最近、説明や謝罪時の、違和感のある言葉遣いが話題になりがちだ。当コラムでは、実際の発言を例にとり、公私の場で失敗しない言葉の用い方を考える。ビジネスパーソンのための実践言語学講座63、いざ開講!
「もう一度政権を取らないと、自民党を離党した意味がない。今まで苦労した意味もない。死ぬにも死に切れない」―――国民民主党の小沢一郎・総合選挙対策本部長相談役が講演会にて発言
1989年、47歳で自民党の幹事長となり、総裁選の候補者の“面接”を行うなど、実質的に永田町を牛耳っていた小沢一郎。1993年には、自民党を離党し新生党を結成。二大政党制の実現を目指し、8党派が結集した非自民の細川護熙政権樹立のために奔走。ここでも"裏の権力者"として、政権に対する大きな力を保持した。27歳で初当選して以来、選挙にめっぽう強く、票読みも的確。剛腕と呼ばれ毀誉褒貶あるものの、政治家としての実力は多くの人が認めており、かつては総理候補としても何度となくその名が取り沙汰された。
だが、新生党以降の小沢は「壊し屋」のイメージのほうが強くなってしまった。党を立ち上げては、壊す。新生党、新進党、自由党、民主党、国民の生活が第一、日本未来の党、生活の党、生活の党と山本太郎となかまたち、自由党、そして国民民主党。もはや履歴書に書ききれないほど、政党を作り、渡り、壊してきた。彼が動くたび、野党が力を失い、自民党の一党独裁体制がより強固なものになっていったのも皮肉な事実と言っていいだろう。
そんな小沢も77歳。政治家としてのタイムリミットが迫っていることは、誰よりも本人が理解しているはずだ。しかし、その演説にかつてのキレや迫力はなく、むしろ焦りや悲壮感が漂っている。
「山本太郎君は世間に今どういう主張が支持されるかという政治感覚が非常に敏感だ。(野党)結集とは逆の分派行動を取ったが、特に立憲に大きな影響を与えたので、表彰状を出さないといけないと冗談で言っている」
「2年以内にある次の総選挙では間違いなく政権交代だ」
「もうひと働き、最後のご奉公をしたい。もう一度政権を取らないと、自民党を離党した意味がない。今まで苦労した意味もない。死ぬにも死に切れない。もう一度政権を取って次の世代にバトンを引き継ぎたい」
小沢は恐らく長く「自民党を離党した意味」、「苦労した意味」を求めてきたのだろう。1度は細川政権で成し遂げた。だが、志半ばで政権の中枢を離れ、野党で足掻き続けている。中途半端に自民党に復党する人間よりは、マシかもしれない。だが、彼は勘違いしている。国民は小沢一郎という政治家の“存在意義”のために、政権交代を求めることはない。
「死ぬにも死にきれない」と、ドブ板選挙のようなセリフが通用したのも、昭和や平成の時代までだろう。いまの時代、個人が個人の欲望のためだけに人を動かそうとしても無理がある。政治家だろうが社長だろうが、「余計なことは考えず、オレのために動いてくれ」と言って通用する時代はとっくに終わっている。にもかかわらずそれを口にしてしまうあたりに、小沢はもう政治家として時代が読めていないのではないかと思わずにいられない。
Text=星野三千雄 Photograph=Getty Images
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