セブン&アイ・ホールディングス(以下セブン&アイ)が11月13日、創業家からのMBOによる買収提案を受けたと発表しました。
【写真】「白馬の騎士」となりうるのはどこか
セブン&アイはカナダのコンビニ大手アリマンタシォン・クシュタール(以下、ACT)からの買収提案を受けていて、今回の創業家からの買収提案はその防衛策だと考えられます。
このMBOが仮に実現するとなると買収総額はACTからの買収提案と同規模以上、つまり7兆円を超える規模になるはずです。過去に日本企業として例のないほどのこの巨額買収計画にリアリティはあるのでしょうか?
常識的には難しいMBO
発表を受けてのメディア報道での専門家の意見はおおむね、このMBOは実現が難しいというものです。ただ、戦略の専門家の視点で申し上げると、創業家にはおそらく、常識的には難しいMBOを成立させる秘策が用意されているように思います。
今回の巨額買収、何が難しいのか? そしてどこに突破口があるのか? それぞれわかりやすく解説してみたいと思います。
最初に、現在進行形で起きている買収提案のそもそもの始まりからお話しします。
ここ数年、セブン&アイは企業価値の向上が遅れていました。株主から見れば成長性の高いグローバルなコンビニ分野に経営資源を集中させてほしいのですが、経営陣は不振の西武そごう百貨店の売却やイトーヨーカドー再建など、緊急性を要する経営課題に向き合う時間が増えていました。それで物言う株主からの提案が増加していたのです。
昨年、ようやく西武そごう売却が実現したところですが、時価総額は4.6兆円程度と好調な日本株の中ではあまりぱっとしない動きを見せていました。そこにカナダのACT社が6兆円規模での買収提案を持ちかけたのです。
買収提案後に株価が急上昇した理由
今年8月にセブン&アイが買収提案を受けている事実を公表すると、株価は急上昇します。理由は2つあって、ひとつは経営陣から独立する取締役会メンバーが買収可否を検討することから株主にとってよい買収提案であれば受け入れざるをえないだろうという観測があったこと。
そしてもうひとつがその際に、取締役会が納得するための交渉で買収金額がさらに引き上げられることになるだろうという観測です。8月時点では、専門家の間で買収実現の確率は五分五分で、どちらに転がるかわからないという意見が有力でした。
その後、セブン&アイは「企業価値を著しく過小評価している」という理由で買収提案を拒否した結果、ACT社が9月に7兆円規模に買収提案額を引き上げました。そしておそらくこの後、拒否が続けば8兆円規模あたりまでは再々度の買収提案が続くだろうと見られていました。
そもそも市場が適正だと考えていたセブン&アイの企業価値は、買収が明らかになる前の4.6兆円の水準です。それをもし8兆円で買うことになれば以前からの株主にとっては何もしていないのに1.7倍に資産価値が増えることになります。この取引を取締役会が拒否し続けるのは正直、経済合理性としては難しいのです。
そこに今回の提案です。創業家がACT社と同規模の提案でこの買収に参戦するというのです。このニュースでセブン&アイの株価がさらに上昇します。この記事を書いている時点でセブン&アイの時価総額は6.4兆円まで上昇しました。この後、買収劇はどう展開するのかを市場が注目する状態になっています。
さて、そこでこの創業家によるMBOは実現するのでしょうか? 普通に考えるとこれは実に難しい問題をかかえた計画です。それを詳しく説明します。
報道によると、現段階では創業家側は資金調達について金融機関へ打診を始めた段階です。仮に一番低い価格の7兆円で買収が成立するとします。メガバンクがこの買収に資金を貸し付けることができるでしょうか?
普通に考えれば「まず無理」
普通に考えればこれはまず無理です。というのも、もともと4.6兆円の価値の企業を7兆円で買うための融資ですから、会社自体を担保にしても4.6兆円を超える部分は信用で貸すしかありません。
「日本の大切な企業を防衛するためだから」
という大義はありますし、
「さらに成長すればいずれ企業価値は7兆円に到達するから」
という説得もあると思いますが、今後金利が上がれば有利子負債は経営を圧迫します。つまりバンカーとしては融資はできないでしょう。
となるとファンドないしは事業会社が新たな株主として参加しなければ資金調達は成立しません。M&A用語でいう「白馬の騎士」の登場が期待されます。
ところがこのMBO、ファンドの立場でも株主として参加をするのは困難です。理由は単純で、出口として7兆円よりも高く株式を売れるメドがたたないからです。
今の創業家と経営陣の実力ではセブン&アイの企業価値は4.6兆円です。買収提案後、セブン&アイはお荷物のイトーヨーカドーの大量閉店や、スーパー事業全体を別会社として切り離す方針などを発表して、株価を上げてきましたが、やれているのはその程度です。今の経営方針に任せておいて時価総額が7兆円を超えていくのであれば、最初から株を買っておけばいいだけの話で、わざわざリスクをとってMBOに参加する意味が見いだせません。
「白馬の騎士」になりうるのは事業会社か
そうなると消去法でいけば白馬の騎士になりうるのは事業会社だけです。今回具体的に注目されたのが、創業家が伊藤忠商事に声をかけているという話です。他にも三井物産が参加するのではないかという観測もあります。この記事では伊藤忠のMBO参画の可能性を軸に、その実現性を検討したいと思います。
創業家がもし伊藤忠商事と組んだら…(撮影:梅谷秀司))
伊藤忠はもともとイトーヨーカドーがアメリカのセブン-イレブンと最初の契約を結ぶ場面の仲介役となった総合商社です。商社の中では食品に強いという特色もあります。一方でファミリーマートを子会社にしています。
伊藤忠が仮にセブン&アイの大株主になると独禁法上の問題が生じるという意見がありますが、私はこれはそれほど問題にはならないと考えます。理由は小売業界全体にはスーパーやドラッグストア、ディスカウントストアなどコンビニと競争する業態がたくさんあって、たとえコンビニ業界の1位と2位が一緒になるような事態が起きたとしても独占状態にはならないからです。
別の言い方をすれば、日本を代表する企業をカナダからの買収から防衛するという大義のほうが優先されるはずだという読みがあります。
ではこのように創業家が伊藤忠商事と組み、メガバンクからの融資も受けたうえでMBOを行うとした場合、何が問題になるのでしょうか?
