花火写真家であり、ハナビストを名乗る冴木一馬による花火をめぐる旅のおはなしの番外編。後編はいよいよ花火が打ち上がる!
[前回はこちら](https://gqjapan.jp/lifestyle/article/20191122-hanabist-macao)
勇気を振り絞って乗車した8の字観覧車。
いざ、本番へ
タイパハウスからスタジオ・シティへ移動し、ゴールデン・リールと呼ばれる世界初の8の字型の観覧車に乗る。
真下から眺めるとカッコいい建物だよね。ここがスタジオシティ・マカオなのだ。8の字に回るかと思いきや、さすがにそれはぶつかるので3の字で一回転するようになっている。中は冷房が効いて涼しいがハナビストは極度の高所恐怖症のため、身動きができない。このごろ、飛行機だけは慣れてきたもののジェットコースターや観覧車はいまだに克服できないでいる。マカオタワーで233mからのバンジージャンプを体験できるが5万円ほど取られるそうで、ハナビストは1000万円もらっても絶対に飛ばない。いや1億でも飛ばないな……笑
マカオに住む人々は私にすれば皆が裕福で、あこがれの高級車があちこちを走っている。ワハハ……。
笑いが止まらないほど美味しいエッグタルト。
仕事の連絡メールかな……?いつかは乗りたい花火号を見つけながら街を散策するとしよう。コロアン・ビレッジにはエッグ・タルトの有名店、ロード・ストウズ・ベーカリーがある。周辺で取り締まりをしているお巡りさんまで昼休みには並んで買い求めるほどの大人気なのだ。
聖フランシスコ・ザビエル教会。周辺の路地はどこも絵になりますよ。コロアンには聖フランシスコ・ザビエル教会があり、イエローとブルーの鮮やかな建物が真っ青な空に際立つ。地面の模様はカルサーダスと呼ばれ、波型の石畳はマカオのあちこちで見られる。当初は日本にキリスト教を広めたザビエルの遺骨が安置されていたが現在では聖ヨセフ聖堂に移されている。周辺にはカラフルな西欧建築物が多く見られ、目の前の川を200メートルほど泳げば中国である。
果欄街で見つけた白のワーゲン。聖ローレンス教会から聖オーガスティン教会に向かう。建物と道の間には広場があり、わんちゃん専用のトイレがある。ホテル、ソフィテル・マカオ・ポンテ16から果欄街(Rua dos Tercena)を抜けて聖ポール天主堂跡に向かう。初めてマカオに来た時はどんなに驚いたことか。
聖オーガスティン教会前の石畳を走るアウディ。
聖ポール天主堂跡。まるでドリフのセットやんか……。しかしガイドブックをよく読むと聖ポール天主堂跡と書いてあった。1835年の火事で正面の壁と階段だけが残ってこんなことになったしまった。そこから15分ほど北東に歩くと三盞燈(サンチャンタン)にぶつかる。
数多くの露店が並ぶ三盞燈。
どこで撮影したか覚えていないがガラスに青空が反射していてキレイ。ここは放射状に道が広がっており露店で多くの人々が溢れていて新宿のようなイメージなのだ。
9月21日、マカオ国際花火コンテスト当日、最高気温は29度、湿度45%で乾燥注意報が出るらしい。マカオに通い始めて10年以上こんなに涼しいのは初めてだ。
この活版印刷機が発明されたからGQ JAPANもあるのだ。本番のマカオ国際花火コンテストの前にマカオの花火と日本について記しておこう。ここから少しの間、真面目に原稿を書きます。真面目と言っても今まで不真面目だったわけではありません。通常の文章と言うか……
マカオ博物館内には火薬の歴史も……花火好きなら必ず訪れたい。火薬の三要素である硝石は紀元前220年頃に秦の始皇帝が不老不死の薬を作るようにと道教の僧に命じたことから偶然にも錬丹術によって発見されました。その硝石に木炭と硫黄を合わせることに寄って黒色火薬が7世紀頃に発明されます。火薬は羅針盤や活版印刷とともに中国の三大発明に数えられ、爆竹などの歴史も踏まえ聖ポール天主堂跡の裏にあるマカオ博物館で垣間見ることができます。
火薬は当初、武器として利用され12世紀には音や光を楽しむ花火として爆竹やねずみ花火の原型が作られました。その後、火薬はシルクロードを渡り西欧に広がります。1300年頃には大砲が発明され人種や宗教の違いにより紛争が絶えなかった西欧では多くの武器が製造され、14世紀中期にはイタリアで打ち上げ花火が開発され王室の祝事や戦勝パレードなどで使われてきました。
そして天文12(1543)年、漂流して種子島に辿り着いたポルトガルの船が日本に火縄銃と黒色火薬をもたらしたのである。そう、この船がなんとマカオから出航したものなのだ。ここらあたりから何となく日本の花火の匂いが。ここで日本に火薬が入って来て、その後、“花火”に発展する。まぁ、日本の花火の歴史については別の機会に……。
航海には必須の羅針盤。さて話はもどりマカオの火薬産業の歴史は中国本土からの火薬の発見と花火の発明からきており1920年代にはアメリカへ輸出されるほぼすべてがマカオの業者からだった。当時はマカオの西区とタイパの波止場に多くの工場があり香港を介して輸出していたのです。だからマカオの国際花火コンテストが返還前から始められたというのも納得がいくのである。
波止場にあったKwong Hing Tai爆竹製造会社とLi & Fungのような爆竹メーカーは香港や広東にも点在し、製造は島と内陸の工場でおこなわれました。マカオの花火の歴史は火薬の歴史でもあるわけで、まさにマカオはアジア地域での花火の中心地であったのである。この由緒あるマカオで優勝することは花火師にとって、とても名誉なことでもあり、また私たち日本人は、こんな近い場所で世界的な競技会を堪能できるのだ。
ルーマニアのPyro-Technic Transilvania Srlさて、本日の花火はルーマニアのPyro-Technic Transilvania srl社とイギリスのMLE Pyrotechnics Limited社である。特にルーマニアの花火はハナビストも初めてなので興味深々である。マカオ花火コンテストは音楽に合わせて約20分間打ち上げ、演出を競う。実は3年前からレーザーも組み合わせるようになって複雑になった。21時からイギリス、休憩約20分を空けて21時40分からルーマニアが上げた。ここでは音楽のシンクロ、タイトルのイメージなどの芸術点、高さやタイミング、不点火などの技術点など複雑な基準があり10人の審査員が判断を下す。そして今年優勝したのは最終日の10月5日にパフォーマンスを披露した日本である。
イギリスのMLE Pyrotechnics Limited
2016年に優勝した時の丸玉屋小勝煙火店のパフォーマンス。今大会はマカオ返還20周年と花火コンテスト開催30回記念が重なり例年の10社から増えて12社での争いになった。日本を優勝に導いたのは丸玉屋小勝煙火店で1993年と2016年にも優勝している強豪である。2位は中国、3位はフランスで優勝の日本チームには賞金1万米ドルが手渡された。康平さん、おめでとう。
チーム・ルーマニアのJakab Azabolcs氏とFerens Toth氏。
チーム・イギリスのBen Johnson、John Kellener、Graham Johnson、Karl Fochtmann氏らと。PROFILE
冴木一馬
1957年、山形県鶴岡市うまれ。1987年頃より花火の撮影をはじめ、ハナビストを名乗り活動する。http://www.saekikazuma.com/
協力・マカオ政府観光局