みなさん、建築家 ル・コルビュジエの作品についてどれくらい知っていますか?
突然ですが。この2つの作品は、コルビュジエの中でもかなり有名な作品なのですが、用途が違うといえど、正直、同じ人間が作ったとは思えないほど作風が大きく異なります。
それもそのはず、左のサヴォア邸(1931)と右のロンシャンの礼拝堂(1955)では竣工年の差が24年もあるのです。
コルビュジエは20歳で処女作を作ってから78歳で亡くなる建築家人生58年間の中で、時代の変化とともに、数々の名作を残しながらいくつかの作風の変遷を経てきました。
今回の記事は、彼の処女作から最後の作品までを時系列にピックアップしながら写真メインで紹介していきます。その中で、時代とともに変わるコルビュジエの作風の変遷を感覚的に感じてもらえればなぁと思い、書きました。
ちなみに、ル・コルビュジエが世界の認識としてどれくらいすごいかというと、スイスの通貨10スイスフラン紙幣の肖像として使われるくらいです。日本でいえば野口英世、インドでいえばガンジー、モンゴルでいえばチンギスハン、そういうレベル(?)です。
ちなみに彼の設計した建物は17作品が世界遺産に登録されています。桁違いの凄さです。
Photo credit : http://kenichi-design.blogspot.jp/
そんなこんなで、コルビュジエの名前は知ってるけど、LC2(ソファ)しか知らない、とか、上野の国立西洋美術館しか知らない、けどもう少し知りたい。という人は必見です。勉強になること間違いなしです。
”扱っている作品は30作品以上写真はざっと100枚以上”
かなりのボリュームになっていますので、
”「前編 : 建築への目覚め(1887-1917)」「中編 : 白の時代へ(1917-1934)」「後編 : ブルータリズムの爆発(1934-2006)」”
の三部作でお送りします。お楽しみに。
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はじめに久しぶりの投稿です。104natooです。
この記事は、コルビュジエの一連の作品を見ていくことで彼の辿った建築観の全体像を掴んでいく記事です。そのため、写真をメインにしており、1つ1つの説明はかなり軽くしています。
全てを分かってもらうというよりは、これをきっかけにこれから色んな書籍を読んで知識を深めていくための足がかりになれれば、と思います。
※ちなみに、今回扱っている作品は私が実際に訪れた建築のみのため、扱えていない作品の中で、彼を語る上でこれは欠かせない、、という作品は関連記事をリンクで貼っているのでご容赦ください。
ではでは、まずは
「前編 : 建築への目覚め(1887-1917)」
を行ってみましょう
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第1章 コルビュジエ 生まれる
[地元篇] 1887-1908
コルビュジエは、1887年10月6日にスイスの、時計で有名なラ・ショー=ド=フォンで爆誕します。
時計職人の父親の影響もあり、彼自身も時計職人を目指していましたが色々あって別の道を模索していました。
そんな中、若干18歳のとき、通っていた美術学校の校長先生からの勧めで初の住宅作品を設計することになります。
校長先生の勧めってなんやねん、って感じですが、
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「ファレ邸」(1907, ラ・ショー=ド=フォン, スイス) コルビュジエ20歳”
??????????こ、こ、コルビュジエ????って感じですねー、あのモダニズム建築の巨匠も処女作は山小屋風なんですねー、外壁の植物文様とかはまさに当時の美術学校のアール・ヌーヴォー感があります。
こんな感じで、後述する2作品も同じように、地方の伝統建築様式にのっとって設計しています。
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「ジャクメ邸」(1908, ラ・ショー=ド=フォン, スイス) コルビュジエ21歳”
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「ストッツァー邸」(1908, ラ・ショー=ド=フォン, スイス) コルビュジエ21歳”
ちなみにこの三作品は、校長先生の友達の地元建築家ルネ・シャパラに協力してもらっているので共作ということになっています。
コルビュジェの最初の師匠といったところでしょうか。実際にこの建築を見ましたが、正直、僕はここらの作品はよくわからないです。。
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第2章 コルビュジエ 修行に出る
[成長篇] 1908-1917コルビュジエは1908年(コル21歳)にパリへ行き、コンクリート建築の父と呼ばれるオーギュスト・ペレの元で働きます。
ちなみに当時のペレ事務所は、世界初のRC造集合住宅でもある「フランクリン街の集合住宅(1904)」(構造:エヌビック)を建てた後にあたります。
以降コルビュジエは徹底的にコンクリート建築の可能性を開花させていきます。
ちなみにペレの代表作「ル・ランシーのノートルダム教会」は以前記事で紹介しています。
そしてその2年後1910年(コル23歳)は、ベルリンを訪れ、最初の近代建築[AEGタービン工場]を作ったとされるペーター・ベーレンスという建築家の事務所でも働きます。
ちなみに、この時、ベーレンス事務所にはコルビュジエの他、グロピウス、ミースも一緒だったとのこと、、、、みんな後の巨匠です、半端ない。
