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野球の見方の一つに、選手個人と球場の相性というものがある。ビジターであれば、対戦球団が苦手なだけという場合もあるが、選手によっては、球場の得手不得手というものもあるようである。
ここでは、球場別の個人成績にフォーカスし、部門別にランキング形式で紹介していく。上位選手を見ることで各球場の「顔」を確認していこう。今回は横浜スタジアム・通算勝利編(2021年終了時点)。
■球場情報:横浜スタジアム
正式球場名:横浜スタジアム
開場年月:1978年3月
球場の広さ:両翼94m、中堅118m(現在の広さ)
公式戦初開催:1978年4月4日 大洋-巨人(1回戦)
公式戦試合数:2688試合
本塁打数:5244本
5位:斎藤隆 42勝(横浜42勝)
5位には、先発だけでなくクローザーとしても活躍した斎藤隆が入った。
斎藤は、東北高、東北福祉大を経て、1991年ドラフト1位で入団。2年目の93年から先発ローテーションに定着し、96年に初の2桁10勝、206奪三振で最多奪三振のタイトルを受賞した。
翌97年は右肘手術の影響で一軍登板なしに終わったが、日本一に輝いた98年には、13勝5敗1セーブ、防御率2.94をマークし、カムバック賞を受賞。2001、02年にはクローザーを担い、抜群の安定感を発揮した。先発に再転向した03年以降はやや成績を落としたが、05年オフにメジャー移籍し、リリーフして大車輪の活躍。13年には楽天で日本球界へ復帰し、3年間プレーした。
NPB通算成績は、403試合(1575回)を投げ、91勝81敗55セーブ14ホールド、1331奪三振、防御率3.75。うち横浜時代の勝利数は、87を数えた。
4位:野村弘樹(弘) 43勝(大洋18勝、横浜25勝)
4位は、1990年代の先発陣を支えた左腕・野村弘樹だ。
野村は、PL学園高から1987年ドラフト3位で入団。90年に先発として11勝を挙げ、飛躍を遂げた。
93年には17勝6敗、防御率2.51の成績で最多勝のタイトルを受賞。その後は、けがや身体の不調に苦しむシーズンも多かったが、98年は左のエース格としてチームトップの13勝をマークし、日本一に大きく貢献した。
通算成績は、301試合(1534回)を投げ、101勝88敗、998奪三振、防御率4.01。トップ5の中では、最も本拠地での勝利数の割合が少なかった。
3位:遠藤一彦 59勝(大洋59勝)
3位は、大洋の低迷期を支えたエース・遠藤一彦。
遠藤は、学法石川高、東海大を経て、1977年ドラフト3位で入団。2年目の79年に先発、クローザーとしてフル回転の活躍を見せ、12勝12敗8セーブの成績を残した。
以降はリリーフへ回っていたが、82年に先発へ再転向すると、同年の14勝を皮切りに6年連続2桁勝利をマーク。低迷が続いていたチームをエースとして支え続けた。特に83年は18勝9敗、186奪三振、防御率2.87で最多勝と沢村栄治賞などに輝き、翌84年も17勝で2年連続の最多勝を手にした。また、成績が低迷していた90年にはクローザーとして復活。21セーブを挙げてカムバック賞を受賞するなど晩年まで存在感を放っていた。
通算成績は、460試合(2208回1/3)を投げ、134勝128敗58セーブ、1654奪三振、防御率3.49となっている。
2位:斉藤明夫(明雄) 64勝(大洋64勝)
2位は、100勝100セーブを達成した右腕・斉藤明夫だ。
斉藤は、花園高、大阪商業大を経て、1976年ドラフト1位で入団した。ルーキーイヤーから主に先発を担い、8勝9敗、防御率4.39の成績を残して新人王を受賞。川崎球場から横浜スタジアムへ本拠地を移した翌78年には開幕投手にも抜擢され、キャリアハイの16勝を挙げた。
同年から3年連続2桁勝利を記録していたが、81年にはチーム事情からクローザーに転向し、82年にリーグ最多の30セーブをマーク。さらに規定投球回にも到達し、防御率2.07で最優秀防御率に輝く異色のシーズンを送った。その後は83、86年に最優秀救援投手を受賞。キャリア晩年に差し掛かった88年からは再び先発を務め、90年には6年ぶりの2桁10勝を挙げた。
通算成績は、601試合(2173回1/3)を投げ、128勝125敗133セーブ、1321奪三振、防御率3.52。勝利数のちょうど半数を横浜スタジアムで記録した。
1位:三浦大輔 83勝(横浜70勝、DeNA13勝)
トップに立ったのは、DeNAの現指揮官を務める“ハマの番長”、三浦大輔だ。
三浦は、高田商から1991年ドラフト6位で入団した。95年から先発ローテーションの一角を担い、97年に初の2桁10勝をマーク。98年には12勝7敗、防御率3.18の成績で日本一に大きく貢献した。
チームの低迷期が続いた2000年代には、不動のエースとして君臨。特に05年は12勝9敗、177奪三振、防御率2.52の成績で最優秀防御率と最多奪三振の投手2冠に輝いた。09年以降は2桁勝利を記録したシーズンはなかったが、横浜DeNAベイスターズに球団名を変更した12年以降もベテランらしい投球術でコンスタントに勝ち星を積み上げ、25年間チーム一筋で腕を振り続けた。
通算成績は、535試合(3276回)を投げ、172勝184敗、2481奪三振、防御率3.60となっている。
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