「映画の仕事」にはいろいろな種類があるが、今回注目する久保和明氏は映画プロデューサーとして活躍している人物だ。プロデューサーという職業は私たち一般人からすると、監督や俳優と違い具体的に何をしているのかわかりにくい。一体どんな軸を持ち、どんな仕事をしているのか、お話を伺った。
楽しさを求めた先に見つけた映像の世界
映画プロデューサーになるからには、きっと幼いころから映画やテレビにかじりついていたのだろう――そんな予想に反して、久保氏はそれほど映像作品を観ていなかったという。小学生時代は家でテレビや映画を見るより、友達と話して教室を笑いの渦に巻き込むことに熱中していた。
「毎日、いかにみんなを笑わせるかだけを考えていました。寝る前も、明日はどんなことをして楽しもうかという気持ちでいっぱいでした」
そんな久保氏は中学まで剣道に打ち込み、高校からは憧れだった野球を始めた。しかし野球部に入ったものの、同級生26人の中で未経験者は彼一人だけ。入部直後に新入生全員にバッティングスキルをアピールするチャンスが与えられたが、周りがピッチングマシーンから放たれるボールを華麗に打つなか、一球もかすりもしなかった。
こうした状況に人が立たされたとき、落ち込みそうなものであるが久保氏は野球部での高校生活が楽しかったと懐古する。
「野球強豪校だと未経験者は入部すらできないし、経験者でもレギュラー争いのため、血を吐くような毎日を過ごすものらしいです。でも私の野球部生活は、いい思い出しかありません」
高校球児も2年半経てば、引退を迎え進路選択を迫られる。進学校に通っていた久保氏は周りの友人らと同じように大学進学しようかと考えていたが、ある疑問を持つようになった。「そもそも、なぜ大学に行くのか?」。その質問に答えられる友人は、一人もいなかった。
「大学って何なんだろうと真剣に考え始めたのですが、答えはわかりませんでした。そこで将来どうするか1年間浪人して決めることにしました」
小中学生の頃は毎日、どうやって「おもしろいこと」をするかを考え、高校時代は野球を「楽しむ」生活をしていた久保氏。進路を考えるうえでも、「楽しいことをやりたい」という思いが軸になった。
今の自分は、どこに行けば楽しめるのか。その答えが、テレビや映画といった映像の世界だった。その世界に飛び込めばおもしろいことが何かあるのではないかという期待を胸に、日本映画学校(現:日本映画大学)の扉を叩いた。
人とは違う経験を経て成長した映画学校時代
日本映画学校にはさまざまな科があり、監督をはじめ脚本、カメラ、照明などについてそれぞれ専門的に学ぶ。久保氏は「一番楽しそう」という理由で俳優科を選んだ。本人としては毎日楽しく過ごしていたが、ある日、衝撃的な言葉を告げられる。
「急に担任の先生に呼び出されて、『お前は何でそんなにつまらなさそうにしてるんだ?』と言われたんです。ふてくされた感じでいつも後ろの方にいるし、やる気はないのか、とまで言われました」
そこまで言われて思わず、「そういう風に見えるなら、そういうことなんじゃないですか」と返答してしまった久保氏。現実は甘くなく、演技力を高める機会が減ってしまった。
日本映画学校では授業のなかでいろいろな作品を演じるが、久保氏だけ配役がなかったり、あっても一言しかセリフが与えられなかったりという状況に陥ったのである。しかし、久保氏は冷静だった。
そこで腐るのではなく自分が演技をしない分、ほかの生徒の演技を観察し「自分ならこうする」と分析を繰り返す時間を過ごすことにしたのだ。高校時代も一人だけ野球初心者だったため、周りの経験者を冷静に見ていた。場所を変え同じようなことをすることになったわけだ。
こうした状態のまま1年が経とうとしていた頃、講師から映像科の実習への参加を提案された。実習のおかげで俳優科に籍を置きつつも、映像科のチームに混ざって別の観点から作品を観ることができるようになり、だんだんと久保氏に再び役が回ってくるようになったという。
「映像科の方に出入りしているうちに、先生も変わって私のなかにあった良さ、おもしろいと思える部分を見出してくれて、いい役をやらせてくれました。やるたびに楽しくて、一生懸命でした」
俳優科にいるだけでは得られなかった経験を積み重ねていった久保氏は、無事に日本映画学校を卒業した。
