プロ野球が開幕したが、思い出すのが2004年(平成16年)、1リーグ制を推進したかった渡辺恒雄・巨人軍オーナー(当時)が、労使交渉を含め各種課題について対話を求めた当時の古田敦也・プロ野球選手会会長に対する「無礼な! 分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が!」発言だ。
渡辺氏の意図としては、巨人人気が凋落していた中、1リーグにすることで新たなカードを組めることが一つ。そして、野球界全体の足を引っ張る2つの不人気球団に退場してもらい、人気チーム同士の対戦にし、観客数・放送権料の上昇を目指したのだ。
この時、大阪近鉄バファローズが消滅し、堀江貴文氏率いるライブドアが球団運営に参戦。結局1リーグ制は頓挫し、近鉄とオリックスが合併しオリックスバファローズが誕生し、当時の経済界からは嫌われていた堀江氏へのアレルギーから、同じIT企業であっても楽天の三木谷浩史氏が新球団を運営することが決定。近鉄とオリックスの「分配ドラフト」で選ばれた選手が楽天ゴールデンイーグルス入りとなった。近鉄のエース・岩隈久志は、オリックス入りを拒否し、金銭トレードで楽天入り。
翌2005年シーズンからセ・パ交流戦が開始したため、渡辺氏の1つの目的は達成されたといえるかもしれない。しかし、楽天は戦力が整わず、5位の日ハムに25ゲーム差をつけられる38勝97敗1分けのぶっちぎりの最下位となった。今でこそ楽天は強豪チームに育ったが、当時は本当に弱かった。
こうした状況だったが、巨人の人気が凋落し、日本テレビを中心とした巨人戦のナイターは滅多に見られなくなったが、この時期を経て実は野球人気は上がったのでは、とも思うようになった。いや、テレビを通じて観戦する人は減っただろうが、それは、「気まぐれでいつ消えるか分からないにわかファン」のような存在ではなく、心から野球が好きな人が野球で見るようになったのだ。
何しろ、今や神宮球場の前を偶然歩いていた時にカクテルライトの灯りと歓声を聞いて「野球見ながらビール飲みますかね」なんてことはなかなかできない。プロ野球のチケットは大人気で、安易に取れないのだ。かつてのロッテの本拠地・川崎球場の閑古鳥っぷりなどは考えられない。人々は決して安いとはいえないチケットを購入し、球場に足を運び、グッズを買い、飲食をするのである。さらには、試合を実際に観に行けない日のためにDAZN等のスポーツ中継サイトにも登録をする。
こうした人々が熱心に平成の中期~後半に対してプロ野球を活性化させ、年俸も着実に上げて行ったのだろう。そう考えると渡辺恒雄氏がこだわった放送権料の上昇よりも熱心なコアファンを多数抱えることになり、そうした人々が子供や孫も球場に連れて行き、コアファンをさらに作る連鎖を作ったのでは、とも思うのだ。
昭和から平成初期の頃は日本ハムファイターズに西崎幸広というイケメン投手がいた。彼と、阿波野秀幸(近鉄)、渡辺久信(西部)、星野伸之(阪急/オリックス)は、その端正な顔立ちから「トレンディエース」と呼ばれ、絶大なる人気を女性を中心としたにわかファンから獲得した。
当時彼らのプロマイド等グッズは多数売れたが、結局コアファンとして定着することはなかった。そうした意味では、2004年の渡辺恒雄氏の「たかが選手が」発言は今のプロ野球の発展に大いに貢献したのでは、とも考えられるのである。(文@中川淳一郎 連載「俺の平成史」)