チームの上位進出の鍵となるのが助っ人外国人選手の存在だ。近年では、メジャーリーグ経験のある選手も数多く来日し、1軍登録の上限である4枠を巡って競争も激しくなっている。今回は、各球団の歴代助っ人外国人選手をランキング形式で振り返り、活躍した選手の傾向を探っていきたい。【DeNA・野手編】
※成績はチーム在籍期間の通算成績、ランキングはこれを基準に作成。
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第5位 ジム・パチョレック
右投右打
内野手・外野手
在籍期間 4年(1988〜1991)
成績 495試合、打率.326、619安打、57本塁打、307打点、11盗塁
主にクリーンナップを務め、安打を量産したパチョレック。器用な打撃が際立つアベレージヒッターだ。
アメリカ合衆国出身、身長191センチ、体重94キロ。ミシガン大から、1982年ドラフト7巡目(全体209位)でミルウォーキー・ブリュワーズに入団。87年に同球団でメジャーデビューを果たし、48試合の出場で打率.228、2本塁打、10打点、OPS.638の成績だった。メジャーでプレーしたのはこの1シーズンだけである。
1988年に本人の希望で日本球界入り。横浜大洋(現DeNA)では、初年度から主に5番として出場し、打率.332、165安打、17本塁打、76打点をマーク。最多安打(表彰はなし)とベストナインを獲得する大活躍を見せた。
在籍4年間全てで打率3割をクリアする安定した成績を残し、特に1990年には打率.326、172安打、17本塁打、94打点で、首位打者と2度目の最多安打、ベストナインを獲得した。91年にはリーグ最多の勝利打点(14)を挙げ、勝負強さも印象付けた。
退団後は、阪神でも2シーズンプレー。92年には、自身3度目の最多安打&ベストナインに加え、2度目の最多勝利打点、ゴールデングラブ賞(一塁手部門)も獲得するなど、攻守に秀でた。
第4位 ホセ・ロペス
右投右打
内野手
在籍期間 6年(2015〜2020)
成績 738試合、打率.273、780安打、158本塁打、476打点、1盗塁
昨季まで在籍6年間を誇ったロペス。攻守に渡って強い存在感を放ち、チームに欠かせない選手の一人だった。
ベネズエラ出身、身長183センチ、体重103キロ。ヘススラファエルアルボルノス高から、2000年にシアトル・マリナーズに入団。04年にメジャーデビューを果たすと、06年には151試合に出場。打率.282、10本塁打、79打点の成績で、二塁のレギュラーを勝ち取った。また同年は、ロビンソン・カノー内野手の代替選手として、チームメイトのイチローらとともに、オールスターにも出場した。
以降2010年までマリナーズでレギュラーとして活躍。09年にはキャリアハイとなる25本塁打をマークするなど、長打力にも磨きをかけた。主にセカンドを守ったが、2010年はサードを主戦場とした。11年からは、コロラド・ロッキーズ、フロリダ・マーリンズ(現マイアミ)、クリーブランド・インディアンス、シカゴ・ホワイトソックスと2シーズンで4球団を渡り歩いたが、出場機会は年々減少していった。
日本球界では、2013年に読売ジャイアンツの助っ人として来日。日本では主に一塁手として活躍。1年目から3割を超える打率に加え、安定感のある守備でゴールデングラブ賞も獲得した。また、東北楽天ゴールデンイーグルスとの日本シリーズ第5戦では、無敵の田中将大から本塁打を含む2安打の活躍で、その年初めて田中に土をつけた。
DeNAでは2015年からプレー。巨人での2年間のNPB経験も活かし、シーズンを通して活躍し、在籍1年目は、打率.291、25本塁打、73打点の好成績を残した。16年に自己最多の34本塁打をマークすると、17年には打率.301、30本塁打、105打点で打点王と最多安打(171安打)、ベストナインに輝いた。
また、守備での貢献度も高く、DeNAでは2016から19年まで4年連続でゴールデングラブ賞を獲得。2018年には守備率1.000、19年には一塁手の連続無失策記録(1623守備機会)を樹立した。
第3位 カルロス・ポンセ
右投右打
外野手・内野手
在籍期間 5年(1986〜1990)
成績 533試合、打率.296、601安打、119本塁打、389打点、44盗塁
特徴的な口髭と明るいキャラクターで、「マリオ」の愛称でも親しまれたポンセ。大洋打線を牽引したチームの中心選手の一人だ。
プエルトリコ出身、身長180センチ、体重80キロ。南ジョージア大から、1982年にミルウォーキー・ブリュワーズと契約。85年に同球団でメジャーデビューを果たし、21試合に出場。打率.161、1本塁打、5打点と数字は残せなかった。