持ち前の行動力で役者デビューのチャンスをつかむ
一般的な専門学校とは異なり日本映画学校には俳優科の卒業生に対して学校が就職先を積極的に斡旋する仕組みがなかった。そのため、卒業後は実力で仕事を獲得するしかない。何も実績がないなかで作成したプロフィールを片手に、久保氏は業界情報誌に載っている事務所に片っ端から電話をした。
しかし、どこにも相手にされない。そこで直接足を運んだが、話を聞いてもらうどころか邪魔者扱いされてしまう。そんなことが続いたある日、持参したプロフィールをくしゃくしゃに丸めて捨てられる様子を見てひらめいた。
「どうせ丸めて捨てられるなら、プロフィールの下敷きを作ろうと思いました。それなら捨てづらいと思って、これを持って業界の関係各所を行脚しました」
へこたれることなく訪ね歩き続けた結果、2時間ドラマを担当するプロデューサーには比較的時間を作ってもらいやすいことに気がついた。そうした会社に通い詰めるうちに、「お前、また来たか。次はいつ来るんだ?」と気さくに対応してもらえるようになり、業界の話を聞けるようにもなった。
関係性ができていくなかで「次の作品で使ってあげたいけど、そのためにはどこか事務所に入ってもらわないと」と言われた。このことをきかっけに出演のチャンスを手にするため、久保氏は事務所探しに明け暮れる日々を過ごす。時には、何も知らず詐欺まがいのオーディションに参加してしまいひと悶着したことも。紆余曲折を経ていくつかの事務所と巡り合った。
そのなかには数百人の俳優やタレントを抱えた大手事務所もあったが、久保氏は女性社長が一人で切り盛りする小さな事務所に所属することを決めた。小さい事務所の方が、巡ってくるチャンスが多いと踏んだのだ。
「事務所のなかで自分が一番だということを社長一人に説き伏せば、たくさん仕事ができると思ったんです。所属してから社長にはどんどん話をしていきました」
一筋縄とはいかなかったものの事務所に所属することができ、久保氏の役者としての活動がスタートした。
事務所のエキストラ管理で芽生えたプロデュース業
事務所に所属した久保氏は、持ち前のバイタリティで社長とコミュニケーションをとり、何とか仕事を獲得しようと積極的に動いた。
「当時、事務所には25人くらい俳優がいましたが、とにかく自分が一番だから、自分を営業することが会社の利益につながると言っていました。すると社長が、東映に連れて行ってくれたんです」
連れて行ってもらった先でも、久保氏はプロデューサーに積極的に営業した。実績もないまま「自分は、結構やれると思う」と押しに押した結果、「ちょうど久保くんにぴったりな役がある。口八丁手八丁で未成年に薬を売りさばく男の役がある」と言われた。それに対して久保氏はすかさず「まさに自分にぴったりな役です」と答えた。
圧倒的なコミュニケーション能力で仕事を獲得する様子を見ていた社長は、久保氏にこう言った。「私の代わりにうちの営業をしてほしい」。
一見チャンスが広がるような提案であるが、この提案にはデメリットも感じたという。
「自分が役者として出たいのに、事務所の営業としてほかの俳優の売り込みをしなくてはいけなくなるわけです。しかも、役者が自分で自分を売り込むと、それだけで価値を下げてしまうこともわかりました。でも、そういうデメリットを覆すくらいの営業ができると思いました」
少し躊躇はあったものの、事務所の営業として活動を始めた久保氏。今振り返ってみれば、これが映画プロデューサーとしての一歩目だった。
その結果、所属俳優の仕事は3年間で約9倍に激増。ここまで成功した秘訣は、相手の困っていることを聞き出すことだという。
「役者は売れていなければ、商品価値がありません。これはどの仕事にも通じると思うのですが、商品価値のないものを売るには、相手にどんなメリットがあるのか提示するしかありません」
そこで久保氏は、プロデューサーに困っていることを聞いてまわり、その一つひとつに応えた。たとえば「エキストラ3000人を集めないといけない」と聞けば、久保氏は自分自身で3000人を用意し、その管理まで請け負った。
これを皮切りにその後1年半もの間、東映作品のエキストラを仕切ることになる。どんどんと規模が大きくなり、エキストラの管理は一大事業として育った。噂を聞きつけたテレビ局のプロデューサーから「今すぐに役者10人そろえたい」「暴走族役ができる男を5人連れてきてくれ」と次々仕事が舞い込むようになっていった。
