レイプ被害の証拠を自宅で自分で採取し、自分の手元で保存できる「DIYレイプキット」。ある女性が自身の辛い経験から考案したそのキットは、アメリカで大きな議論の的となった。そこから見えてくるのは、いかにわたしたちが問題に無頓着だったかだ。
![](https://scdn.line-apps.com/stf/linenews-issue-1659/rssitem-13782451/fc8f1bd79edcd96552f4c46696f4bd6922816eb2.jpg)
議論を呼んだLeda Health CompanyのDIYレイプキット。元々「MeToo Kit」の名で呼ばれていた。Photo: Leda Health Company13人に1人。これは日本の内閣府が行なった調査で、「無理やり性交等をされたことがある」と答えた女性の割合だ。そのうち、誰にも(警察や医療従事者だけでなく、親にも友人にも)被害について相談しなかったと答えた女性の割合は、約6割にものぼるという。
レイプ被害の認知件数が年間たった1,400件の日本では、いまも計り知れないほど多くの女性が、傷ついた体と心をひとりで抱えている。
被害後「すぐに」「他人に」という巨大な壁。
とはいえ、被害者の多くが、自身を「暴力を受けた被害者」と認められずにいるのも事実だ。アメリカのメアリー・ワシントン大学の研究者たちが行なったあるメタ分析では、強制性交の被害を受けた女性の6割が、自分が性暴力を受けたことを認められずにいるという結果が出ている。
また、性的暴行を受けた人々へのサポートを提供するイギリスの慈善団体「Rape Crisis England and Wales」によると、同団体に寄せられる相談の75%が、1年以上も前に受けた性的暴行に関するものだという。
こうした数字が示しているのは、性的暴行を被害後「すぐに」「他人に訴える」ことがいかに難しいかという現実だ。
「何でも話せた仲のいい家族にも、相談できませんでした」
DIYレイプキットの開発者であるマディソン・キャンベルはそう告白する。アメリカ人の彼女は、スコットランドに留学していたときに学生寮で性的暴行を受けた。異国の地で誰にも頼れず、家族に相談することもできなかった彼女は、おぞましい経験を心の奥底にしまい、その後何もなかったかのように振る舞ったという。
そんな彼女を変えたきっかけは、2017年に興った「#MeToo」ムーブメントだった。自分だけじゃない──その思いが、世界中のほかの多くの女性同様、長く記憶に封をしていたキャンベルの背中を推した。
怖いのは、数日後に無力になってしまうこと。
![](https://scdn.line-apps.com/stf/linenews-issue-1659/rssitem-13782451/a59a5cf539aa762f1b7584d738a60f6692dd9447.jpg)
世界中に広がった「#MeToo」ムーブメント。2018年には、ハリウッドで性暴力の被害者たちによる「Survivors' March」も行なわれた。Photo: Sarah Morris/Getty Imagesムーブメントを目にしたキャンベルの頭に浮かんだのは、いくつもの疑問だ。なぜ彼女たちは、もっと早く被害を届け出なかったのだろう。なぜ、病院に行かなかったのだろう。なぜ私は、あのとき誰にも話せなかったのだろう──。
「正直に言います。私は恵まれたアッパークラスの人間です。手段もあるし、お金もある。信頼できる家族もいる。なのに私は、あのとき何もしないことを選んだのです」
だが、この「何もしない」という選択肢には、非常に大きな対価がつきまとう。
レイプの証拠を集める手段のひとつとして、アメリカでは被害直後に自らの体に残った加害者の毛髪や精液といった証拠を採取する、通称「レイプキット」が使われる。
普及状況や運用方法は州によって違うが、警察や病院に被害が届けられたあとに、訓練を受けた医療従事者によって採取が行われる点は共通だ。そして、時と共に情報を失う生物学的証拠を確実に採取するため、被害後数日以内でないとレイプキットを使ってもらえない点もまた、共通している。
前述のデータが示すように、性被害を報告できずにいる女性が多いことを鑑みれば、このレイプキットは多くの人にとって有効な手段とは言い難い。他人に話す覚悟を決める前に、証拠採取の期限が来てしまうことも稀ではないだろう。
さらにこのキットは医師によって使われ、証拠が被害者本人の手元に残らないことも不安要素だとキャンベルは言う。
こうした状況を打破するべく、キャンベルは会社を設立し、被害直後に自宅で使える「DIYレイプキット」を考案した。被害者が家で落ち着いて、自分の手で、誰にも知られることなく証拠を採集し、自分の手元において置くためのキットだ。
「いまは誰にも言いたくなくても、#MeTooムーブメントに参加した女性たちのように、いつか声を上げられるかもしれない。その日のために、誰にも知られず自分自身で証拠を保存できる方法をつくりたかったんです。いちばん怖いのは、その声の支えを失って無力になってしまうことだから」
司法からの激しい批判。
開発当初「MeToo Kit」と呼ばれていたこのキットは、女性や娘をもつ親たちから称賛を受ける一方で、コンセプトの段階から激しい批判にさらされた。
ミシガン州検事総長のダナ・ネッセルは2019年8月末、まだ発売前であるこのキットに販売停止命令を出している。
「検察官ならば、このような方法で収集された証拠が、必要とされる証拠保全の役割を提供できないことがわかるはずです。また、民間の研究室がCODIS(=Combined DNA Index Systemの略。FBIが作成・管理している犯罪者DNA型データベース)にアクセスできる可能性は低く、身元不明の加害者や再犯者を特定する能力が大幅に制限されてしまいます」
