今なお、独特の存在感を放つ北大路魯山人。2019年で没後60年を迎えた。書、篆刻、絵画、陶芸、料理を極めた稀代のクリエイターはいかに生まれたのか。その原点の一つとされる石川・山代温泉に足跡を訪ねる。
▲トップ画像/『織部霞網俎板』北大路魯山人(紀尾井町 福田家)
(初代菁華は)天下独歩の観あり
▲左/『⾦彩葡萄絵⽫』⾚に映える繊細な⾦彩。右/『織部輪花向付』魯⼭⼈お得意の織部は1942年の作品。(いずれも「あらや滔々庵」の魯山人作品コレクションより)
大正4(1915)年秋、一人の若きアーティストが山代温泉を訪れた。のちの北大路魯山人(当時は福田大観と名乗る)である。彼をその地に誘ったのは、趣味人としても知られる金沢の実業家・細野燕台。そのころの大観は篆刻師として腕を振るい、各地で会社や大店の刻字看板を制作していた。その才能に目を留めた燕台は、自らの趣味を通して交流の深かった山代温泉の名士たちと大観を引き合わせる。それは大観に温泉各地の刻字看板を受注させたい、という燕台の親心的な温情だったともされる。
▲左/紅殻の佇まいが印象的な住居跡には、多くの観光客が足を運ぶ。右/大観の篆刻作業を再現。その彫りの深さに驚かされる。
山代温泉の旅館「吉野屋」主人・吉野治郎、「あらや」(現「あらや滔々庵」)十五代目主人・永井寿、「白銀屋」主人、そして陶芸家の初代須田菁華。加賀百万石・前田家の奥座敷とも呼ばれる歴史ある温泉地では、燕台や山代温泉の旦那衆たちによる小さな文化サロンが形成されていた。煎茶、謡などに興じ、書画骨董に親しむなど、教養と感性を持つ趣味人にとっても、大観のクリエイティブなパワーは新鮮な感動を与えたようだ。とりわけ吉野は大観を気に入り、自分の書斎であった別荘を提供、木造2階建ての小さな家屋は、以降この地での大観の住居兼工房となる。現在「魯山人寓居跡 いろは草庵」として公開されているその空間で、「吉野屋」や「菁華」などの刻字看板に取り組んだ。菁華窯はじめ、山代各地に残るその篆刻には、若き魯山人のほとばしるような情熱が感じられる。
魯山人寓居跡 いろは草庵
電話:0761-77-7111
住所:石川県加賀市山代温泉18-5
▲左/『抱月懐風』「月を抱き明らかに、風を懐に清らかに」の言葉が「あらや滔々庵」の玄関を飾る。右/『暁烏衝立』山代温泉ゆかりの八咫烏と輝く太陽が「あらや滔々庵」のゲストを迎える。
「大観のデザインは独創的です。草書と篆書を交ぜたり、金箔や胡粉、緑青などを使ったり。昔の篆刻看板は書家と職人は異なるのですが、大観はすべて─材料の木を選ぶところから─一人で行った。いかにこの字を面白く見せるか?構想には時間をかけましたが、彫り始めるとあっという間に完成したそうです」(「いろは草庵」本谷操さん)。ある夜の宴席で、八咫烏にまつわる山代温泉開湯の逸話を聞いた大観は、酔いそのままに一気に金屏風絵を描き上げたという。「あらや滔々庵」のエントランスに飾られる暁烏の衝立は、今も圧倒的な迫力を放ち、人々を惹きつける。
山代の別荘はどんな様子かね
▲『色絵鉄仙図鉢』 大観が初めて絵付けをした作品。
その一心不乱な作業姿に心を動かされた初代須田菁華は、大観に工房の出入りを許し、自由に制作をさせた。時を超えてなお、工房に置かれている「色絵鉄仙図鉢」は、初めて大観が絵付けをした作品。“花は鉄仙だが、蔓や葉はまるで朝顔のみたいだ”と笑いながら評した燕台と初代菁華も、その筆致の冴えには感銘を受けたようだ。同時期に制作した赤絵替皿の筆の運びもみずみずしい。
▲左/『染付半開扇向付』1940年制作の向付。料理旅館用に作られたものか。右/『赤絵替皿』白磁に描く赤絵は、筆を思うように動かしやすいため、山代温泉滞在時に好んで描いたという。(いずれも「あらや滔々庵」の魯山人作品コレクションより)