仕事が増えるにつれて、久保氏はスタッフルームにも自然と出入りするようになる。そこでオーディション情報を集め、これはと思う役者を派遣した。オーディションの機会が増えるにつれ、実力のある役者は順調に仕事も増加。最終的には、月9ドラマのレギュラーを獲得する役者も現れた。
楽しいことを探してたどり着いた映画製作事業
事務所の役者を売り出し、テレビ・映画関係者からの業務を請け負いながら久保氏も役者としての活動を続けていた。しかしある時、人生の軸となってきた疑問が頭をよぎる。「今の生活は、果たして楽しいのだろうか?」と。
「当時はまだ23歳くらいでしたが、ものすごく大変だったんですよ。そこでふと、自分は何がしたかったのかなと考えた結果、やっぱり楽しいことがしたかったわけです。それがおもしろいと思う俳優や監督と仕事をすることでした」
一方で、自身が俳優として出演できても1、2シーンのみ。エキストラを仕切ってはいたものの、作品制作そのものには携われなかった。もっと作品に関わるためには、役者としてブレイクして大きな役を得なくてはならない。
しかし、どうしてもそうした自分のイメージが湧かなかった。役者として売れるかどうかは、実力以外に運の要素も大きい。約束されていないもののために努力を継続することは、非常に難しかった。
大きい役をもらえないなら、自分で企画して自分で制作した方が早い。久保氏は人脈を活かして「自分で企画をやりたい」と、関係者に訪ね回った。
しかしそこで待っていたのは「お前に何ができる?」という辛辣な反応だ。まともに話を聞いてくれる人さえ見つからず、どうしたらいいか考え始めたとき、たまたま地元・市川市周辺のFM放送を耳にする。これが、久保氏にとって大きな転機となった。
この放送局に乗り込み、「俺はおもしろい、だから番組を持たせてくれ」と直談判をしたのだ。予想通り一度目の交渉では訝しがられたが、何とか通い詰めるうちに話を聞いてもらうことができた。
ある日ついに、「急遽、生放送の枠が1時間空いたから、好きなことやってみてもいい」と連絡が来た。そこで映画の作り方を話したところ、次から正式に月曜9時の生放送枠を担当することに。久保氏の実力が認められた瞬間だった。
久保氏は、与えられた枠で映画やドラマの宣伝をすることにした。監督や宣伝部はもちろん制作に関わる人たちにとって枠の大小にかかわらず宣伝してもらえるだけでありがたいことを知っていたからだ。
「自前の録音セットを持って、監督やプロデューサーのところに行って話を聞くわけです。そのうえで、実は自分で作品を作りたい思っていることを相談してみると以前とは打って変わっていろいろなことを教えてもらえました」
久保氏は1年間、多くの人に作品制作について相談した。自社のスタッフも巻き込み本格的に準備を進めていたところ、あるスタッフが事故に遭い生死をさまよう出来事に直面する。
行動力でつかんだ初めての自主制作のチャンス
6回の手術を経て事故に遭ったスタッフが何とか落ち着いたころに見舞いに行くと、「もう俺は死にたい」と、ノートに死ぬ方法をたくさん書いているところを目にした。
「これを見て、彼は本気だと思いました。だから、『前は楽しいことを話していたろ、それをノートに書けよ』と励ましました。すると、少しずつ彼が元気になっていったんです。その過程を見ていて、この話を映画の企画にしたらもっと彼の元気が出るのでないかと思いつきました」
企画内容がある程度固まった当時、ちょうど多くの衛星放送局が立ち上がり始めていた。久保氏はそのなかでもスカパー!とのつながりを持ち、いくつかの枠を確保できた。作品完成後はテレビ局や新聞社に自ら電話をかけ、作品は少しずつ取り上げられるようになった。
そこからテレビ朝日系『トゥナイト2』から一週間の密着取材を受け、より一層作品が知られるようになる。それと同時に役者だけでなく事務所の営業や企画など、幅広い業務をこなす久保氏自身にも着目されることが増えた。こうして24歳の新進気鋭な才能は、業界の注目を集めることになった。
自身による作品制作をはじめてからは、所属プロダクションに机を起き、制作チームを確立した。その後3年間、低予算での映像作品制作を継続。事業はどんどん大きくなり別会社を興すことになった。
