これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米、巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストによるエッセイ。
蓮池透のライフシフト
ライフシフトというタイトルで続けてきた連載だが、これまでは私自身のライフシフトを中心に書いてきた。それはどことなく自慢話のように聞こえる点もあったかもしれない。今後は、私が見たライフシフトをお伝えしたい。当然だが、あらゆる人がライフシフトを経験している。その最初は蓮池透さん。北朝鮮に拉致された蓮池薫さんの兄だ。
ふらりと、現れた。
そんな感じだった。蓮池透さん(64)。一昔前なら拉致家族の「お兄ちゃん」として知られた「とおるさん」だ。6月13日、徳島駅前で停まったバスから降りてきた。ふらり、としか形容しようのない歩き方は以前から変わらない。
「ご無沙汰」と、どちらともなく声をかけた。元気そうだ。
「どのくらいぶりですかね?」
そう口にすると、「どうかなぁ……」と思案顔になった。
蓮池さんと最後に会ったのは、私がNHKを辞めた後に、新潟県柏崎市で弟さんの薫さんも交えて食事をした時だっただろうか。
「それ以来だったかなぁ……?」
そう言う蓮池さんを駅ビルに連れて行き昼食をとりながら話をきいた。
拉致問題
ライフシフト。この連載のタイトルが本当の意味であてはまるのは蓮池さんかもしれない。1978年の夏に突然、弟が行方をくらました。それからしばらく経って、どうも朝鮮(北朝鮮)に拉致された疑いが浮上。それを政府に求めても取り合ってもらえない。一部のマスコミが報じたが、NHKも朝日新聞からも無視された。
「NHKなんか、拉致問題を取り上げてくれと言いに行ったら対応した人間が書面を見て、『これ、字が違いますだよ』だよ。ふざけんじゃねぇーって」
今からは考えられない状況だが、2002年の小泉訪朝で金正日総書記(金正恩委員長の父)が拉致を認めるまではそういう状態だったと、拉致問題がクローズアップされた当時、話してくれた。
もっとも、当時の私は蓮池さんを取材していたわけではなかった。東京の社会部の記者だった私は国会記者クラブを担当していた。ただ、拉致問題が明らかになって「家族会」の記者会見が常時開かれるようになると、記者会見にも顔を出すようになった。拉致被害者家族を支援する国会議員なども来るようになっていたからだ。その何回目からの記者会見の場で、某国会議員から「お前のような北朝鮮のシンパが取材するのはおかしいんだよ」と全国中継の最中に言われて以降、拉致問題の取材から外された。
なぜ私が「北朝鮮のシンパ」と名指しで批判されたのか、その理由は今もわからない。社会部の国会担当記者の守備範囲として朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)も担当していたが、拉致議連の会長を務めていた故中川昭一議員とも頻繁に会っていたし、「対北朝鮮強硬派」の筆頭だった「救う会」の故佐藤勝巳会長とは緊密に連絡を取り合っていた。この発言は、某議員の単なるスタンドプレイだったのではないかと思うが、そういうことにNHKは過剰に反応するのも事実だ。
それでも私はよく蓮池さんとは会っていた。当時の蓮池さんは対朝鮮強硬派で、確か、「自衛隊を派遣して拉致被害者を取り返せ」ということも言っていたと思う。それに、拉致問題が大きな問題となる以前のマスコミの冷たい反応から、どこかマスコミに対しては厳しくあたるところがあった。
そのため、蓮池さんを担当していたNHKの記者とも時折うまくいかないことがあり、そういう時は私が食事に誘ったり一緒にフットサルをやって汗をかくなどして話し相手となっていた……そういう損得ない関係がよかったのかもしれないが。
その後、蓮池さんも拉致問題の解決には朝鮮との対話が必要だと主張するようになって「家族会」で批判を受けるようになる。そして2010年、「家族会」は蓮池さんの退会を決める。一方的な通告だったが、蓮池さんも恐らく、一緒にやっていくことの難しさを感じていたのだろう。決議を受ける形で会を離れている。
前後するが、蓮池さんはその1年前に東京電力も辞めている。「家族会」からも東京電力からも離れたということで、2016年に私がNHKを辞めた後、同じ「弱い立場」ということもあって、そこからまた付き合いが深くなった……多少長くなったが、二人の関係をかいつまむとこうした流れとなる。
れいわ新撰組
「身体は大丈夫ですか?」
「え、身体? まぁ、もう年だからさぁ。だってもう還暦過ぎてんだよ」
さて、参議院選挙の話だ。蓮池さんが「れいわ新選組」の参議院の候補になったことは既に報じられていた。
「よく決断しましたね?」
「まぁ山本太郎という人物に惚れたってことかな」
山本太郎。言わずと知れた「れいわ新選組」の代表だ。参議院議員としてもユニークな存在感を示していたが、還暦を過ぎた多少ひねくれたところもある元東電マンをして、そう言わせるかと驚いた。
「どこがいいんですか?」
「言っていることは私としっくりいった。もともと福島第一原発の事故の関係で話す関係だったというのはあるが、皮肉屋っていうか、ひねくれているっていうか、私もそうなんで、そういう点は合った」