そんなこんなでここでモダニズム思想が醸成されたのかもしれません。
その後、1911年(コル24歳)から半年にかけて、ベルリンから東欧、トルコ、ギリシャ、イタリアを巡る東方への旅へ出ます。詳しくは本を読んでください。
また、ギリシャ・アテナイのアクロポリスでのパルテノン神殿に出会ったコルビュジエのエピソードについては下記の記事で紹介しています。
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第3章 コルビュジエ 帰還する
[RC造への目覚め篇] 1912-1917ペレ事務所、ベーレンス事務所の修行、東方の旅を経たコルビュジェは、再び地元ラ・ショー=ド=フォンへ帰ってきて、建築設計事務所を構えることになります。
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「ジャンヌレ=ペレ邸」(1912, ラ・ショー=ド=フォン, スイス) コルビュジエ25歳”
独立後初の作品として、ローカルの建築とは脱却したこの「白い家」(la Maison blanche)と呼ばれる両親のための住宅を設計します。
水平連窓や黄金比を意識した外観からは今後のコルビュジエ建築の原液みたいなものが見られますが、一方で屋根形状からは山小屋風の名残も感じられますね。
RC造による建築についてはペレ事務所、ガラスを多用した近代様式についてはベーレンス事務所、庭園については東方の旅で見た街並みや伝統建築の影響を強く受けており、明らかにここまでの経験を生かした設計をしているんですね。
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「ドミノシステム」(1914) コルビュジエ27歳”
建築へ ― ル・コルビュジェ ソーニエ (2003,中央公論美術出版 )より
これは、近代建築の構造原理を示した、超有名なドローイングです。
コンクリート造の床とそれを支える柱によって壁は自由にできる、というもの。
今では当たり前の構造形式ですが、石やレンガの組積造が当たり前だった当時には大きな衝撃を与えました。
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「シネマ・スカラ」(1916, ラ・ショー=ド=フォン, スイス) コルビュジエ29歳”
これはどうやら外観だけコルビュジエらしいです。屋根と階段の斜めのリズムとか、立面の感じは比例関係とか使ってる感がありますね。
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「シュオブ邸」(1917, ラ・ショー=ド=フォン, スイス) コルビュジエ30歳”
コーリン・ロウの著作「マニエリスムと近代建築」で絶賛されている作品です。外観に現れるこの白いパネルが特徴的です。どうやら、ある比例関係の秩序に基づいて立面の計画をしているようです。
ちなみに、この作品は、パリ以前のコルビュジエの最高傑作とも言われています。
まとめ
”「前編 : 建築への目覚め (1887-1917)」をまとめると、①スイスで生まれ、若くして地元で設計を始める②パリの事務所、ベルリンの事務所で修行の後、世界の建築を見る③再び地元スイスへ帰ってきて独立し、修行+旅で学んだことをいかんなく発揮するという流れでした。”
今回紹介した建築は、一般的にみなさんに認識されているコルビュジエ作品とはかなり違ったものかと思われます。それゆえ、退屈に感じてしまったかもしれません。
また、ここまで読んで、あれ?以外と作品数扱ってないじゃん、写真少ないじゃん、と思った方は多いかもしれません。
その通りでございます。でも安心してください。
というのも、コルビュジエは、時代とともに作品数や作品の密度が圧倒的に多く+濃くなって行きます。ですので、それに比例しこの一連の記事も、後に行けば行くほど扱う作品数と写真数が大幅に増量して行きます。
ただ、この前編で扱っている時期は、序章として非常に大事な期間であるという認識はしていただきたいです。
なぜなら、時計職人目指す→建築を始める→ペレ事務所→ベーレンス事務所→東方の旅でそれぞれの経験がのちの彼の作品に大きな影響を与えている点が非常に興味深いからです。
個人的には、アップル社の設立者スティーブ・ジョブスの「Connecting the dots」を思い出しました。それぞれの経験(点)が結びついていくことでコルビュジエという人間を作り出しているんだろうな、と。当たり前のことですが、のちのコルビュジエはこの初期の時代がなければ存在し得ないということですね。
そんなこんなで、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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次回予告今回スイスへ帰ってきてRC造建築を作り始めたコルビュジエは、その後パリへ事務所を移すこととなります。そこで彼は、白の時代と呼ばれる、現在でも名作と言われるほどの数々の建築を生み出す時期に突入して行きます。冒頭で登場したサヴォア邸も、満を持して登場します。
次回、
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誰でもわかるコルビュジエ「中編 : 白の時代へ(1917-1934)」
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お楽しみに。