楽しいことを追い求めた久保氏は、最終的に映像制作会社である株式会社レオーネを起業。一国一城の主となったのだ。
これまでの経験を活かして企画したTwitterドラマ『はつ恋とビー玉 ~10の約束~』
会社設立後、さまざまな映像制作を手掛けてきた久保氏が現在注力しているのが、Twitterドラマという新しい形の作品だ。その初作品となる『はつ恋とビー玉 ~10の約束~』は、天王洲アイルで育った2人の男女の物語である。
本作は品川区の観光PRドラマとして制作されている。レオーネが映画だけでなく企業や自治体のPR動画なども制作していたため、この話が舞い込んできたのだ。本作品からは、久保氏の仕事への姿勢を垣間見ることができる。
「品川区が地域をPRする方法を探していると東京テアトルの方から聞いて、自分たちなら何ができるのか考えました。普通にPRのためのドラマを作っても、もうそんな方法はやりつくされているから効果は薄いですよね」
この街を知らない若者や、オリンピックで東京を訪れる若者に、品川区に立ち寄ってもらうことが目的だと聞いた久保氏は、「それならSNSを使ったドラマがいいのではないか」と考えた。単にSNSで名所を紹介してもおもしろみがないが、映像作品の配信なら楽しんでもらいやすい。
久保氏は、本作のキャスティングにも携わっている。主役には小南光司さんと越智ゆらのさんを起用した。どちらも若者からの人気が高い役者であるため、ターゲットへの訴求効果が高い。
「PRしたい要素が明確なので、どうすれば無理のない形でドラマに入れられるかといった点には難しさもありました。単に品川区にあるいろいろなスポットをめぐるという形では魅力的ではないと思い、ふたりの若者のストーリーを考えました」
昔から「楽しいかどうか」という基準を大切にし、「相手の困っていることを聞き出して解決案を提案する仕事」を続けてきた久保氏だからこそ、たどり着いた企画だといえるだろう。本作品の制作にあたり、どんな苦労があったかを伺った。
「普段は撮影が始まればスタッフに進行を任せますが、本作のロケ現場は品川区と東京テアトルを経由して準備したこともあり、スタッフ全員に情報を引き継ぐことが難しかったです」
人任せにしては進まないと判断した久保氏は、撮影交渉や調整をすべて自分自身で行った。『はつ恋とビー玉 ~10の約束~』は行動力と調整力、まさに久保氏がこれまで培ってきたスキルをフルに活用して制作した作品となった。
目標に向かって地に足をつけて邁進する
久保氏のバイタリティは、一体どこから生まれているのか。この問いに対しては、意外にもあっさりとした答えが返ってきた。
「行動力があるとかバイタリティがあるとか、人には言われますが自覚はありません。私にとっては当たり前というか、これが自分のペースなんだと思います」
他人と比べれば圧倒的なパワフルさだが、久保氏からすれば、やりたい目標がありそのためにやるべきことをやっているだけなのだ。
「若い頃は一般的な社会人とは違う働き方に対して優越感を持っていたこともありました。でも今となっては、どこかの企業に就職して会社員として9時から18時まで働く生活ができる人こそ偉いと感じています。自分はできないから今の場所に逃げたのだと思っています」
だからこそ、もうこれ以上の逃げ場はない。ここで踏ん張るしかないと思うと、仕事がつらくても踏ん張ることができる。
また、夢を見過ぎないことも大切な要素だ。しっかり現実を見て、今の自分に何ができるかを冷静に判断する。大きな夢を見すぎると、何から手をつけていいかわからない。そうならないためにも、地に足のついた考えをする。
仕事を通して落ち込むような出来事もあるが、それは考えないようにしている。悩んでも解決しないことは考えないようにし、別の側面を見るなどの工夫しているそうだ。
1割の楽しさを追求する映画プロデューサーの仕事
現在は、自身が立ち上げた制作会社の代表を務めながら映画プロデューサーとして活躍する久保氏。映画だけでなくドラマなど映像作品全般にも携わっているが、具体的にはどんな仕事をしているのだろうか。「制作会社の映画プロデューサーはまず企画を考えて、原作があるものであれば権利の調整をします。そして何より、出資者を探さなくてはいけません。それがなければ、何もできないんです」