「型にはまった教え方をしても伸びない、と初代は思ったのでしょう。その時期に大観が創作した器を見ると、彼の考え方がストレートに感じられます。美味しく、楽しんで食べるための器を作る、ただそれだけ。どんな仕事でも、大切なのは単純明快な目的があること。技術的には稚拙な部分もあるかもしれない、でも大観の目指す本質は伝わってきます」(四代目須田菁華さん)。
▲左/旦那衆と大観が酒を酌み交わしていた囲炉裏端。右/山代温泉では仕出し料理を取るために、早くから電話が活用されていたという。
工房での作業の合間には、料理にも精を出した。山代の人々が差し入れてくれる旬の幸─例えば坂網猟で捕れた青首鴨やすっぽん、ずわいがに─を、庵の外で調理していた姿も見られたという。そして夜な夜な地元の旦那衆と集い、芸術論や文化論を肴に酒を酌み交わす。書、料理、陶芸……すべてに秀でたマルチクリエイター・魯山人の原型は、間違いなく山代で作られたのだ。
のちに東京に「美食倶楽部」を開いた折も菁華窯に器を依頼し、加賀周辺の美味を取り寄せるなど、山代との交流は続いた。晩年もその日々を懐かしみ、吉野の孫・辰郎氏に「山代の別荘はどんな様子かね」と聞いていたという。
▲左/菁華窯のショップ兼ギャラリーには当代の作品が並ぶ。右/四代目須田菁華さん。
“(初代菁華は)~美しくして浮華ならず。渋くして枯淡ならず。(中略)才あり、情あり、気あり、而も識高く(中略)天下独歩の観あり〜”。初代菁華が亡くなった折の「諫詞」に、こうしたためた魯山人。「魯山人自身も独歩の人でした。晩年に“私ハ先代菁華に教へられた”と題する講演を行っています。若い頃に間近で見た初代の姿に、いつか自分もこういう風になりたいと未来を重ねていたのかもしれませんね」(四代目須田菁華さん)。
九谷焼窯元 須田菁華
電話:0761-76-0008
住所:石川県加賀市山代温泉東山町4
楽閒ーゆかりの宿で魯山人の心に触れる
▲左/「十五代主人はモダンでお洒落な人でした。そのファッションセンスも大観に影響を与えたかもしれませんね」と、女将の永井さんは想いを馳せる。右上/浴場手前にかかる「楽閒」。右下/「御陣の間」の浴室にはかけ流しの源泉が。
明治初期の山代温泉中心部の面影を色濃く残す“湯の曲輪”。その一角に佇む「あらや滔々庵」はこの地が誇る屈指の老舗旅館だ。前田家歴代藩主の入湯の宿として湯番頭の命を受けて以来380年余り、その上質な湯と心尽くしのもてなしで多くの人々を癒やしてきた。もちろん、魯山人もこの宿を愛した一人。館内に飾られた一枚の額に、女将の永井朝子さんは彼の宿に対する気持ちを深く感じるという。「網代に書かれた『楽閒』という作品です。静けさを楽しむ……。現代人が求めるその想いを、魯山人はすでに大正の頃に抱かれていたんですね。『あらや』を象徴する言葉だと思います」。
▲左/前田藩ゆかりの紅殻で彩られた特別客室「御陣の間」。魯山人も逗留したとか。右/魯山人をテーマにした特別コースから。吹き寄せ風の焼き八寸を「志埜四方平鉢」(1952年)に。
若き大観の勢いが感じられる赤絵替皿や篆刻による刻字看板、後半生に手がけた染付や織部……。心行くまで魯山人の作品と対峙できるのも、この宿だからこそ。北陸の旬の美味を、魯山人の器や代々の菁華窯の作品でいただける特別コースも、あわせて楽しみたい。
あらや滔々庵
電話:0761-77-0010
住所:石川県加賀市山代温泉18-119
角田 進
つのだ すすむ/フォトグラファー。日本大学藝術学部写真学科卒業。上質な暮らし、心地よい時間をキーワードに、料理、インテリアからファッションまで、幅広い分野で活躍中。
[ 扉絵撮影協力 ]
紀尾井町 福田家
電話:03-3261-8577
住所:東京都千代田区紀尾井町1-13
山代温泉へのアクセス
東京(羽田)、沖縄(那覇)から小松空港へ、JALグループ便が毎日運航。小松空港から山代温泉まで車で約30分。
(SKYWARD2019年12月号掲載)
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