Jリーグにおいて今や韓国人選手は欠かせない存在になりつつある。
1993年にJリーグが開幕した当時は、高麗大学在学中に韓国代表入りを果たし、Kリーグを経ずに日本にやってきたノ・ジョンユン(サンフレッチェ広島など)ただ1人だったが、1997年にコ・ジョンウン(セレッソ大阪)がKリーグから初めて日本にやってきて以降、その数は毎年のように増えつづけ、アジア枠が設けられた2008年以降はさらに増加している。
今や韓国勢はブラジル勢に次いで最も多い外国人勢力となっているが、行き来も激しい。とりわけ現役を引退した選手たちの消息は、日本にまでなかなか伝わってこないだけに気になるところだろう。
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調べてみると、多くのサッカー選手が引退後に監督やコーチといった指導者の道に進むように、かつて日本で活躍した韓国人Jリーガーの多くが、韓国に戻った現在はKリーグで指導者として活躍している。
例えばヴィッセル神戸で活躍し“コリアンボンバー”と呼ばれたキム・ドフンは蔚山現代で監督を務めているし、同じく神戸で活躍し横浜FC、ザスパ草津などでもプレーしたチェ・ソンヨンは水原三星でコーチを務めている。
コ・ジョンウン
Kリーグ2(2部リーグ)に目を転じれば、昨季コ・ジョンウンが安養FCの監督に就任(現在は契約解除)し、水原FCの監督には元ジェフ市原のキム・デウィが就任している。
牙山ムグンファの監督には元柏レイソルのパク・ドンヒョク。元京都サンガのコ・ジョンスは大田シチズンの監督を務めている。
指導者として成功した韓国人Jリーガーは誰か
では、指導者に転身したJリーグ経験者のなかで、Kリーグで最も実績を残しているのは誰か。
それは1999年Jリーグ得点王にも輝いたファン・ソンホンだろう。
ファン・ソンホン
2007年から釜山アイパークで監督になり、2011年からは古巣の浦項スティーラーズ監督に就任。2012年にはFAカップ優勝、2013年にはKリーグとFAカップの2冠を達成し、Kリーグ最優秀監督賞も受賞。2016年7月からはFCソウル監督になり、1年目でリーグ優勝も成し遂げている(2018年12月からは中国スーパーリーグ延辺富徳の監督に)。
このファン・ソンホンに次いで実績を残しているのが、ジェフ市原、京都サンガ、ジュビロ磐田などで活躍したチェ・ヨンスだろう。
チェ・ヨンス
2006年からFCソウルでコーチ生活をはじめ、2011年に監督に昇格すると、2012年にはKリーグ制覇。翌2013年にはACL準優勝。2015年にはFAカップも制している。その実績を買われて2016年7月には、推定年俸350万ドル・5年契約の好待遇で中国スーパーリーグの江蘇蘇寧に引き抜かれた。
ただ、チェ・ヨンスは中国では結果を残せず2017年6月に退任。FC東京の監督候補にも浮上したが、最終的に話がまとまらず現在はFCソウルの監督を務めている。
韓国人Jリーガーで韓国代表監督になったのは?
このチェ・ヨンスとファン・ソンホンは、将来の韓国代表監督候補の最右翼ともされているが、元コリアンJリーガーで韓国代表監督を務めた人物はすでにいる。
ベルマーレ平塚や柏レイソルで活躍したホン・ミョンボがその人だ。
監督として臨んだ2009年U-20ワールドカップではベスト8、2012年ロンドン五輪では日本を下して韓国に銅メダルをもたらした“カリスマ”は、2013年7月に韓国代表監督に就任。
2014年ブラジル・ワールドカップで韓国代表を指揮した。
だが、そのブラジルW杯では0勝2敗1分に終わり、容赦ない非難にさらされて辞任。
2016年からかつて岡田武史やフィリップ・トルシエも采配を振るった中国の杭州緑城で監督としての再起を目指したが、成績不振を理由に2017年5月にその職を解かれた。
プロの世界は結果がすべてだが、ホン・ミョンボは指導者として酸いも甘いも経験したといえるだろう(ホン・ミョンボは2017年11月にKFA専務理事に就任した)。
ホン・ミョンボ
挫折を味わった韓国人Jリーガーは?
もっとも、指導者の苦味を味わっているのは、チェ・ヨンスやホン・ミョンボだけではない。
かつて横浜Fマリノス黄金時代を支えたユ・サンチョルは、2011年7月から大田シチズンの監督を務めたが1年5カ月でその座から退き、蔚山大学の監督などを務めた。
ユ・サンチョル
ヴィッセル神戸で“親分”の愛称で親しまれたハ・ソッチュも全南ドラゴンズの監督を2年間務め、現在は母校・亜州大学サッカー部の監督だ。日本同様に、韓国でも有名サッカー選手だからといって無条件でKリーグの監督ポストが用意されるわけではないのだ。
タレントとして人気爆発中なのは?