彼女は、このキットが法的効力をもたない可能性があることを強調し、強い言葉でマディソンとキットを批判した。
「この会社は恥知らずにも、DIYの性的暴行キットが法廷で通用すると被害者に思わせ、MeToo運動を利用して金銭的な利益を得ようとしているのです」
また、悪用への疑惑が拭えないのも確かだ。「誰かを陥れる目的で綿棒で採集し、『ほら、DNAが出た』と言うのも簡単です」と、弁護士のマーク・レイチェルはAP通信に語っている。
なお、ミシガン州検察は販売停止命令を公表した文書のなかで、同州では性的暴行を受けてから120時間以内に医師の診察を受けた人に対しては、レイプキットによる証拠採取が無料で行われることを強調している。
キャンベルらが拠点とするニューヨークで司法長官を務めるレティシア・ジェームズもまた、MeToo Kitに広告と販売停止命令を出したほか、ノース・カロライナ州やヴァージニア州もまた警告を発した。
法は不変ではない。
対するキャンベルの反論はこうだ。
「自分の服やシーツは証拠になるのに、なぜ女性の体から出てきたものはだめなの? 行政が、もはや機能していない現行の時代錯誤な法システムに固執し、守ろうとしているようにしか思えないんです」
キャンベルは現在、数人の法律家と共にこれまでの判例に目を通し、過去に同じような証拠がどう扱われたかを調べているという。
「法は絶えず変化を続けています」とキャンベルは言う。彼女は、法律の現場を劇的に変えたDNA検査の進化やテキストメッセージを証拠認定する動きなどを例に挙げ、「時間がかかりながらも法律は新しい技術に適応していく」と希望を捨てない。
パンデミックで使われ始めた自宅採集。
事実、皮肉にも新型コロナウイルスのパンデミックの中で、キャンベルが期待するような変化の兆しが見えはじめている。
世界各国でソーシャル・ディスタンシングが叫ばれるなか、北カリフォルニアの検察は2020年4月、被害者と看護師の安全確保のために例外的に自宅での証拠採集を認め、独自の手順を作成したのだ。
AP通信によると、これは警察官が被害者の玄関にテストキットを置いてパトカーに戻り、それを受け取った被害者が看護師とビデオ通話をしながら証拠を採集する方式だという。同州では、すでに2件この方法で証拠保全が行われた。
この際に使われたキットは、キャンベルらと同様に自宅で使えるレイプキットを販売しているPRESRVEkitsから寄付されたものだ(なお、ニューヨーク州など一部の州はこのPRESERVEkitsに対しても広告と販売停止命令を出している)。
最近社名をLeda Health Companyに変えたばかりのキャンベルの会社も、PRESRVEkitsの寄附活動に協力しているという。
また、Leda Health Companyは2020年秋に予定されているテストプログラムのローンチに向け、被害者への遠隔セラピーといったフォローアップの提供も検討しているところだ。
ロビイングでは遅すぎる。
![](https://scdn.line-apps.com/stf/linenews-issue-1659/rssitem-13782451/5e839a2d9ccae23a0c0966b4c950d3daf3af113a.jpg)
Leda Health Company(旧MeToo Kits Company)の創業者、マディソン・キャンベル。Photo: Leda Health CompanyLeda Health Companyに浴びせられるさまざまな批判や疑念の一部は、仮にこれをビジネスにしなければ避けられたように感じられる。だが、キャンベルがあえてビジネスという道を選んだのには理由があった。
「ロビー活動をしたり、 政治家や法律家として問題解決に取り組んだりすればよかったのに、という質問は何度も受けました。でも、わたしには急激に世界を変える方法が必要だった。ある友人は、ひとつの法律を変えるためにすでに8年もロビイングをしています。それでは遅すぎるんです」
彼女はまた、被害者にキットを販売する予定はないと話す。ではどうやってマネタイズし、会社を運営しようと考えているのか。
「大学などの組織に販売し、それを大学が公衆安全のための手段として、無料で学生に提供するといったかたちを考えています。被害者のお金で利益をあげようなんて思っていません」
DIYレイプキット(現在、Leda Health Companyはわかりやすく「性的暴行証拠収集キット」と呼んでいる)のアイデアには、いまも多くの疑問の声が投げかけられている。その多くはいまだ白黒ついておらず、Leda Health Companyのビジョンが広く社会に受け入れられているとは言えないのもまた事実だ。
その一方で、こうした議論がいま行われているという現実は、いかにこれまでの社会や法律が被害者に冷たく、自助努力に偏ったものだったかということを浮き彫りにしている。
ここ日本においても、警察に被害を訴えられない女性が圧倒的多数であるという事実は、何年も変わっていない。なぜわれわれはそれを、さも仕方のないことであるかのように受容してきたのだろう?
「DIYレイプキットそのものに革新性はないかもしれない。ただ、誰もやっていなかったというだけです」
こうキャンベルが語るように、私たちが本当に見つめるべきは現行の法におけるキットの有効性以上に、それが生まれざるを得なかった背景だ。それが、過熱する議論の根源にあるものだということを、わたしたちは改めて考えるべきだろう。
Text: Asuka Kawanabe Editor: Maya Nago Photos: Leda Health Company Special Thanks: fermata Inc.