翌86年に横浜大洋ホエールズに入団。主に4番として出場し、「スーパーカートリオ(高木豊、加藤博一、屋鋪要)」らとともに盗塁も多く記録した。同年は各部門でリーグ上位となる打率.322、27本塁打、105打点の成績で、盗塁数も18個を数えた。
翌1987年はさらに成績を伸ばし、打率.323、35本塁打、98打点をマーク。打点王とベストナインを獲得した。また、リーグ最多安打(当時表彰なし)の159安打に加え、ランディ・バースが来日から4年連続で1位の座についていた長打率でトップに躍り出た。1988年にも打率.292、33本塁打、102打点で本塁打王と2度目の打点王、ベストナインに輝いた。
89年も4番に座ったものの、打率.264、24本塁打、81打点と各項目で来日後最低の数字に終わると、翌90年は、新助っ人ジョーイ・マイヤーに押し出される形で出場機会を減らし、同年限りで退団した。
第2位 ジョン・シピン
右投右打
内野手
在籍期間 6年(1972〜1977)
成績 728試合、打率.299、822安打、166本塁打、467打点、21盗塁
大洋では長髪と髭がトレードマークだったシピン。ライナー性の打球で本塁打を放つパワーを誇り、二塁守備にも定評があった。
アメリカ合衆国出身、身長183センチ、体重73キロ。カブリロ大から1965年MLBドラフト55巡目(全体785位)でセントルイス・カージナルスに入団。69年にサンディエゴ・パドレスで初めてメジャーの舞台に立ち、同シーズンは68試合に出場したが、以降はマイナー暮らしとなった。
横浜大洋(現DeNA)では1972年からプレー。初年度から攻守で活躍を見せ、打率.279、22本塁打、76打点をマークし、ベストナインとダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)に輝いた。
打撃タイトルの獲得はならなかったが、翌1973年には打率.295、33本塁打、75打点をマークし、2年連続でベストナインとダイヤモンドグラブ賞を獲得。1975年にはキャリアハイとなる34本塁打を放つなど、在籍6年間全てで活躍を見せ、OPS.800を切るシーズンはなかった。
78年からは金銭トレードで移籍した読売ジャイアンツでプレー。ここでも3割を超える打率と多くの本塁打を量産し、屈指の成績を収めている。
第1位 ロバート・ローズ
右投右打
内野手
在籍期間 8年(1993〜2000)
成績 1039試合、打率.325、1275安打、167本塁打、808打点、16盗塁
8年に渡り活躍を続けたローズ。パワーも兼ね備えた稀代の安打製造機で、「マシンガン打線」の中心を担った。
アメリカ合衆国出身、身長180センチ、体重85キロ。サンディマス高から、1985年MLBドラフト5巡目でカリフォルニア・エンゼルス(現ロサンゼルス)に指名され入団。89年に同球団でメジャーデビューしたが定着はできず、通算73試合の出場で打率.245、5本塁打、23打点、OPS.710にとどまった。
1993年から横浜ベイスターズでプレー。初年度からセカンドのレギュラーとして打率.325、19本塁打、94打点をマークし、打点王とベストナインを獲得した。
以降もその活躍でチームを牽引し、鈴木尚典とともに「マシンガン打線」の中心的存在となった。98年にはチームの日本一に大きく貢献。西武ライオンズとの日本シリーズ第5戦では本塁打も放った。
翌99年には当時の右打者最高打率となる打率.369、37本塁打、153打点をマークし、首位打者、打点王、最多安打、ベストナインに輝いた。153打点は現在でも1950年の小鶴誠(松竹)に次ぐ歴代2位の数字だ。
また史上唯一サイクル安打を3度達成したことでも知られ(1995年5月2日、1997年4月29日、1999年6月30日)、そのいずれもが延長戦に入らず達成している。
在籍8年間でベストナイン6回、最多安打、打点王2回、首位打者、最高出塁率1回など数々のタイトルを獲得したローズ。通算打率.325、通算OPS.933と安定して高い水準を保ったところも印象的だ。
その他にもレオン・リーやグレン・ブラッグス、在籍2年間で2年連続本塁打王に輝いたタイロン・ウッズとネフタリ・ソト、首位打者と打点王を獲得したトニ・ブランコらもランクイン同様の活躍を見せた。現役ではソトのほか、タイラー・オースティンにも大きな注目が集まっている。
横浜DeNAベイスターズ、歴代助っ人外国人選手ランキングトップ5<投手編>
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外部リンク