そのせいだろうか。最近はテレビ局なインターネット放送のサッカー解説者として“第二のサッカー人生”を送っている者たちも多い。
例えば大宮アルディージャで活躍したイ・チョンスは2015年11月に引退後、ケーブルテレビ局『JTBC』のサッカー解説者に転身。バラエティ番組などにもよく出演している。2019年からはKリーグ仁川ユナイテッドの強化部長に就任した。
イ・チョンス
サッカー解説者として最も成功している韓国人Jリーガーは、アン・ジョンファンだろう。
かつて清水エスパルスや横浜Fマリノスで活躍した“韓国のファンタジスタ”は、2012年1月に現役を引退した後、民放テレビ局MBCのサッカー解説者となり、2014年ブラジル・ワールドカップ中継で解説者としてブレイク。
Jリーグでプレーした経験もあることから、日本に対してかなり辛口で、それが韓国でも話題になり、最近はサッカー中継だけでなく、バラエティ番組にも引っ張りだこにもなっている。
しかも、近年は韓国の料理バラエティ『冷蔵庫をお願い』、旅バラエティ『パッケージで世界一周』、歴史バラエティ『私心充満!!オー好男子』といった番組でレギュラーMC(司会者)を務めているほどだ。
アン・ジョンファン
軽快な話術と興味深いエピソードを絶え間なく披露し、今や元サッカー選手という肩書も不要なほど、完全にタレント化している。10代の若い視聴者のなかには、彼が韓国人初のセリエA進出選手で、2002年W杯でも大活躍したことを知らない者もいるほどだというのだから、面白い。
消えた韓国人Jリーガーは今、どこへ!?
面白いといえば、アン・ジョンファンと入れ替わる形で清水入りし、ガンバ大阪でもプレーしたチョ・ジェジンだろう。
2010年冬に29歳の若さで現役引退した二枚目ストライカーは引退後、各種テレビ局からタレント転身を打診されたが断って、実業家に転身。日本のゴルフクラブ・デザイナーであるジョージ武井氏プロデュースの『GTDドライバー』の輸入販売から始め、現在はアパレル関係の販売業も手掛けている。
実業家とゴルフというキーワードは、韓国人Jリーガーの草分け的存在であるノ・ジョンユンにも当てはまる。
2006年4月に現役引退したノ・ジョンユンは、一時期、韓国のオンラインゲーム会社『アンドロメダ・ゲームズ』の顧問に就任。ゲーム事業に乗り出したことがあった。
ただ、それが長続きすることはなく、2007年から家族とともにアメリカ・ロサンゼスに移住。
筆者は、2008年9月に行われた韓国サッカー協会設立75周年記念・日韓OB戦に出場するために韓国に戻っていたノ・ジョンジュンと会食したのだが、「韓国とアメリカを行ったり来たりです。アメリカでは娘の学校の送り迎えをしたり、ゴルフをしたりしています」と笑っていた。
その後、韓国でもパタリと消息が少なくなったノ・ジョンユンだが、一説によるとロサンゼスでSGTF(United States Golf Teachers Federation)の資格を取得し、ティーチングプロに転向したという噂もあるが、はたして……。
韓国人Jリーガーの出世頭パク・チソンは?
いずれにしてもノ・ジョンユンに限らず、日本で活躍した韓国人Jリーガーのその後の進路は多岐に渡るわけだが、最近で最もインパクトがあったのはパク・チソンが選んだ“第二のサッカー人生”ではないだろうか。
京都パープルサンガでプロキャリアをスタートさせ、オランダのPSVアイントホーフェン、イングランドの世界的名門マンチェスター・ユナイテッドでも大活躍した韓国人Jリーガー最高の出世頭は2014年5月の引退後、自身が理事長を務める『JS財団』の活動や2014年10月に任命されたマンチェスター・ユナイテッドの公式アンバサダーを務める傍ら、2016年3月からはFIFAマスターコースに入学した。
FIFAマスターコースとは、クラブ運営や国際組織をマネージメントする上で重要な組織論や法律など、スポーツマネージメント全般を学ぶFIFA(国際サッカー連盟)運営の大学院で、日本では元代表主将の宮本恒靖氏が修了したことでも有名である。
パク・チソンもこのFIFAマスターコースを履修し、この夏、約1年間に及んだ全行程を終え、無事に卒業しているのだ。
2017年9月にロンドンでパク・チソンに会ってインタビューしたが、「机にかじりついて本と睨めっこすることがこんなにも大変だとは思わなかった。サッカーのほうが、楽でした」と苦笑いを浮かべていたほどだ。
ただ、その過程で得た知識と経験を、いつかパク・チソンは韓国のみならずアジアサッカーの発展のために生かしたいと思っているという。2017年11月にKFAのユース戦略本部長への就任(現在は辞任)したパク・チソンだが、同9月にロンドンで取材したときにはこんなことも言っていた。
パク・チソン
「指導者はできないと思ったし、解説者はタレント活動みたいなものでサッカーの面白みや楽しさは提供できても、韓国やアジアサッカーの発展には直接的に寄与できない。
僕はアジア人選手としてヨーロッパで活動して多くの声援もいただいたので、今度は韓国やアジアサッカー発展の助けになる仕事がしたかった。それで出した結論がサッカーマネージメントの道でした。
アジアには当然、日本サッカーも含まれています。Jリーグから魅力的なオファーがあり、それが魅力的な仕事で、タイミングも合えば、やらないことはないと思います。
Jリーグだけではありません。Kリーグであろうと、ほかのアジアの国であろうと、僕としてはすべての可能性をオープンにしていますから」
監督やコーチとして、解説者やタレントとして、実業家やサッカー行政家として“第二のサッカー人生”を歩んでいる懐かしの韓国人Jリーガーたち。どんな形であれ、いつか再びサポーターの前に立ち、その姿を披露してくれる日が来ることを期待したい。