この連載では、全国高校サッカー選手権に出場し、その後Jリーガーとなった選手を当時のお宝写真とともに紹介していく。第3回は、第69回~71回大会編。この世代は粒ぞろいで、監督としてアジア王者になった者もいれば、Jクラブの社長や会長を務める者もいる。
上写真=左から望月重良、野々村芳和、松波正信(写真◎サッカーマガジン)
第69回大会は52校が出場
◆名波浩
名波浩(清水商業高校)
ジュビロ磐田時代(1995-99,2000-06,08)/写真◎J.LEAGUE
名波浩(ななみ・ひろし)◎1972年11月28日生まれ、清水商業高校。第67、69回(88、90年度)選手権に出場。「清水商史上最強」と呼ばれたチームの司令塔。左足で幾多のチャンスを生み出し、自由自在にゲームを操った。順天堂を経て95年にジュビロ磐田に加入し、チームの黄金期を築く。現役引退後、監督として磐田に戻り、昨季途中まで6年間にわたって指揮を執った
◆大岩剛
大岩剛(清水商業高校)
鹿島アントラーズ時代(2003-10)/写真◎J.LEAGUE
大岩剛(おおいわ・ごう)◎1972年6月23日生まれ、清水商業高校。第67、69回(88、90年度)選手権に出場。鋭い読みで相手の攻撃の芽を摘むだけでなく、持ち前の運動能力を生かした大胆な攻め上がりも光った。Jリーグでは名古屋グランパスエイト、ジュビロ磐田、鹿島アントラーズでプレー。引退後は指導者となり、鹿島の監督として2018年にAFCチャンピオンズリーグを制した
◆野々村芳和
野々村芳和(清水東高校)
コンサドーレ札幌時代(2000-01)/写真◎J.LEAGUE
野々村芳和(ののむら・よしかづ)◎1972年5月8日生まれ、清水東高校。。第68、69回(89、90年度)選手権に出場。センスあふれるプレーで攻撃の中心に。全国での上位進出はならなかったが、3年時には主将としてもチームを引っ張り、2年連続出場に導く。2001年に現役を引退したのち、テレビ解説者としての活動を経て、13年に古巣であるコンサドーレ札幌の代表取締役社長に就任した
◆小倉隆史
小倉隆史(四日市中央工業高校)
名古屋グランパスエイト時代(1993,94-99)/写真◎J.LEAGUE
小倉隆史(おぐら・たかふみ)◎1973年7月6日生まれ、四日市中央工業高校。第68、69、70回(89、90、91年度)選手権に出場。左足から繰り出す強烈なシュートに加えて、柔軟なボールコントロールも併せ持ち、豊かな将来性で話題をさらったストライカー。期待に応えた3年時は帝京との同時優勝ながらも、悲願の初優勝に大きく貢献した
◆松波正信
松波正信(帝京高校)
ガンバ大阪(1993-2005)/写真◎J.LEAGUE
松波正信(まつなみ・まさのぶ)◎1974年11月21日生まれ、帝京高校。第69、70、71回(90、91、92年度)選手権に出場。多彩なパターンで得点を決めた絶対エース。2年時には前評判の低かったチームを引っ張り、決勝でも2得点を決めて四日市中央工と同時優勝を果たす。Jリーグが開幕した1993年にガンバ大阪に加入し、2005年のリーグ優勝を置き土産に現役引退。現在はG大阪の強化アカデミー部長を務める
SC相模原の会長も
◆望月重良
望月重良(清水商業高校)
ヴィッセル神戸時代(2001-02)/写真◎J.LEAGUE
望月重良(もちづき・しげよし)◎1973年7月9日生まれ、清水商業高校。第69、70回(90、91年度)選手権に出場。攻撃でも守備でも力を発揮した中盤の万能プレーヤー。攻めては巧みなドリブルやパス、守っては運動量と献身性を駆使して存在感を示した。現役引退後はSC相模原のクラブ立ち上げに携わり、代表取締役会長を務めている
◆上野良治
上野良治(武南高校)
横浜マリノス/横浜F・マリノス時代(1994-2007)/写真◎J.LEAGUE
上野良治(うえの・よしはる)◎1973年4月21日生まれ、武南高校。第68、69、70回(89、90、91年度)選手権に出場。柔軟なボールタッチと相手の急所を突くスルーパスで中学時代から話題を集めた天才児。1年時から中盤の主力として3年連続出場を果たした。プロ入り後は横浜マリノス(横浜F・マリノス)一筋。03、04年のリーグ連覇に貢献した
◆前園真聖
前園真聖(鹿児島実業高校)
横浜フリューゲルス時代(1993-96)/写真◎J.LEAGUE
前園真聖(まえぞの・まさきよ)◎1973年10月29日生まれ、鹿児島実業高校。第68、69、70回(89、90、91年度)選手権に出場。切れ味鋭いドリブルは高校時代から大きな武器。タッチライン際でのチャンスメークが光ったが、貴重な得点でもインパクトを残した。高校卒業後に横浜フリューゲルスに加入。アトランタ五輪代表では主将を務め、28年ぶりの本大会出場に大きく貢献した
◆鬼木達
鬼木達(市立船橋高校)
川崎フロンターレ時代(1998,2000-06)/写真◎J.LEAGUE
鬼木達(おにき・とおる)◎1974年4月20日生まれ、市立船橋高校。第69、70回(90、91年度)選手権に出場。現在、技巧派集団の川崎フロンターレを率いるにふさわしいほどの技術を備え、2年時は選手権4強入り。高校卒業後、鹿島アントラーズに加入し、2006年に川崎Fで引退。そのまま指導者の道に進み、17年に川崎Fの監督に就任すると、J1連覇の偉業を達成した
◆三浦淳寛
三浦淳寛(国見高校)
ヴィッセル神戸時代(2005-07)/写真◎J.LEAGUE
三浦淳寛(みうら・あつひろ)◎1974年7月24日生まれ、国見高校。第69、70、71回(90、91、92年度)選手権に出場。1年時からメンバー入りして優勝を経験。主力に成長して臨んだ3年時は決勝で鮮やかな左足ミドルを沈め、2年ぶりの優勝の原動力になった。プロ入り後は横浜フリューゲルスやヴィッセル神戸でプレーし、現在は神戸のスポーツダイレクターを務める
◆森岡隆三
森岡隆三(桐蔭学園高校)
清水エスパルス時代(1995-2006)/写真◎J.LEAGUE
森岡隆三(もりおか・りゅうぞう)◎1975年10月7日生まれ、桐蔭学園高校。第70、71回(91、92年度)選手権に出場。高校時代は右サイドバックでプレーし、1、2年時と2年連続で選手権出場。チームの前評判は高かったが、どちらも最後はPK戦で敗退した。Jリーグでは清水エスパルスで長く活躍し、日本代表として2002年の日韓ワールドカップに出場した
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