一般から寄付を集めるという話は既に聞いていた。
「もう1億円集まっているというんだよ。すごいでしょ?」
「1億円ですか。すごいですね」
私のNPOも寄付で成り立っているので寄付を得ることがどれだけ大変かはわかる。1億円を寄付で集めるとは想像もできない。最終的には4億円も集まり台風の目になるわけだが、もちろん、当時の蓮池さんもそうなるとは思っていない。
「まぁ、私はどうでもいいんですよ。山本太郎を支えるという感じかな」
その日は徳島で講演会に呼ばれていた。時間が来たので講演会場に向かった。既に200人ほどは入る部屋がほぼ満席になっている。
講演のテーマは脱原発だ。蓮池さんは松山に入り伊方原発を視察して四国各地で脱原発について講演してまわっていた。
「伊方原発行って驚きました。避難するための通路が一本しかないんです。あれじゃなんかあったら誰も避難できません」
蓮池さんの話に熱心に聞き入る人の姿を見て、「これはひょっとしたら当選するのでは?」と思った。
選挙
そして7月5日に選挙戦に突入。しかし「れいわ新選組」はテレビのニュースにはもちろん、新聞の記事にも載らない。これは政党要件を満たしていないから、ということだろう。
これは苦戦だなぁ……。
7月16日、蓮池さんネット上でのつぶやきが目に入った。
「『拉致被害者を見捨てた?』そのようなことは絶対にありません。まだ、帰らない被害者とその家族は言うまでもなく、帰らない人たちを背負って生きている弟たち5人・家族も心休まる日はありません。頼りの政府が主体的な外交をしている感はなく、被害者の受入態勢を整えている様子もありません。ひたすら待つのみ、ただ時間だけが刻々と虚しく過ぎていきます。優先とされる課題がこの有り様であることが示しています。多くの様々な被害者=弱者を見捨てている、それこそがこの国なのです。すべての人間の命には、限りがあります。もちろん、私もです。もう我慢できない。こんな国を変えたい。残りの人生を無駄にしたくない。そんな思いで、今回声を上げ続けています。どうかご理解ください」
「どうかご理解ください」というところに、蓮池さんの必死さが読み取れた。
「大変なんだろうなぁ」
私は友人、知人が選挙に出る時、基本的に表立った応援はしない。私はジャーナリストであり、友人だろうが、政治家や候補者は先ずは取材対象だからだ。
ただ、蓮池さんは少し心配だった。そこでメールを送った。
「あまり声を張り上げないことです。終盤に声が出なくなりますから」
新人候補が選挙戦の序盤から声を張り上げて中盤くらいで声がガラガラとなり、大事な終盤戦で声が出てない姿を何度か見てきたからだ。
蓮池さんからは「拝承」と一言来た。
そして7月23日に投開票。れいわ新選組はとてつもない票を得る。選挙区の得票数が21万4438票で比例区の得票が228万764票。足すと約250万票だ。代表の山本太郎氏が99万2267票。これもすごい数字だ。
しかし山本氏は当選できなかった。当然、2万557票とった蓮池さんも落選となった。2万票を超えているんだから他の党から出ていたら当選していたかもしれない。
その2日後、一息ついただろう頃に電話を入れた。
「お疲れ様でした。選挙、どうでした?」
「いやぁ、落ちたら仕方ないよ」
電話の向こうの声は元気そうだった。喉もつぶれていない。
「選挙後、新聞もテレビもれいわ新選組について報じ始めているけど、忙しいんじゃないですか?」
「ああ、議員会館の引っ越しとかね。そういうのは忙しいみたいだけど、私は別に何も。選挙の総括するんでまた東京に集まるけど、私はこれから柏崎に帰るよ」
「すごい結果じゃないですか? 予想外じゃないですか?」
「いや、そうでもないんだよ」
「え? 予想内?」
「本当はもっと行くかと思っていた」
やはり、れいわ新選組という名称の浸透が間に合わなかったという。
「だから途中から『山本太郎と書いてください』って言って、『山本太郎が嫌な人は蓮池透と書いてください』って言ったんだよ」
「本当は300万くらい行くと思っていた。だから、ちょっと残念」
250満票獲得して2人も国会に送り込むことになったが、当事者はもっと高みを目指していたということか。話が面白いので、毎週水曜日の夜9時から私がホストをしているニコニコ動画「ファクトチェック・ニッポン」にスカイプ中継で出てくれないかと話した。
「いいよ」
そして24日の水曜日、スカイプをつなぐと、バタバタとパソコンを動かしている蓮池さんが画面に現れた。
「音、大丈夫?」と蓮池さん。
「大丈夫ですよ。クリアです。で、そこはどこですか?」
「柏崎の実家の踊り場」
タバコをふかしながら蓮池さんが言った。どこまでも自然体だ。番組の終わりに尋ねてみた。
「しかし、私は49でのライフシフトでしたが、蓮池さんは、60過ぎてのライフシフトですね?」
「ああ、そうね。まぁ60過ぎたとか、考えてなかったからね。走ってきて、こうなった。そりゃ、身体の衰えは感じるけど、でも元気だしね。ただ、走ってきてこうなった、そういう感じかな」
これからは? れいわ新選組でやっていくのだろうか?
「取り敢えず、そうかな」
気負いのないひねくれ屋がそう言って、笑った。
第23回に続く