もくじ
ー F1はゴールではない
ー パーマー・スポーツ創業
ー 4つのサーキットを買収
ー ドニントン・パークも手中に
ー 改善の余地は無限に
ー 一方、フランスでは
ー パーマーの考え
F1はゴールではない
ほとんどの優秀なレーシングドライバーにとって、フォーミュラ1でのキャリアは頂点だ。優勝するために戦う一方で、スター達はレースが終わった後の自分の人生について深く考えることは稀だ。これはモータースポーツの世界がヒーローを特に手厚く扱うからというだけではない。
2018年のAUTOCARモータースポーツ・ヒーローに輝いたジョナサン・パーマーにとって、人生はそれほど単純なものではない。華やかなF1の世界に身を置きながらも、彼は将来についてよく考えていた。彼は1983年から1989年の間に4つのチームで83戦に出場し、多くの同僚よりも良い成績を収めた。そしてジム・クラーク・カップ(ノンターボF1カーのチャンピオンシップ)で勝利を収めたのち、スポーツカーやBTCCの世界へと身を移した。レースの世界でのキャリアを終えた時、彼は次の道を用意していた。
「わたしは持てる能力を出し切ろうという野心を持っていました」とパーマーは回想する。「そしてそれがわたしをF1へと導いたのです。わたしはそれを自分の特権だと思っており、決してゴールだとは考えていませんでした。より優秀なドライバーが出現することは予想していましたし、その通りになりました。だから次のステップを模索していたのです」
パーマーの「次のステップ」は大成功だった。実際、実戦を退いてから英国のモータースポーツの発展に彼以上に貢献したひとはいないだろう。そして、後継者育成の第一任者としても活躍した。
パーマー・スポーツ創業
レースの世界から出て、彼はBBCに入りマレー・ウォーカーとともにテレビのF1番組コメンテーターを務めた。1999年には、ベッドフォード・オートドロームを拠点とし、彼の名を冠するドライビングイベント会社であるパーマー・スポーツを設立した。新しいプロフェッショナルプログラムによって、ドライバーの成長のために必要なものを提供した。時には彼らが乗ったことのないようなハイパフォーマンスカーの魅力を伝えることもあった。スポンサーはそれを見逃さなかった。
初期には、パーマーはやっとの思いで食いつなぐのに必死であった。たとえば、マクラーレンF1のチーフ・テストドライバーなども務めた。しかし、数年後にはパーマー・スポーツは急成長を見せていた。
これを機に、パーマーは新たなレース環境の提供を始めることにした。例えば、T Carsというジュニア・サルーンシリーズ、フォーミュラ・パーマー・アウディ、そして最近のBRDCフォーミュラ4などだ。これらは若いドライバーたちが実力を示す機会を提供すべく考え出されている。
自身のアイデアがうまくいくよう、彼は自ら技術スタッフとともにマシンの設計や資金調達をおこなった。彼の細部へのこだわりは時に摩擦を生むこともあったが、同時に伝説も残した。彼はサセックスの自宅からヘリで通勤する最中、600m上空からタバコの吸い殻を見つけることができるといわれている。
ベットフォードでの成功は標準的なミリオネア実業家を満足させられるだろうが、それではパーマーは満足しなかった。
4つのサーキットを買収
パートナーと活動を続けながら、2004年には英国内の4つの有名サーキットを買収した。ブランズ・ハッチ、オウルトン・パーク、キャドウェル・パーク、スネッタートンだ。モータースポーツ・ビジョン(MSV)という新会社を立ち上げ、大規模な改修事業を行った。これはレースファンにとって良いものとするだけではなく、このような有名サーキットでのレースは長期的に持続可能であるべきというMSVのフィロソフィーに則ったものだ。
おそらく、パーマーの最も大きな成功はこれらのサーキットでのイベントの豊富さや、観客動員数に現れている。一般的に、サーキットの運営は経済的に不安定だといわれる中でのこの成功は偉大だ。
「わたしはF1への参戦以上にこのビジネスを楽しんでします」と61歳のパーマーは語る。「ドライバー時代は、レースという任務の達成のために自分が使える能力に厳しい制限がありました。トラブルを避け、繰り返しマシンに乗ってテストとレースを繰り返すのです」
「しかしビジネスにおいて、毎日、毎時間のように重大な決断をくだす興奮を得られるのです。わたしは非常に大きなやりがいを感じています」
ドニントン・パークも手中に
最近、ふたつの拠点が新たにMSVに加わった。パーマーはフランス北部のラオン近郊にある5.3平方kmの元空軍基地を手に入れたのだ。彼はここを欧州の顧客のためのドライビングセンターに作り変える計画だ。そして、昨年には1930年代からの歴史がある英国のドニントン・パークの運営権を手に入れた。1937年と1938年には、ベルント・ローゼマイヤとタツィオ・ヌヴォラーリがアウト・ユニオンの558psのシングルシーターで勝利を収めたことで有名だ。
ドニントンで開かれた唯一の現代F1レースは、1993年のヨーロッパ・グランプリであった。当時アイルトン・セナがF1史上最速のファーストラップを記録したとされる。マクラーレンを操る彼は土砂降りの雨の中ミハエル・シューマッハ、デーモン・ヒル、アラン・プロスト、カール・ヴェンドリンガーなどを抜き去った。