無事資金を確保できたら、監督と脚本家を決めメインのキャスティングを行う。撮影スケジュールが見えた段階でほかのキャストやスタッフを集める。撮影の開始後は滞りなく進めるためにトラブルシューティングをしていくのも仕事だ。
撮影が終われば作品の完成に向けて映像編集などの仕上げ作業を行う。最後に出資元や映画会社などに納品して完了。いわば、裏方作業を1から10まで面倒を見るというイメージだ。
楽しさにこだわって人生の進路を決めてきた久保氏にとって、映画プロデューサーのおもしろさはどこにあるのだろう。
「一から企画を考えているときですね。次はこういう作品を作りたい、ああいうこともやってみたいと自由に企画しているときが、最高に楽しいです。
とはいえ、基本的にどんな仕事でも9割は辛いと思います。残り1割の楽しさが、9割を凌駕できるかどうかで仕事を続けられるか決まります。私の場合、作品を観た人が『おもしろかった』『最高』と言ってくれたときにやりがいを感じます」
では、映画プロデューサーになるために必要な能力についてはどう考えているのだろう。
「それは、トラブルシューティング能力ですね」と久保氏。撮影が始まったら、映画プロデューサーの主な仕事はいろいろな部署で発生するあらゆるトラブルを解決していくことになる。それらに対して早めに手を回し、芽を摘むことが重要なのだ。
また久保氏は仕事をするうえで「映画を好きになりすぎないこと」を大切にしている。あまりに好きになってしまうと客観性を失うからだ。
「世の中の人が作品を観たときにどう思うかという視点がなくなってしまうのです。自分が作ったものが最高だと盲信しているようでは優秀なプロデューサーとは言えません」
のめり込みすぎると、自分の好みだけに走ったり、予算も顧みず突き進んでしまったりする。実際に好きが高じるあまり、無理がたたって業界を去っていく人は少なくないという。現在の成功には久保氏の優れたバランス感覚も大きく影響しているのだろう。
最後に、映画プロデューサーを目指す読者へのアドバイスをいただいた。
「映画業界で働きたいなら、職種は問わずとにかくアルバイトやアシスタントで現場に飛び込むのが一番です。一度入ったら、希望している部署の先輩に『仕事をください』と言い続ければどこかで呼んでもらえます」
現場に行けば、自分のやりたいことも自ずと明確になる。映画の作り方ややるべきことが見えたら、自分の道筋を決めてそれに向けて頑張ればいい。
久保氏のこれまでの歩みを振り返ると、映画プロデューサーになるには人並外れたバイタリティが必要なように見えるが、意外にもハードルは低いと本人は話す。一般的な社会性さえ持っていれば、業界に入ること自体は可能だ。しかしそこで活躍できるかどうかは自分次第ということだろう。今後、久保氏がどのような作品を私たちのもとに送り出すのか、見逃せない。
久保和明氏の取材後記
現在手掛けている『はつ恋とビー玉 ~10の約束~』は、Twitterドラマ特有の大変さも多かったという。アップロードできる動画の長さは最大140秒と短いため、その中でドラマを見せるのは難しい。作りこんだ脚本の半分の要素しか見せられないということが、制作を始めてからわかったそうだ。そんなトラブルも、きっと平然とした顔で調整してしまいそうなひょうひょうとした雰囲気。そして目標を達成するための行動力。この2つを兼ね備えた久保氏ならずっと素敵な作品を生み出し続けるに違いないという確信を持たせる人柄だった。
久保和明氏からのビデオメッセージ
久保和明氏のご紹介
久保和明/映画プロデューサー
1975年8月生まれ、千葉県出身。日本映画学校(現日本映画大学)俳優科10期卒業。日本映画学校卒業後、俳優として数多くの舞台に出演した後、2000年『はみだし刑事Ⅴ』でデビュー。同年、所属事務所の俳優の営業並びにマネージメントを始める。
2004年、株式会社レオーネを設立。CS放送のドラマ、ローバジェットの映画、Vシネマ、企業PVなど、「ドラマ物」を中心に多くの映像作品を制作。2020年は映画『アルプススタンドのはしの方』が大ヒット。2021年2月5日より、Twitterドラマ『はつ恋とビー玉 ~10の約束~』が配信中。