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浅田真央さんに花束を渡したのは夢のような出来事だった
――小学生の頃、浅田真央さんに花束を渡したことがあるそうですね。
はい。2009年に全日本選手権が大阪で開催されたとき、五輪代表選手に花束を渡す役割を任されました。
――どうして川上さんが選ばれたんですか?
そのときは小学校4年生だったんですけど、ちょうどいろんな大会でいい成績を出していて。近畿大会でも上位6人に入っていたんです。それで選ばれました。あみだくじで誰に渡すかを決めたら、浅田真央さんの担当になって。
――間近で会う浅田さんはどうでしたか?
ものすごく緊張したんですが、花束が良い匂いだったこと、あと浅田さんから「ありがとう、頑張ってね」と言葉をかけてもらったのを覚えてます。
――その後、NMB48に入ってから、テレビ番組で浅田さんと再会していました。
『NMBとまなぶくん』(関西テレビ)に浅田真央さんと舞さんが出演されて、握手してもらって泣いてしまいました(笑)。
――過去に花束を渡していたことについて何か話しましたか?
緊張して何も話せなかったんです……。
――浅田さんについて、他に覚えていることはありますか?
花束を渡したときの大会では、浅田さんが「仮面舞踏会」を演技されている時期で。私がいちばん好きなプログラムだったので、興奮しながら見ていましたね。しかも、その大会は浅田さんの他にもスゴい選手ばっかり出場していたんですよ。高橋大輔さん、織田信成さん、小塚崇彦さん。あと、まだ有名じゃなかった頃の羽生結弦さんも。オールスターという感じで、みんなオーラがすごかったです。
フィギュアスケートの道からNMB48へ
――フィギュアスケートをやっていたところから、どうしてNMB48に入ろうと思うようになったのでしょうか。
大会によっては6位まで表彰されるんですけど、メダルをもらうためにはさらに上を目指さなくてはいけなくて。それで少しずつモチベーションが低下していったというか、「毎日同じことをやってても意味あるのかな……」って意識になっていったんですね。
――そういう気持ちの落ち込みもあり、徐々にスケート以外のことに興味が移っていった?
フィギュアスケートをやってるときからファッションに興味があって。よく雑誌も読んでいました。いつもジャージばかり着ていたから、かわいい服を見るのが好きだったんです。
――どんな雑誌を読んでいたんですか?
「ピチレモン」(学研プラス、現在は休刊)をよく読んでいましたね。そのときは前田希美さんに憧れていました。読者モデルにも応募して、1回だけ雑誌に載ったこともあるんですよ。ちょっと前に見返したら、同じページにNMB48の武井紗良ちゃんも載ってたのでびっくりしました(笑)。
――そこから芸能界にも興味が強くなっていった、と。
いろんな事務所のオーディションを受けていたんですけど、合格してもレッスン料が高いところばっかりで。無料のところがあったらいいのに……と思ってるときに買った雑誌にNMB48のオーディション情報が載っていて、締切が2日後だったので、思い切って受けてみることにしました。
――そこでスケートを辞めることにしたんですね。
いえ、NMBに入った頃はまだスケートのレッスンも続けていました。でも、NMBが忙しくなってからは両立ができなくなってしまって。悩んだ時期もあったんですけど、どちらかを選ばないとダメなんだと思って、アイドルの道を選びました。
いつかエキシビジョンに出場できるようになりたい
――NMB48の活動は時期によってとても忙しいと思うのですが、フィギュアスケートの厳しい練習を経験した後では、そこまで苦にならないのでしょうか?
体力的なことだったり、忙しくて大変だと思うことはあんまりないですね。ただ、環境の変化がつらいと思うことはありました。スケートは個人競技だったので、知らない人たちの中に入るのはなかなか慣れなかったです。最初の頃は一人で泣いちゃうこともありました。
――フィギュアスケートのために、バレエやモダンダンスのレッスンを受けていましたが、その経験が役に立ったことはありますか?
演技プログラムを覚えるのには慣れていたので、振り付けを覚えるのは早かったです。ただ、動きをぴたっと止めるようなキレキレダンスは、バレエにはない動きなので逆に難しかったですね。あと、ダンスの先生にターンを褒められることは多かったです。スケートでいつも回ってたからですかね。立ち位置からブレずにターンができるので、そこは得だなと感じます。あと、ファンの方たちがターンの美しさにいち早く気付いてくれたこともうれしかったですね。
――特に経験が活きたと感じた楽曲はありますか?
チームBII「逆上がり」公演のユニット曲「愛の色」です。動きのしなやかさを重視するので表現力が必要な曲なんですけど、スケートの動きと似ている部分がけっこうあって私のしなやかなダンスが好きと言ってくださる方も多いので、フィギュアをやってきてよかったな、と思いました。
――今年の元日にはグループ体制が変わる発表があり、3月からチームNのキャプテンになることが決まりました。幼少期から長いこと個人競技を経験してきた川上さんですが、チームを引っ張る気持ちは出てきたのでしょうか?
昔は、目立ちたい気持ちがまったくなかったんですけど、最近ようやくその気持ちが芽生えてきました。先輩たちがどんどん卒業していく中で、先頭に立ってグループを引っ張っていきたい。そう思い始めた頃に任命されたので、頑張っていきたいと思います。
――現在発売中の新シングル「床の間正座娘」では、2回目の選抜入り。個人としても、飛躍の年にしたい気持ちもあるのでしょうか?
チームを引っ張ることはもちろんですけど、やっと入れた選抜というポジションも維持しつつ、個人としても頑張りたいですね。今の自分にできることを考えたら、やっぱり武器になるのはフィギュアスケートだと思うんです。その技術が錆びつかないように、できるだけスケートリンクに通って練習するように心がけています。
――Twitterでは、「#ちっひーのフィギュアスケート講座」というハッシュタグで、いろんな技を自身で実践して解説する動画をアップしていますよね。どれくらいの頻度で撮影しているんですか?
リンクで練習する毎に数回分を撮影しています。去年はいちばん多いときで週に3回は通っていましたね。今年はそんなにたくさんは行けてないのですが、なるべくたくさん練習しておきたいです。久しぶりにジャンプをすると脳が揺れたり、胃が浮いたりして変な気分になるんですよ。「昔はこんなのを毎日やってたのか……」と考えると、すごいことをやっていたなと自分でも思います(笑)。
――今でもできる技はありますか?
ブランクがあるのでダブルアクセルは無理ですけど、ダブルサルコウなら飛べます。いつお仕事が来てもいいように、準備をしているつもりです。もっと練習して、いつかエキシビジョンに出られるくらいまで持っていけたらいいですね。
――選手にも取材できる機会もあるといいですね。
そうですね。過去に一緒に練習していた選手や、同じ大会に出ていた選手がテレビに出る機会も増えているのでぜひ。友野一希(ともの・かずき)選手とはずっと一緒に練習していたし、三原舞依(みはら・まい)選手とは大会で一緒になったこともあるので、いつか取材してみたいですね。
[プロフィール]
川上千尋(かわかみ・ちひろ)/NMB48チームN
1998年12月17日生まれ、大阪府出身。相性は「ちっひー」。2012年、NMB48に4期生として加入。現在はチームNのキャプテンを務める。特技のフィギュアスケートは6級の腕前で、自身のTwitterではフィギュアスケート講座の動画をアップしている。阪神タイガースのファンで、2018年には応援コミュニティ「TORACO」の応援隊長も務めた。
【公式Twitter】https://twitter.com/kchi_hi1217
<Text:森祐介/Edit:村上広大/Photo:室岡小百合>