ソフトバンクの甲斐拓也捕手が、来季から背番号を「62」から「19」へ変更することが球団から発表された。ホークスの「19」は1956年から1977年まで22年間、野村克也氏が背負った番号。ホークスの捕手が19番を背負うのはその時以来、43年ぶりとなる。
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「他に永久欠番になってしかるべき選手がいる。その代表がこの私だ」
とはいえ、「19」自体は多くの選手が付けてきた。今季は外国人のミランダが背負い、2007年から2016年までは左の救援の森福允彦が、1998年〜2005年までは右の先発、永井智浩が付けていた。それ以前も山内孝徳や大越基ら。球団として準永久欠番のように扱ってきたわけではない。
野村氏は南海時代は選手兼監督も務めた。晩年はロッテ、西武でもプレーしたが、選手生活の大半は南海でのもの。在籍期間だけで2813安打、645本塁打した。準どころか、本当の永久欠番になっても何らおかしくない実績なのだが、退団の仕方がまずかった。当時はまだ愛人関係だった沙知代さんとの不倫が表面化。監督解任会見で野村氏自身は否定したが、沙知代さんの球場への出入りやチーム、選手への口出しなど公私混同を指摘された。その騒動さえなければ、甲斐が「19」を背負うことはなかったかもしれない。
日本プロ野球の永久欠番は数少ない。巨人が最多の6(1王貞治、3長嶋茂雄、4黒沢俊夫、14沢村栄治、16川上哲治、34金田正一)。阪神(10藤村富美男、11村山実、23吉田義男)、広島(3衣笠祥雄、8山本浩二、15黒田博樹)の3が続く。黒田の15が2016年オフに欠番になった際には野村氏は「黒田には何のうらみつらみもない」と前置いた上で「永久欠番も安っぽくなった」とコラムで得意のぼやき。「他になってしかるべき選手がいると思う。その代表がこの私だ」とつづった。
一方で準永久欠番、あるいは半永久欠番として残されている番号も数多くある。例えば巨人で松井秀喜が背負った「55」、オリックスでイチローが付けた「51」などである。「55」はその後、大田泰示が2009年から2013年まで付けたが、2014年からは「44」へ、その後移籍し、不在のまま。「51」は事実上の永久欠番と同じ扱いで、イチローの米殿堂入りなど何らかのきっかけで将来的に永久欠番となる可能性が高い。
次に日本球界で永久欠番となるのは・・・
また日本ハムの「11」はダルビッシュ有、大谷翔平が続けて付けたが、球団は連名で半永久欠番とすることを表明している。
ホークスでは藤井将雄が背負った「15」が準欠番扱い。2000年10月に現役のまま病死し、その後に使用した選手は一人もいない。
楽天のファンナンバーである「10」、監督として12球団唯一となる星野仙一氏の「77」を除けば、日本球界の永久欠番はわずか15個。野村氏の言葉を借りるまでもなく、その壁の高さが分かる。
例えばメジャーリーグではヤンキースの22個が最多。それだけで日本球界全体より多く、一桁番号は全て埋まってしまっている。メジャーでいえば、近年引退した阿部慎之助や岩瀬仁紀、新井貴浩らの番号も欠番となっておかしくないだろう。
次に日本球界で永久欠番となるのは確実視されるイチローなのか、それとも。いずれにせよ、プレーヤーとしての功績を素直に称えた形で誕生することを望みたい。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
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