AC3000ME(1979年)
1973年のロンドン・モーターショーでディアボロとして公開されたそれは、オースティン・マキシのエンジンを積んでいた。それから6年を経て、このプラスティックボディのスポーティカーはフォードのエセックスV6を積んで市販化されたのがこの3000MEだ。
しかし、この時点で既に時代遅れだった。71台を生産した時点でACの経営権は新会社に移行したが、スコットランドで30台が製造されたのみで姿を消した。
アストンマーティン・ブルドッグ(1980年)
ご覧の通り、このクルマはライトがポップアップするわけではない。1列に並んだ5個のライト、その前のパネルが上下する。ラゴンダのデザイナーであるウィリアム・タウンズは、世界最速のクルマを生み出すことを任された。エンジンはアストンの伝説的な5.3ℓV8をツインターボ化。複数台を製造する予定だったが、結局はワンオフ止まりだった。
現在、このクルマはグリーンに塗られており、2009年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにその姿を現した。
TVRタスミン(1980年)
曲線的デザインで、速くも手頃な価格の軽量スポーツカーを造っていたTVRは、1970年代末に全てをウェッジシェイプへ以降する決断を下す。ブラックプールのスポーツカーメーカーに新時代到来を告げたタスミンは、とくにV8モデルでは、価格の割に力強いパフォーマンスを見せた。長らく不人気だったウェッジ世代のTVRだが、最近では再評価されつつある。
ホンダ・プレリュード(1983年)
リトラクタブルライトのホンダ代表がNSXでは、あまりにも当たり前すぎてつまらない。それ以前に一斉を風靡したクルマを紹介しよう。全5世代を数えるプレリュードだが、リトラクタブルライトを採用したのは2代目と3代目の2世代である。
あまりにもコンサバティブだった初代に代わり、リトラの2代目が登場したときには、そのデザインが大いに評価され、日本ではデートカーと呼ばれるスペシャルティカーのブームに火をつけた。ただし、ボディ前端で持ち上がるライトは、空力を大幅に損なう。
ポンティアック・フィエロ(1983年)
手頃な価格のスポーツカーを生み出そうとしたGMは、アメリカでは初めての本格量産ミドシップであるフィエロを世に送り出した。低い信頼性や冴えないパフォーマンス、問題視された安全性などネガティブな評価の数々を浴びせられたにも関わらず、登場から5年間に生産されたフィエロは37万台を超えたのである。
トヨタMR2(1984年)
フィエロが誕生した年にコンセプトカーとして発表され、その翌年に日本初の本格量産ミドシップとなったMR2。この初代も、1989年登場の2代目も、リトラクタブルライトを採用し、リアミドシップならではの低いボンネットを強調した。その後はホンダなどもミドシップに参入したが、いまだに日本製のそれは少数派だ。
ボルボ480ES(1986年)
ボルボにとって、リトラクタブルライトも前輪駆動も初の採用例となったのがこの480ES。オランダで生産され、エンジンはルノーの1.7ℓと2.0ℓを搭載。1.7ℓにはターボ仕様も設定された。
同じメカニズムを用いて5ドアの440と460も生産されたが、それらは今や忘れられがちなモデルだ。1990年にはコンバーティブルのプロトタイプも発表されたが、残念ながら量産化は実現しなかった。
BMW8シリーズ(1989年)
V8もしくはV12を積む豪華なグランドツアラー、E 31型8シリーズは速く高価で、洗練され、ラグジュアリー。BMWのリトラクタブルライト採用モデルとしては、限定生産されたM1に次ぐ2例目となる。生産期間は1990年から1999年にわたるが、3万台をわずかに超える程度が販売されたのみで、最近ではコレクター人気が高まりつつある。
パンサー・ソロ(1989年)
当初はフォード・フィエスタの1.6ℓを積む安価なミドシップ・スポーツカーとして企画されたが、トヨタMR2の登場を受けて、パンサーは最高を余儀なくされた。
そこでエンジンをコスワースの2.0ℓターボに変更し、四輪駆動を組み合わせたより高価なモデルへと上級移行。結果、MR2は成功し、ソロは失敗作となった。
ユーノス・ロードスター(マツダMX-5、1989年)
ロータスの初代エランにインスパイアされ登場したマツダの小さなロードスターは、リトラクタブルヘッドライトを擁した初代が世界的なヒットを記録。固定ライトになった2代目以降も支持を集め続け、現行モデルで4世代を数えるまでに至っている。
安価なスポーツカーながら、走りもルックスも秀逸で、日本車ならではの高い信頼性も備えるこのクルマの登場は、世界中のメーカーに衝撃を与え、フォロワーが続々登場した。しかし、現存する個体をみると、サビにはあまり強くないようだ。
ヴェクターW8(1989年)
ヴェクターの歴史は、下手な映画顔負けの紆余曲折ぶりだ。1971年、ジェリー・ヴィーゲルトが設立したデザイン会社を母体に、1978年にヴェクター・エアロモーティブへと改名。この年、初の自社製モデルとなるW2を発表するが、量産開始は1989年のW8まで待つこととなった。
しかし、わずかな台数を生産したところで会社はメガテックに買収され、W8はランボルギーニ製V12ユニットを積むM12にその座を譲った。
その後もオーナーが二転三転し、社名を変えながら存続してきたヴェクターだが、2006年にはヴィーゲルトの手に戻り、現在は新たなモデルの開発を進めている。
チゼータV16T(1991年)
世の中が好景気に沸き、裕福なカーマニアたちが過激なスーパーカーを手当たり次第に買い漁っていた1980年第後半、チゼータはV16ユニットを搭載したモデルの開発を計画。実質的には2基の3.0ℓV8をつなぎ合わせたそれは、驚くべきことに横置きされた。
車名はこの横置きV16と、それに縦置きトランスミッションを組み合わせたパワートレインのT字型レイアウトを示唆する。最高出力は568ps、最高速度は320km/h近いが、4灯のリトラクタブルライトのインパクトも、スペックに負けないものがある。