最初の契約は1年以上前に行われたが、今年初めから正式に運営権を手に入れた。すでにパーマー流の改修が完了しているが、今後もさらなる手直しが予定されている。メインエントランス前に2棟並んだモダンなオフィスの建物のひとつはフォーミュラEの運営団体が、もうひとつにはMSVのオフィスが入居している。
以前グラベルであったパドックスペース周辺は今は舗装されている。ブラック・レイクやヘリテージ・ループと呼ばれる敷地西側のエリアも多額の費用をかけて舗装されており、集会やドリフトスクールなどに使われる。パドック中央部にはガレージ39と呼ばれるレストランが作られ、それ以外もあらゆるものが修繕されたりMSVのイメージカラーである紅白に塗られた。
改善の余地は無限に
ハリウッド・コーナー外側からクレーナー・カーブスへと続く土手の上には、真新しいグランドスタンドが作られている。この最上段からはコース全体の3分の2ほどが見渡せるのだ。その近くにはモダンなトイレ棟が作られた。
パーマーや彼がブランズ・ハッチから連れてきた管理チームは、そのような設備を整えることは顧客を呼び込む上で効果的だと熟知している。最近まで採石場のような雰囲気であったこの場所が、いまや居心地の良い重要なサーキットとなっているのだ。
しかし、パーマーの「やることリスト」は終わりには程遠い。永遠に終わらないというひとすらいる。彼はMSVの多くの施設は改善の余地があると考えている。特にフランスではやるべきことが多い。さらに、パーマーは条件が許せば英国GPが開かれるシルバーストンの運営を行うことも考えている。しかし、これには困難も多く、関係するすべてのひとを満足させるのは難しいとも考えている。
ジョナサン・パーマーの成功の秘訣があるとすれば、その不変の進歩とハイクオリティへの情熱だろう。「ひとびとはMSVがベンチマークを作ったといいます」と彼はいう。そこには自慢げな様子は見られない。「おそらくそうなのでしょう。それこそがわれわれが取り組んできたことなのです。しかし、その手法は非常に単純です。わたしは正しいと思うことをやってきただけです。そうすれば、ビジネスはきっとうまくいくでしょう」
一方、フランスでは
フランス・ラオン近郊にあるクブロン元空軍基地の改修計画ほど、ジョナサン・パーマーの起業家精神を表しているものはないだろう。所有権が放棄されていたものを、数年前に購入したのだ。
彼はそこを高性能ロードカーのオーナーのための巨大なドライビングセンターにする計画だ。万一のために広大なランオフエリアを設けた上で、ブレーキやタイヤに負担がかかりすぎない設計を目指している。トップスピードで走らせた後も不都合なく走って帰れるようにだ。
約2kmのストレートを含む全長8kmのサーキットへの改修計画は、今年後半中に着工許可が降りる見込みだ。この計画にはイベントやスクール向けの3つのベッドフォードのようなショートコースが含まれる。そしてコースの周りには、全長13km程度の周回路や街を再現した道路が作られ、自動運転車の開発に使われる。
大規模な工事は2019年に行われ、2020年にグランドオープンの予定だ。クブロンの重要な特徴は、クルマの展示や発表に使われる巨大なエキスポセンターが作られることだ。500人が収容できる宴会場や、レースやロードカーのためのワークショップ向けスペースも設置される。「われわれはここを自動車界のメッカにしたいのです。ほかにはないような場所を作ります」とパーマーは語った。
パーマーの考え
◇サーキットを買収する理由
「もしひとつの歴史ある業界に参入しようとしているとき、他の人がそれで儲けているとしたら、参加しない理由はどこにあるのでしょうか」
◇MSVが所有するサーキットについて
「われわれがブランズ・ハッチ、キャドウェル・パーク、オウルトン・パーク、スネッタートンの4つのサーキットを買収したとき、彼らは毎年300万ポンド(4億4000万円)の赤字を出していました。わたしたちは施設やスタッフを改善しました。誰も全体像を考えていませんでした」
◇ドニントン・パークでのF1開催は
「もしシルバーストンが開催地を降りるのであれば、ぜひこちらで開催したいと考えます。しかし、数字的に割に合うのかどうか、よく考える必要があります」
◇ドニントンのコースレイアウトは
「長年、このコースは国内有数のサーキットでした。広大かつ素晴らしいトラックで、ドライバーにも観客にも好まれています。1976年から大きくレイアウトが変わっていないのは、単に改善する必要がないからです」
◇ドニントン・コレクションについて
「今年末には、こちらもわれわれが管理することになります。現在の規模は大きすぎるとは思いますが、これも特徴的な魅力のひとつとして維持していきたいと考えています」
◇ドニントンのビジネス的成長について
「われわれはマーケティングや広告戦略に力を入れています。ウェブサイトを改善し、データベースも使いやすくしました。MSVの経験が役に立っています。ソーシャルメディアは? 良くも悪くも影響しますね」