野球の見方の一つに、選手個人と球場の相性というものがある。ビジターであれば、対戦球団が苦手なだけという場合もあるが、選手によっては、球場の得手不得手というものもあるようである。
ここでは、球場別の個人成績にフォーカスし、部門別にランキング形式で紹介していく。上位選手を見ることで各球場の「顔」を確認していこう。今回は明治神宮野球場・通算本塁打編(2021年終了時点)。
球場情報:神宮
正式球場名:明治神宮野球場
開場年月:1926年10月
球場の広さ:両翼97.5m、中堅120m(現在の広さ)
公式戦初開催:1948年8月24日 金星-中日(12回戦)
公式戦試合数:3715試合
本塁打数:7796本
5位:広澤克実(克己、克) 120本塁打(ヤクルト115本、巨人4本、阪神1本)
5位となったのは、セ・リーグ3球団を渡った大砲・広澤克実。
広澤は、小山高、明治大を経て、1984年ドラフト1位でヤクルトに入団。ルーキーイヤーから一塁のレギュラー格を担い、18本塁打を放つなど持ち味の長打力を発揮した。
ヤクルトに在籍した10シーズンでは、すべてで2桁本塁打を記録。88年にはキャリアハイの30本塁打、91年に99打点、93年に94打点を挙げ、最多打点に輝いた。94年オフには、同一リーグの巨人にFA移籍。2000年からは阪神に活躍の場を移し、4年間プレーした。
通算成績は、1893試合に出場し、打率.275、1736安打、306本塁打、985打点、78盗塁。うちヤクルト時代の本塁打数は、228を数えた。
4位:アレックス・ラミレス 124本塁打(ヤクルト109本、巨人13本、DeNA2本)
4位には、助っ人外国人選手初のNPB通算2000安打を達成したアレックス・ラミレスが入った。
ラミレスは、2001年に来日。加入初年度から29本塁打を放ち、チームの日本一に貢献した。
ヤクルトに在籍した7シーズンでは、すべてで20本塁打以上をマークした。03年は打率.333、40本塁打、124打点の成績で最多本塁打、最多打点の打撃2冠を受賞。在籍最終年となった07年には打率.343、204安打、29本塁打、122打点で最多安打と最多打点に輝いた。同年オフには同一リーグの巨人にFA移籍。その後も数々の打撃タイトルを獲得し、DeNA時代の13年にNPB通算2000安打を達成した。
NPB通算成績は、1744試合に出場し、打率.301、2017安打、380本塁打、1272打点、20盗塁。ヤクルトでは211本塁打を放った。
3位:山田哲人 137本塁打(ヤクルト137本)
3位には、シーズン「3割30本30盗塁」の“トリプルスリー”を3度達成している山田哲人がランクインした。
山田は、履正社高から2010年ドラフト1位で入団した。高卒1年目にクライマックスシリーズ(CS)で一軍デビューを飾るなど大器の片鱗を示し、4年目の14年に大きく飛躍。二塁のレギュラーとしてリーグ上位の打撃成績を残した。
15年には打率.329、38本塁打、100打点、34盗塁、出塁率.416で初のトリプルスリーを達成。チームをリーグ優勝に導き、自身は最多本塁打、最多盗塁、最高出塁率の打撃3冠、最優秀選手にも輝いた。さらに、翌16、18年にもトリプルスリーを成し遂げ、NPB史上唯一の複数回達成者に。2020年はコンディション不良などの影響から成績を落としたが、昨季は再びリーグ屈指の成績を残し、キャプテンとして日本一に貢献した。
2021年終了時点の通算成績は、1195試合に出場し、打率.291、1287安打、248本塁打、736打点、180盗塁。本塁打数の55%以上を本拠地で記録しており、トップ5で最も地の利を活かしている。
2位:ウラディミール・バレンティン 155本塁打(ヤクルト155本)
2位は、シーズン60本塁打のNPB記録を保持する助っ人砲ウラディミール・バレンティン。
バレンティンは、2011年に来日した。加入初年度から持ち前のパワーを発揮して31本塁打で最多本塁打に輝くと、翌12年にも同じく31本塁打をマーク。規定打席未満ながら、2年連続のタイトルを手にした。
そして迎えた13年、開幕は二軍で迎えたものの、一軍昇格後は本塁打を量産。王貞治らが持つ55本塁打のNPBシーズン本塁打記録を更新する快挙を成し遂げた。最終的にチームは最下位に沈んだが、打率.330、60本塁打、131打点、出塁率.455と圧倒的な数字を残し、3年連続となる最多本塁打と最高出塁率の打撃2冠、リーグ最下位球団から史上初の最優秀選手にも選出された。ヤクルトに在籍した9シーズンでは、けがでシーズンを棒に振った15年以外の8シーズンで30本塁打以上を記録した。2020年からはソフトバンクに移籍し、22年はメキシカンリーグでプレー予定だ。
2021年終了時点のNPB通算成績は、1104試合に出場し、打率.266、1001安打、301本塁打、794打点、7盗塁。うちヤクルト時代の本塁打数は、288を数えている。
1位:池山隆寛 167本塁打(ヤクルト167本)
トップは、ヤクルト一筋19年を貫いた“ブンブン丸”、池山隆寛となった。
池山は、市立尼崎高から1983年ドラフト2位で入団。高卒4年目の87年に遊撃のレギュラーを掴むと、翌88年には31本塁打を放ち、さらなる飛躍を遂げた。
同年から5年連続30本塁打以上を記録。一方で三振数も多く、100三振以上を喫するシーズンも続いたが、チームに欠かせない重要戦力として92年のリーグ優勝にも貢献した。97年には三塁へコンバート。晩年は代打としても存在感を示していた。
通算成績は、1784試合に出場し、打率.262、1521安打、304本塁打、898打点、108盗塁となっている。
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