辰吉丈一郎連載の第3回は、世界初挑戦の前哨戦として行われた1991年(平成3年)5月18日のレイ・パショネス戦です。この頃は私は「辰吉番」として自負しており、辰吉の取材があれば「俺が行かねば!」と勝手に思い込んでおりました(笑)。
パショネス戦の前の試合、アブラハム・トーレス戦は後楽園ホールで行われたため大阪在住の私には東京出張命令は下されず、悔しい思いをしました。トーレス戦に勝っていればこの試合が世界戦になっていたと思われますが、まさかの引き分け。仕切り直
しの世界前哨戦と世界初挑戦決定発表記者会見と合わせてご覧ください。(文・写真◎早浪章弘)
1991年5月18日 vsレイ・パショネス戦 前日計量=藤立病院 NIKON F4 24mm F2 ポジフィルム使用
この頃はまだ当日計量でしたが、パショネス戦は昼の開催で当日計量では早朝4時とかになってしまうため前日の夜に行われました。現在のように計量を「見せる」イベントになってはいませんでしたので関係者やカメラマンが徐々に秤に近づいてしまい、いつの間にかこんな近くになってしまいます。
真正面や斜め前だと秤の錘で顔が見えなくなってしまうので真横をキープ!狭いところで大人数いますので24mmでも縦位置でギリギリでした。ストロボの光が周辺に届いていないのがわかりますね。しかし辰吉の腹筋、エグいですね!
1991年5月19日 vsレイ・パショネス戦=大阪府立体育館第1競技場 NIKON F4 50mm F1.8 ポジフィルム使用
辰吉はこの日は本当に軽快な動きを見せていました。左下側に立見のお客さんが見えます。世界戦でありませんでしたが超満員でした。
1991年5月19日 vsレイ・パショネス戦=大阪府立体育館第1競技場 NIKON F4 50mm F1.8 ポジフィルム使用
「打たせずに打つ」ボクシングでした。
1991年5月19日 vsレイ・パショネス戦=大阪府立体育館第1競技場 NIKON F4 50mm F1.8 ポジフィルム使用
踏み込んでの左ジャブ、相手はガードが堅かったですね。
1991年5月19日 vsレイ・パショネス戦=大阪府立体育館第1競技場 F4 50mm F1.8 ポジフィルム使用
ノーガードで顔を突き出し相手を挑発!これぞ、たっちゃん!
--{辰吉丈一郎のヒストリーは続きます。}--
1991年5月19日 vsレイ・パショネス戦=大阪府立体育館第1競技場 NIKON F4 50mm F1.8 ポジフィルム使用
完勝だったがダウンを奪えず判定勝ちに納得いかず。
1991年7月23日 W B C世界バンタム級タイトルマッチ発表記者会見=守口プリンスホテル NIKON(機種不明) レンズ不明 ポジフィルム使用
世界初挑戦開催決定の記者会見場は記者で一杯になりました。金屏風をバックに世界戦発表会見するのはこの頃の定番でした。一大イベントですね。
1991年7月23日 W B C世界バンタム級タイトルマッチ発表記者会見=守口プリンスホテル
カメラマンのリクエストに応えてファイティングポーズ。こういう取材に慣れてきているのがわかりますね、力みが全くありません。
1991年7月23日 W B C世界バンタム級タイトルマッチ発表記者会見=守口プリンスホテル NIKON(機種不明) 180mm F2.8 ポジフィルム使用
若い!爽やかな笑顔!男前!
1991年7月23日 W B C世界バンタム級タイトルマッチ発表記者会見=守口プリンスホテル
チャンピオンのグレッグ・リチャードソンの写真と撮影に応じる。
※BBMフォトギャラリーは毎週金曜日更新予定です。