このスキームで一番脅威を感じるはずなのは井阪社長以下のセブン&アイの経営陣です。そもそもACTとの企業防衛に関わる戦いは、現在の経営方針を貫くための戦いです。カナダからの経営介入を退ける代償として、新たに筆頭株主になるであろう伊藤忠からの介入を受けることになります。最悪、ファミマとの対等合併を強いられるとともに、現経営陣は経営から外されるリスクも考えられます。
高いハードルを越える秘策はあるのか
逆に伊藤忠から見れば、経営陣との対立にエネルギーがかかるのであれば、セブンを持つ意味はないでしょう。ここ1~2年、コンビニ業界ではファミマとローソンが躍進する一方で、セブンは苦戦しています。4.6兆円の企業価値で停滞していたセブンに手を貸すよりも、競争で叩き潰したほうがよほど効率はよいという判断になるはずです。
要するにこのMBO案、難しいハードルが2つあって、ひとつはもともと4.6兆円程度にとどまっていたセブン&アイの買収価値を7兆円超に引き上げるロジックが見いだせるかどうか、そして現経営陣を味方に引き入れる提案ができるかどうかの2つのハードルを乗り越えないと仕組みとして成立できないのです。
そこに秘策はないのでしょうか? 実はあります。おそらく創業家はそれに気づいて動き始めたのではないでしょうか。私は今回のMBOのアイデアがひらめいたきっかけは、昨年の西武そごう百貨店売却の経験だったのではないかと推測しています。
昨年、セブン&アイは西武そごう百貨店をアメリカ系ファンドのフォートレスに売却しようとしてひと騒動を起こしました。
フォートレスというファンドはもともと不動産やリゾートの買収に強いファンドで、小売りの経験はそれほどありません。そこで百貨店の労働組合がストライキまで起こして反対したのですが、結局は押し切られて売却されてしまいます。
その際、フォートレスは2200億円で西武そごうを買収すると、即日、西武百貨店池袋店の土地をヨドバシカメラHDに3000億円弱で売却します。つまり百貨店を再建する前に、ファンドとしては買収金額を上回る利益を確定してしまったのです。
もし創業家が同様のことをする場合のシナリオ
もしセブン&アイの創業家がこれと同じことをやろうとしたらどうなるでしょう? 実は7兆円の巨額買収は、現実味を増すことになります。
具体的に説明しましょう。
企業価値に関しては投資銀行や証券会社が業績から独自の金額を算出することがあります。今回の買収報道の中でJPモルガン証券がセブン&アイについて独自の試算額を公表しています。それによればセブン&アイの企業価値の64%は海外コンビニ事業が生んでいます。
私たち消費者から見れば、セブン&アイといえば国内のセブン-イレブンとイトーヨーカドーなどのスーパー、セブン銀行にデニーズといった事業の集合体に見えますが、その価値は全体の3分の1程度の金額でしかないのです。
カナダのACTがセブン&アイの買収を持ちかけているのもこの視点で、彼らが本当に欲しいのはセブンが持つ北米のコンビニ事業とみられています。そして経営陣が最後まで守りたいのはそこではありません。
だとしたら創業家がMBOでセブン&アイを7兆円で買収して、その日のうちに、北米のコンビニ事業をACTに5兆円で売ったらどうなるでしょう。彼らが本当に欲しいものだけくれてやるのです。ACTとの間で水面下で売却交渉を進めておけばいたずらに買収総額が跳ね上がることもありません。
創業家は北米事業売却直後に5兆円を金融機関に返済して、買収コストはわずか2兆円で済むことになります。手元に残るのはイトーヨーカドーと日本・アジアのセブンイレブンの経営権です。
最後に残るのは「アイ」だけ
ここまでの「絵」を描いたうえで、白馬の騎士としての伊藤忠には、「リスクは7兆円ではなく2兆円だから経営権までは渡さない」と条件を出します。持ち株は創業家と経営陣が過半を持つ代わりに、取引関係は全面的に伊藤忠に寄せていくという条件です。伊藤忠商事からすれば国内の小売事業取引をセブンとファミマで倍増させられますから、ビジネスとしてはのめる着地点です。
ただ北米のセブン-イレブンを売却しますから社名から「セブン」は消えてしまうかもしれません。最後に残るのは「アイ」だけです。でも「アイ」さえ残ればそれでいいと創業家は考えているのかもしれません。
(鈴木 貴博 : 経済評論家、百年コンサルティング代表)