奪われるのが、女性の解放を訴えるデモや集会の内側に入り込んで撮影した、特に有名ではない女性たちの姿です。当時の参加者に「フェミニズムの運動は楽しかった」と回顧されているのも納得の、いきいきした女性たちの表情が捉えられています。
1971年、デルフィーヌは「私は中絶手術を受けた」と公表し避妊手段と人工妊娠中絶の自由化を求める女性たちの請願書「343人のマニフェスト」に署名しています。このマニフェストはシモーヌ・ド・ボーヴォワールが起草したもので、ジャンヌ・モロー、カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・サガン、マルグリット・デュラス、アニエス・ヴァルダら、錚々たる面々が名を連ねています。フランスではこうした動きが、1975年の中絶合法化につながったそうです。
カリスト・マクナルティー監督『デルフィーヌとキャロル』Les Films de la Butteまたデルフィーヌは1972年、国営放送の討論会にゲスト出演した際にも、中絶の権利の是非を議論する「識者」たちに鋭く斬り込んでいます。「あなたたちはほぼ男性ばかりの場所から 、“女性に自由を与えるか否か”について議論をしています。しかし、私たち女性は愚かではないし、決まった時間に散歩をさせるべき犬でもありません。自分の体について自己決定ができるくらいに、私たちは理性を備えています」という彼女の言葉、半世紀近く経った現在でも言ってやりたい人たちがたくさんいますよね。
この場面は『デルフィーヌとキャロル』の予告編にも使われているので、ぜひネットで動画を見てみてください。彼女の熱の入った語り、日本語の文字で読むのとはまた印象が違ってくると思います。また、「服従しないミューズたち」は女性にまつわる映像アーカイヴの運営にも取り組んでいたというから立派です。「平凡な人生」を送るのは難しそうなレベルの美貌に恵まれているだけでなく、内面も傑出したすごい人だったのだなあ。
そういった彼女のバックグラウンドを知ると、シャンタル・アケルマン監督の『ブリュッセル 1080 コメルス河畔通り 23番地 ジャンヌ・ディエルマン』(1975年)などの出演作がますます興味深く感じられてきます。彼女のフェミニストとしての顔が日本であまり注目を浴びてこなかったのは、地理的な条件に加えて、メディアなどで決定権を持つ立場に女性が少なかったことも関係しているのだろうなと思わずにいられません。
そして決定権を持つ立場に女性が少なかったのはフランスも同じです。あちらでも近年のフェミニズムへの注目を受けて、デルフィーヌ・セイリグ再評価の機運が高まっている様子。今年このドキュメンタリーが公開されたのもそうですし、フランス北部のリールの美術館LaMでは「不屈の女神たち。デルフィーヌ・セイリグ、映画とフェミニスト・ビデオのあいだ」展が開催されました。現在はスペインのマドリードのソフィア王妃芸術センターに巡回しているとのこと。今回、日本に『デルフィーヌとキャロル』を紹介してくれたかたがたに感謝すると共に、展覧会もこの勢いでぜひ! とお願いしたい次第です。
野中モモ(のなか もも)
PROFILE
ライター、翻訳者。東京生まれ。訳書『飢える私 ままならない心と体』『世界を変えた50人の女性科学者たち』『いかさまお菓子の本 淑女の悪趣味スイーツレシピ』『つながりっぱなしの日常を生きる ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』など。共編著『日本のZINEについて知ってることすべて』。単著『デヴィッド・ボウイ 変幻するカルト・スター』。